
「この先、どこでどう暮らしていこう」。
50代を迎え、「老後」と呼ぶにはまだ早いけれど、この先の時間が少し現実味を帯びてきて、住まいについて、これまでとは少し違う目線で考えるようになりました。
便利さや好みだけではなく、歳を重ねていく自分の生き方や、家族との距離も含めて。
特集【終の住処】では、「ミナ ペルホネン」で働きながら、「moss」の名前でものづくりを続けている石澤敬子さんを訪ねました。40代後半で、生まれ育った土地に終の住処を建てることにした理由や、実際に暮らしてみて感じていることなどを伺います。

洋館のようなアパートで、好きなことを楽しむ日々

家を建てる前に石澤さんが暮らしていたのは、東京・麻布台にある「和朗フラット」。1936年頃に建てられた、洋館のような趣のある木造の集合住宅です。
石澤さん:
「もともと『ミナ ペルホネン』の同僚が住んでいて、遊びに行ったときに『素敵、素敵』と言っていたんです。
そうしたら『引っ越すときは教えるね』と言ってくれて。本当に彼女が引っ越すことになったときに声をかけてもらい、住むことになりました」

石澤さん:
「変形したL字型の1Kで、40平米もない小さな部屋でしたけれど、天井の高さは3メートルくらいあって、広く感じましたね。
冬は寒くて、夏は暑くて。冬なんてカシミヤを着て寝ていたくらい(笑)。それでも、すごく気に入っていました。
ここで暮らしながら、自分のものづくりをしたり、休日には少人数のワークショップを開いたりもしていました」

石澤さん:
「最初はこぎん刺し。私自身がやってみたかったんですけれど、ひとりだとなかなか始められないから、部活動みたいに人を募って。
みんなで『ああでもない、こうでもない』と言いながら手を動かして、最後には一緒にお菓子を食べたりして。
そこからコサージュやアクセサリー、化粧水など、いろいろなワークショップをするようになっていきました」
「戻ってこない?」母のひとことをきっかけに

お気に入りの家で、自分らしい暮らしを楽しんでいた石澤さん。40代後半になった頃、母親から近くで暮らしてほしい、と声をかけられました。
石澤さん:
「私には兄がふたりいて、上の兄家族が実家で母と暮らしています。
父はすでに亡くなり、母もだんだん高齢になってきて、ゆくゆく母が亡くなったあとも、きょうだいで仲良く、力を合わせて暮らしてほしいという思いがあったみたいです。
それで『こっちに戻ってこない?』と」

石澤さん:
「実家に戻って一緒に暮らすことは考えられませんでしたが、実家の近くに親が所有する土地があったんです。当時は駐車場として使われていたんですけれど、家を建てたほうが税金面でいいというアドバイスを受けたようで、そこに自分の好きなように家を建てたら、という話になって。
地元に戻るのも選択肢のひとつだな、という気持ちになりました。
和朗フラットでは、ワークショップなどの活動も少しずつ知ってもらえるようになって、来てくださる方も増えていました。
このまま続けたい気持ちもあったし、建物もすごく好きだったので、離れることには迷いもありました。
でも、地元に戻って同じようなことを続けるなら、早いほうがいいのかな、とも思ったんです」
紆余曲折を経て、ようやく設計事務所が決まった

家を建てるとなると、どんな家にしようか悩みそうなものですが、石澤さんには以前から思い描いていたイメージがありました。
ル・コルビュジエの『小さな家』やバウハウスの建築です。装飾を抑えたシンプルな形と、機能的ですっきりとした空間に惹かれていたそう。
石澤さん:
「四角い箱みたいな感じがいいなと思っていました。
ヴィンテージが好きで、和朗フラットで使っていた家具をそのまま使いたかったので、そういうものが似合う家にしたくて。
1階はアトリエや作業ができる部屋、2階はワークショップもできるようなリビング・ダイニング、3階に寝室とお風呂、トイレ。ベランダもある程度広くしたい、という希望もありました。ベランダにテーブルを出して、ワインが飲めるようなスペースもほしかったんです」

ところが、いざ家づくりを始めてみると、思い描いていた通りには、なかなか進みませんでした。
まず相談したのは、母親から紹介された大手ハウスメーカーと、住宅建築やインテリアデザインの仕事をしている友人です。それぞれに希望を伝えて見積もりやプランを出してもらいましたが、どちらも断念することに。
石澤さん:
「ハウスメーカーは、見積もりがすごく高くて(笑)。
もうひとつ、友人のところでお願いしたプランは、コの字型で中庭のようなスペースもある2階建てで、デザインはすごく素敵だったんですけど、どうしても3階建てにしたかったんです」

結局、いったんすべてをリセットし、改めてインターネットで設計事務所を探すことに。そこで見つけたところに相談し、希望を伝えながら、設計図を描いてもらうことになりました。
石澤さん:
「本当にネットで見つけた、まったく縁もゆかりもない設計事務所だったんです。あとになって、知り合いなどに家づくりをしている人がいると知って、『もっとそういうところに頼んだほうが、親身になってやってもらえたのかな』と思ったりもしました。
もちろん、お願いした設計事務所もしっかり考えてくださったんですけどね」
最初で最後の家づくり。譲れること、譲れないことの線引き

設計事務所が決まり、いよいよ家づくりがスタート。けれど、予算内で建てるためには、無数の選択肢から自由に選べるわけではありませんでした。
石澤さん:
「予算内に収めるためのプランがあって、ドアノブなんかも『この中から選んでください』という感じでした。
もちろん、全部を自分の好きなものにしたら、予算はいくらあっても足りないですよね。
だから、好きではなくても、その中からベターなものを選ぶしかないところもあって」

実際、柱の後ろについた鉄の部材や階段の手すりなど、今でも「本当は好きではない」という部分も。かといって、家のすべてにこだわり始めればきりがありません。
石澤さん:
「次から次へと決めなくちゃいけなくて、途中で心が折れそうになりました(笑)。
内装に詳しい友人に『これはどうしたらいい?』と聞いたりしながら、最後に決めるのは自分。家を建てるなんて、最初で最後だと思うと、ここで妥協できない、という気持ちにもなるんですよね」
そこで石澤さんが選んだのは、すべてを理想通りにするのではなく、どうしても譲れないところにだけ手をかけることでした。
キッチンカウンターは、「Mountain Standard Time」に製作を依頼。
▲一枚板のキッチンカウンター。壁のレンガも特別にオーダーした。
こだわりたいところには手をかけ、それ以外は、ときには「目をつぶりながら」。
そうやって、理想と現実の折り合いをつけていったそう。
続く後編では、新しい家での暮らしと、時間をかけて少しずつ自分らしい住まいになっていった過程、そこから広がった人とのつながりについて伺います。
(つづく)
photo:MEGUMI
もくじ
第1話(11月2日)
50代を前に考えた、これからの私と住まい
第2話(11月4日)
真新しい家が「自分のお城」になるまで


石澤敬子
自身のブランド「moss*」の活動と並行して「ミナ ペルホネン」に勤務。自宅兼アトリエではワークショップやイベントなどをおこなう。
Instagram:@keicomoss