
新しいことをはじめるひとに、惹かれます。いつでも、何歳からでも、やりたい気持ちがあればなんだってできる。
頭ではそう分かっていても、一歩踏み出すその足は、年々重くなるばかり。
あるとき、編集者で文筆家の一田憲子(いちだ・のりこ)さんが山梨へ移住したことを知りました。
『暮らしのおへそ』をはじめとするムック本や数々の書籍を通して、いつも暮らしの実感から生まれる新しい視点を届けてくれる一田さん。
60歳を過ぎてからのライフスタイルの大きな変化とは? いったいどんなふうに決めたのか、そして、どんなふうに暮らしているのかを知りたくて、山梨のご自宅へ伺いました。
一田さん、おじゃましまーす!
東京から山梨へ、「漠然とした不安」がはじまりでした

夏の終わりのよく晴れたある日。わたしたちが到着すると、一田さんがウッドデッキから手を振って、「いらっしゃーい」と、元気に出迎えてくれました。
東京から特急「あずさ」で約2時間。八ヶ岳南麓、豊かな自然に囲まれた一軒家が、一田さんのあたらしい住まいです。現在は月に2〜3度、東京に借りた仕事部屋とを行き来しながら暮らしています。
引っ越しから3カ月。最近になってようやく、リビングのソファで自然とお昼寝ができるようになったのだと教えてくれました。緊張が解け、「少しずつ慣れてきたみたい」と話す一田さん。
移住のきっかけは、未来を想像したときの、現実的な、でも漠然とした不安でした。

一田さん:
「60歳を意識しだしたあたりから、この先どうなるのかな?と、考えるようになりました。
いまの暮らしは気に入っているけれど、これから家賃を払い続けるのは将来的にしんどくなるぞ、という不安があったんです。
でも、都内で家を買おうにも高すぎて手がでません。確実にやってくるであろう現実と向き合う必要がありながらも、どうしよう、でもどうしたら?と、何から手をつければいいのかすらわからずにいました」
そこへ「移住」というあらたな扉が開いたのは、ふとしたきっかけからでした。興味本位で「地方ってどうなんだろう」と、物件を検索してみたのです。

一田さん:
「そうしたら、東京よりもずっと現実的かもしれないぞ? って。
山梨は取材でも何度も訪れていたし、いい場所だというのは肌で感じていました。でも仕事の中心は東京だし……」
じゃあ、東京に小さな仕事場を借りて二拠点にしてみるのは? どのあたりなら距離的に可能だろう?
「できない」と「できるかも」で揺れ動くなか、それならばまずは、いい家があったら見に行ってみよう。そんな気軽なスタンスで家探しがはじまりました。
家探しから3年、理想的な平屋との出会い

山梨だけにエリアを限定せず、長野や静岡など、さまざまな場所へ足を運ぶ日々。あちこちを見るうちに、山梨のこのあたりの環境がいちばん好きだという気持ちも浮きぼりになっていきました。
しかし、家探しは出会いだけでは成り立ちません。条件の良い物件はどれも競争率が激しく、一歩遅れるだけで買い手が決まってしまいます。
一田さん:
「手が届きそうになっては逃して……というのを10軒近く繰り返しました。もう自分には家なんて買えないと、3年が過ぎるころには諦めかけていたんです」
やがて物件探しに限界を感じた一田さんは、家を建てる方向へ切り替えました。お願いしたい建築家を決め、一緒に土地を見に行ったその日のことです。

一田さん:
「不動産屋さんが、『そういえば最近、この近くにいい物件が出たんですよ。見てみませんか?』って。
でも、こちらは建てる意思を固めていたし、そのあとに楽しみにしていたレストランにランチの予約も入れていたんです。間に合わないから『もう結構です』『いやいや近いですし』『時間がないので』『通り道ですから!』って(笑)。あまりに熱心な様子に、そんなに言うならちょっとだけ……と、見に行くことにしました」
そこにあったのは、たっぷりの緑を背景に立つ、雰囲気のいい平屋でした。細い小径の行き止まりの先にひっそりとたたずむ風景を、一田さんはひと目で気に入りました。駅からも歩いて10分ほど。これなら東京との行き来にも申し分ありません。
一田さん:
「『ここだ!』って思いました。その日は、まだ部屋の中を見られなかったので、それから2ヶ月ほど、正式に売りに出されるのをやきもきしながら待ち続け、毎日ホームページをチェックして。内見が可能になったタイミングですぐ、翌朝5時に東京を飛び出し見に行って、その場で『買います!』って。即決でした。
最初のころだったら、きっと『一旦考えます』って言っていたはず。たくさん逃した失敗があったから、踏み切れたんですよね」
いよいよ現実になった、21年ぶりの引越し
▲以前は食器棚として使っていた家具を、書斎の本棚に。大半を手放し、この先も読み返す本だけに厳選して運んできました。
そこからは怒涛のごとく、さまざまなことが一気に動き出しました。
内装は、ログハウスのような板壁から明るい白の壁に。ふたつの和室は洋室にリフォームし、それぞれ寝室と書斎に使うことになりました。
ほかにも東京の仕事場に使うマンションを探したり、引っ越しに向けてたくさんの本や洋服を手放したり。

なにしろ21年ぶりのお引っ越しです。それも東京から山梨へ。生き方の大きなシフトは、やることだらけ、そしてはじめて尽くしでもありました。
はじめて選んだ大きなダイニングテーブル
▲テーブルは福岡のアンティークショップ「eel」、椅子は宮崎椅子製作所で選んだカイ・クリスチャンセンを中心に。
一田さん:
「前の住まいはすべて和室だったので、ダイニングテーブルを選んだこともなかったんです。何から探せばいいんだろう? という状態でした」
じっくり選んで決めたのは、イギリスの古いダイニングテーブルです。
幅がゆったりと広く、奥行きは浅め。かねてから心に残っていたデザインを頼りに探し、最終的に福岡まで現物を見に行き決めたのだそうです。
▲ブラインド掃除の方法も模索中。いまはモップでサッとひとなでを習慣に。
一田さん:
「カーテン選びもずいぶん悩みました。この家は窓が多いんです。ブラインドとも迷いながら、人にも相談して、やっぱりカーテンにしようと生地もほぼ決めたところで、ふとAIに部屋の写真を読み込ませてみました。カーテンとブラインド、それぞれのイメージを作成して、って。そうしたら一目瞭然で『ブラインドの方が好き!』って気づけたんです」
家じゅうに取りつけるのは大仕事。もちろんこれもはじめての作業でしたが、夫婦で丸一日以上かかって、なんとか仕上げたのだそうです。
60代だから踏み切れた「いまを味わい尽くす」こと
▲庭づくりも少しずつ。最近植えたのは、ワイルドストロベリーといちじく。
山梨への移住と聞くと、自然の中の豊かな暮らしを思い描きますが、「旅」と「生活」は別もの。ましてや田舎暮らしの経験がなく、長く便利な街に暮らしていた一田さんにとって、不安はなかったのか、あるとしたらどう折り合いをつけたのか、率直にお聞きしてみました。
一田さん:
「そう思いますよね。東京では、21年間ずっと同じ街、同じ家に住んでいたから、何もかも勝手がわかっていました。いつも行くスーパーなんて、目を閉じていてもどこに何があるのかわかるんじゃないかというくらい! 10分も歩けば、日用品からブランドものまで何でも揃うありがたい環境で、正直なところ、こっちに引っ越してみて『あ、間違っちゃったかな』と思った瞬間もありました。
でもこれは、60代になったいまだからこそ、引っ越せたのだと思います。40代のころだったら、まだまだ踏み切れなかったかもしれません」
▲新鮮な野菜を直売所で買うことが、生活の楽しみのひとつに。
一田さん:
「今まで、『もっと』と獲得することばかり考えてきました。東京ってインプットがいっぱいの街でしょう? 知らないことを知りたい、新しいものを使ってみたい、たくさんの人に出会いたい。ずっと未来のため、いつかのために備えることばかり。でも、あるときふと、じゃあその獲得したものをいつ楽しむんだろう? と思うようになったんです。
残りの時間がどのくらいなのかはわからないけれど、際限なく『もっと』と手に入れることばかり繰り返すのは、もういいかな。この年齢になって、自然にそう思えた気がします」
未来のための「もっと」より、「いま」を味わう。それは一田さんにとって、聞こえてくる鳥のさえずりに耳を傾けたり、庭の手入れをしたり、旬の野菜や果物を楽しんだり。つまりは目の前の暮らしをじっくり味わうことでもあったようです。
後半は、そんな一田さんの山梨での毎日の様子についてお聞きしました。
【写真】砺波周平
もくじ
第1話(9月29日)
60代だから踏み切れた「いまを味わい尽くす」こと
第2話(9月30日)
「自分で」を手放し、だれかに頼る。まあいっか、と楽しめるようになってきました

一田憲子
編集者、ライター。フリーライターとして女性誌や単行本の執筆などで活躍。『暮らしのおへそ』『大人になったら、着たい服』(主婦と生活社)『暮らしのまんなか』(別冊天然生活)では企画から編集、執筆までを手がける。全国を飛び回り、著名人から一般人まで、多くの取材を行う。12月末に自身の仕事のプロセスを綴った書籍をPHP研究所より発売予定。ウェブサイト「外の音、内の香」http://ichidanoriko.com/