【金曜エッセイ】「おあとがよろしいようで」の本当の意味(文筆家・大平一枝)

文筆家 大平一枝


第十二話
「おあとがよろしいようで」の本当の意味


 

「オリンピックの小平奈緒選手の記事を読んで、落語の “おあとがよろしいようで” という言葉を思い出したよ」
 よく新聞を読む博識の友達が、不意にそう言った。小平奈緒さんは、自分がオリンピックレコードを出して会場が拍手喝采で沸いたとき、唇に人差し指を当て、「しーっ」というジェスチャーをしたという。次に走る選手のレースのために皆さんお静かに、という合図だ。

 それが、落語家の常套句とどんな関係があるというのだろう。
 彼は言う。
「落語家が噺の最後に用いる “おあおとがよろしいようで” ってね、僕も間違えて解釈してたんだけどね。本当は、オチがうまくいったという意味じゃなくて、次の高座に上がる人の準備が整ったので私はここで終わりにします。自分などより次の方の噺のほうがすばらしいのでどうぞお楽しみに、っていう意味なんだよ。ああ、小平選手のしーっていうスポーツマンシップと同じだなあって思った」

 自分を一段下げ、次の人に花を持たせる。なんて日本人らしい慎ましくて奥ゆかしい心のあり方だろうと心に響いた。年に何度か落語を聴きにいくが、まったく知らなかった。
 よく考えれば、「自分の話のオチがいまくいったようで」とご満悦で噺をまとめるような野暮なスタイルは、日本人には合わない。
 落語が始まったと言われる元禄期から、300年余の間、脈々とその慎ましい精神は受け継がれてきたことになる。

 ところで、ある男性アナウンサーが、後にライバル局のアナウンサーとなる男性と、学生時代にテレビ局の就職試験の待合室で隣あった時の話をしていた。
「対抗心で、ひとことも口をきかずじっと待っていた。ところが、先に彼が面接に呼ばれると、穏やかに微笑み “お先に” と言われた。ああなんて大人なんだろう、その瞬間に彼に負けたと思った」と語っていた。結果、彼が受かり、当人は別の局アナに。

 お先に。おあおとがよろしいようで。皆さんお静かに。どれも私は忘れていたなあ。それどころか、扉を次の人のために開けておく所作さえ、したりしなかったりである。
 粋な気遣いは、一朝一夕では身につくまい。でも、心に留めておくか否かで、人としての佇まいは変わるような気がしている。

 
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文筆家 大平一枝

長野県生まれ。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。失われつつある、失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに、女性誌、書籍を中心に各紙に執筆。『天然生活』『dancyu』『Discover Japan』『東京人』等。近著に『届かなかった手紙』(角川書店)、『男と女の台所』(平凡社)、『あの人の宝物』『紙さまの話』(誠文堂新光社)などがある。朝日新聞デジタル&Wに、『東京の台所』(写真・文)連載中。プライベートでは長男(22歳)と長女(18歳)の母。

 
▼大平さんの週末エッセイvol.1
「新米母は各駅停車で、だんだん本物の母になっていく。」

 
▼本連載の過去記事はこちら

 
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