
大人になると、子ども時代には見えていなかった親の一面を知り、関係性も少しずつ変化していきます。戸惑うこともあるけれど、立場や状況によっても、見える顔は違うのでしょう。
歳を重ねていく親と、どんな距離感で関わっていけばいいのだろう。
【かぞくの食卓-table talk】第11話は、母と兄妹で11年間、埼玉と鎌倉でアンティークショップ〈artique〉を営んできた浅野家の食卓を訪ねました。
82歳でお店を始める母を囲んで
埼玉県滑川市の森林に囲まれた民家の敷地に佇む、6畳ほどの白い小屋。ここは、82歳の浅野庸子(ようこ)さんが始める雑貨店。仏アンティークの扉を開けると、庸子さんがヨーロッパと日本で集めてきた雑貨たちが並びます。
庸子さん:
「老後も、子どもたちに頼るんじゃなくて、自分の生活費くらいはなんとかしたいと思ってね。雇ってもらうのは難しいから、小さなお店を開くことにしたんです」
ともに物件を探し、小屋をセルフビルドしたのは次男の玲さん。長女の若菜さんとともに、鎌倉から通って、82歳の母の“起業”をサポートしています。
玲さん:
「老後資金をオールインして家を購入し、敷地内に小屋を建ててお店を開き、畑仕事もしたい。そう話を聞いたときは、さすが母だなって。とはいえこの歳なので、手伝いは必須だろうと覚悟はしていました」
小屋が完成し台所が整った今日は、久しぶりに家族で庸子さんの手料理を囲みます。食卓に並ぶのは、パエリアにスパニッシュオムレツ。
庸子さん:
「抽象画の絵描きだった主人と結婚して、日本じゃ売れないから海外へ行こうと、長男が3歳になる前に渡欧したんです。数ヶ月の予定だったけど、フランスからスイス、イタリア、スペイン、ポルトガルを巡って、空が綺麗だったスペインに戻って、2年暮らしました。そのときに、お隣さんが大雑把につくっていたパエリアを覚えたんです」
次男の玲さんが生まれて帰国してからも、家にはヨーロッパで集めた古い家具が並び、食卓にはスペイン料理が登場しました。
玲さん:
「両親が海外で暮らした日々のことを楽しそうによく話すから、兄妹みんな、海外に憧れを抱いていましたね」
浅野家の思い出の味が並ぶ、新しい幕開けの食卓です。
りんご箱ひとつで、ふたりで始めた家族
家族の始まりは、今から55年前。出版社に勤めていた庸子さん(当時27歳)は、叔父が自宅で開いた食事会に参加。そこで大学生だった夫・輝雄さんと出会います。
叔父から輝雄さんに職を紹介してほしいと頼まれ、一緒に喫茶店に行くように。“自信がなかった”という輝雄さんは無口で、筆談で会話をしていたこともあったそう。
庸子さん:
「薄暗い会社で残業をしていたとき、ひとりで生きていくことが心細くなって、結婚したいと思ったんです。お見合いもしたけど、家柄とか肩書きとか条件ばかりで、その人がよく見えない。主人は3歳のときに父親を亡くして5人兄弟で育ってきて、30歳で職のない絵描きで…。
私には“何もない”ということが魅力だったんです。結婚は何もないところからりんご箱一つで、ふたりで始めるものだと思っていましたから。主人は誠実だった。母には反対されたけど、ただその1点で、結婚を決めました」
そこからふたりで海を渡りスペインで暮らし、帰国して東松山に家を建て、一緒に3冊の絵本も出版。3人の子どもを育て、長男が15歳、次男が19歳、長女が21歳のときに、海外にも送り出しました。
庸子さん:
「主人はどこにも所属しない絵描きで、私は計画も計算もできない。夫婦で働けるほうが働くというスタンスで、私も寿司屋の厨房に立ったり、自宅で公文の先生をしていたこともあったけど、家計はめちゃくちゃでしたよ。でもどうにかなった。
主人がよく『絵描きは、絵が描ける状態がベストだ』と言っていたんです。『病気でも、戦争でも、家族に何かあっても描けないから』って。成功もしていないし貯金もないけど、家族がそれぞれ好きなことができる状態ではあったかな」
子どもの「やりたい」「遊ぼう」に応える
玲さんと若菜さんも、子ども時代に見ていた両親の姿、家族の風景を振り返ります。
若菜さん:
「父と母はいつも一緒。毎日ふたりで喫茶店に行って、大喧嘩を見たのは一度きり。夫婦でいる時間が長かったからか、妙な干渉もされない。◯◯しなさいと言われることもなかったです。ただ料理とか創作とか、私がやりたいことはやらせてくれました」
玲さん:
「父に『今日は学校に行く?釣りに行く?』と聞かれて、一緒に釣りに行くこともよくありました。絵を描いていても、僕が『遊ぼう』と声をかけたら100%応えてくれましたね」
海外の風を暮らしに取り入れること。自分の手を動かしものづくりをすること。群れずに自分のスタイルを貫くこと。「この両親でなかったら、今の自分たちはない」と声を揃える玲さんと若菜さん。
玲さんは、米オレゴン州で絵を学び、実家の敷地に小屋を建てたのちに東松山に物件を借りて、フランスを中心としたアンティークの店〈artique〉を営むように。作家として、絵も描き続けています。
若菜さんは、アメリカからオーストラリアへ渡り、永住権を取得。アクセサリーを創作し、自身のブランド〈flair〉を展開しています。
父の他界が、家族の新しい始まりにもなった
2013年、絵を描き続けていた父・輝雄さんが突然倒れ、帰らぬ人へ。ショックからお店を2ヶ月休んでいた玲さんは、自分以上に弱り、歩くのもままならない母・庸子さんをフランスの買付けに誘いました。
玲さん:
「いつも母の隣にいた父がいない。衰弱する母に、一緒にお店をやろうと声をかけてフランスに連れて行きました。突然父が亡くなったこともあり、できるだけ母と一緒にいたい、思い出をつくりたいという気持ちもあったんだと思います」
フランスから戻ってきて、庸子さんは東松山の〈artique〉の店頭で接客をするように。それから約1年後、鎌倉店をオープンするタイミングで、帰国した若菜さんもジョインすることになりました。
若菜さん:
「幼少期から、父のような作家と社会の間に立って、そのエネルギーを循環させたいと思っていました。こだわりを持って、店をつくり絵を描く兄と一緒ならそれができるかもしれないと。家族とやりたいことができるチャンスを逃したいくないと思ったんです」
2015年から11年、主に玲さんが買い付けと経営、庸子さんが東松山店の接客、若菜さんが鎌倉店の接客を担当するかたちで、3人で〈artique〉を営んできました。
個性を受け止め合い、安心して遊べる居場所
一緒にお店を営む中で、家族の関係性に変化はあったのでしょうか。
若菜さん:
「母がこんなにも奇抜な人だとは思っていませんでした。おしとやかな人だと思っていたので、働き始めた当初は、兄と戸惑っていたくらい。いつも父と一緒だったから見えていなかった母の人間性が見えてきたのかもしれません」
庸子さん:
「私自身は昔から変わらない、人は簡単には変われないから、子どもたちは子どもたちの世界を生きていただけよ」
大人になって親子の距離が近くなった分、ぶつりかり合うこともあるそう。
若菜さん:
「母のやることが気になってつい言い過ぎちゃうんです。一緒にいるのは3日が限度だと思って、物理的な距離を置くようにしています」
玲さん:
「以前、お店の前に母が『ご自由にお持ちください』という看板を出して、商品や僕の仕事机まで持って行かれてしまったり、奔放さに驚くこともありますが、母には母の流儀がある。トラブルが生じても、結局許せるのは、家族だからかもしれないですね」
一方で、幼い頃から共有してきた、変わらない感覚もあるようです。
玲さん:
「僕自身は今も昔も、家族と遊んでいるような感覚でいます。一緒に鎌倉店を始めた当初は暇で、妹とふたりでよく釣りに行っていました。父が絵を描いて僕らと遊んでいたような感覚に近いのかもしれません」
若菜さん:
「それぞれ創作活動をしていて、他人に意見を聞くことはないけど、家族ならつくったものをそのまま見せて『どう?』って聞ける。創作する父の姿を近くで見てきて、つくる人へのリスペクトがあるから」
ふたりにとって家族は、子ども時代から今も変わらず、安心して遊べる居場所なのかもしれません。
干渉も否定もせず、ひとりのまま家族でいる
浅野家は、一緒に仕事をしていても、べったり寄りかかるのではなく「ひとりのまま家族でいる」ように感じます。
玲さん:
「僕ら家族はそれぞれ欠けているところがあって、ひとりが好きなんだけど、ひとりじゃ何もできない。ひとりよりふたり、ふたりより3人のほうがいい。“3人で一人前”でやってきたところがありますね」
若菜さん:
「お店を通して、兄の作品や世界観をお客さまに届けることができている今の私は、幼少期の自分にガッツポーズをしたいくらいです。自分がやりたいこと、できることを選んできたら、家族と一緒に働くスタイルに行き着いた感じなんです」
東松山店が閉店した2026年の夏、庸子さんは〈artique〉を卒業し〈artiquenohaha〉として独り立ちしました。玲さんと若菜さんは、その決断を否定することなく、駆けつけてはサポートし、心配から口も出しながら、見守っています。
庸子さん:
「40年一緒にいた主人とも、好き勝手やってきたお互いを否定することがなかった。我慢と犠牲がなかったから、一緒にいられたんだと思います。子どもたちといる今も、私はやりたいことをやらせてもらっています。なんでもやってみなきゃわからないから」
ひとりでいたいけれど、ひとりでは生きられない。子どもの頃に抱いた夢を胸に、自分のままで一緒にいられるのが家族だった。家族だから一緒にいるのではなく、居心地がいい場所が家族だっただけなのかもしれません。
浅野家の居心地のよさは、どこにあるのだろう。それはきっと、ひとりずつが自分の人生に夢中で、互いを干渉もせず否定もしない。けれど困ったときは手を差し伸べる。そんな距離感にあるような気がします。
妻であり、母である前に、自分でいる。家族を背負わずに、家族に頼りながら、自らの足で立つ。82歳で新たなスタートを切った庸子さんのあり方、そこから広がる家族のかたちに、希望とパワーをもらいました。

フライパンにオリーブオイルを熱して、刻んだにんにくを加え、香りが立ったら、エビ、イカ、トマト、生米を塩で炒める。アサリとムール貝を乗せて、サフランと水を加え、15分程度炊く。お米が好みのかたさになったら火を止め、半分に切ったミニトマト、くし切りにしたレモン、オリーブをのせて完成。
庸子さん:
「スペインで暮らしていたとき、お隣さんが、お米も一握りずつ加え、分量も量らず、大雑把につくっていました。我が家もスペイン流です」
photo:井手勇貴


浅野庸子・玲・若菜
フランスの蚤の市を周り、集めた古道具を販売する〈artique〉を営む。埼玉店の閉店に伴い、2026年9月に庸子さんは埼玉県東松山市にて〈artiquenohaha〉をスタート。庸子さんは猫のぬいぐるみ、玲さんは絵画、若菜さんはアクセサリーを創作し、パリで家族展も開催。
Instagram:@artique0 @artiquenohaha @flair.kamakura