【金曜エッセイ】一本の電話が思い出させてくれた
文筆家 大平一枝
第四十五話:褒めスピリッツは伝染する
アパレルブランドの小冊子に拙文を寄せている関係で、先日、広報の女性から「この間の記事がとてもよかったと、お客様からお電話をいただきました!」と、やや興奮気味に言われた。
十年来書き続けているものであり、反応は嬉しいが、彼女の喜びように我がことながらも「そこまで?」と不思議に思った。
彼女はそのわけを語る。
「みなさん、いいことはできて当たり前と思っているから、わざわざ電話やメールで褒めたりしないんです。そのかわり、クレームはたくさん来ます。意に添わなかったときの怒りや反感は、行動に出しやすい。ブランドが成熟するほど、よいサービスや商品が当たり前になり、無反応になりやすいんです」
そう言われれば自分もそうだ。
このブランドならこれくらいあたりまえ。あのお店なら、あれくらいできて当然。どこかでものさしがあり、嬉しくてもわざわざ褒めたりはしない。
だが、どんなに時代が変わろうと、やっぱり頑張ったことを褒められるのは誰だって嬉しい。彼女だって、この仕事をして何年も経つだろうが、売り場に置かれた冊子の文章一つ、お客様からの電話一本で、あんなに嬉しそうなのだもの。
「褒めるって大事だなあって思いました。大人になるとあまり褒められないから」という彼女の言葉に私も深く頷いた。
褒める、というと思い出す光景がある。十年ほど前、自宅で取材を受け、話の流れで娘が得意なきゅうりとわかめの酢の物を、急遽編集者やスタッフに振る舞うことになった。
小さなエプロンをかけ、娘は口を一文字にしてきゅうりを切る。できあがったそれを味見すると、いつもどおりとてもおいしい。酢3、砂糖・醤油各1という割合を暗記している娘も得意げだ。
一口食べるなり私は台所で娘をギュッと抱きしめながら言った。
「おいしい! これならお客さんも喜ぶよ。ありがとう!」
娘はちょっと照れくさそうだった。
その姿を茶の間からのぞき見ていた女性編集者が、あとからふっとつぶやいた。
「あんなふうに褒められたら、娘さんはどれほど嬉しいことか。私も子どもがいるんですが、最近ちゃんと褒めてなかったな。反省しちゃいました」
私も中学生の頃、抱きしめられはしなかったが、母に料理を褒められたことがある。母の留守中に、料理本を見ながら青椒肉絲をつくったときのことだ。
帰宅した母は目を丸くして喜んだ。夕食ではたくさんほおばりながら「美味しいねえ美味しいねえ」と何度も褒めた。
たったそれだけのことなのに、鮮明に胸の奥に刻まれている。料理も母の笑顔も私の得意な気持ちも。
褒められた人は、褒める人になると思う。私はたいして褒め上手には育っていないが(それ以外で褒められた記憶があまりない)、三杯酢の娘を褒めた時、自分が幼い頃母に言ってもらって嬉しかった気持ちをバトンのように受け渡すような、あるいは託すような感覚が確かにあった。
結論。褒めは伝染する。広報の彼女は私に嬉しかった気持ちを分けてくれた。私も今、そのことを書いている。人から人へ。一本の電話からヨロコビが伝搬される。みんながそうなったら、社会は相当生きやすいものになる。
よし、これからは大人にもどんどん褒めよう。当たり前に慣れすぎずに。
文筆家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。『天然生活』『dancyu』『幻冬舎PLUS』等に執筆。近著に『届かなかった手紙』(角川書店)、『男と女の台所』(平凡社)など。朝日新聞デジタル&Wで『東京の台所』連載中。一男(23歳)一女(19歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
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