【57577の宝箱】甘い泡冷たく爆ぜた瞬間に からだの中から湧きあがる夏

小説家 土門蘭


「今日は天気がいいね」

友達からそんなメッセージが届いたとき、わたしは家の中でパソコンに向かっていた。
液晶画面にうつる原稿は真っ白。何にも書ける気がしない。でも締め切りはもうすぐで、何か書かないとと気ばかり焦って、頭を抱え込んでいた。

レースカーテンがかかった窓越しに外に目をやると、近所の家の屋根の向こうに雲ひとつない空が見える。夕方四時。そろそろ日が傾いてきたのか、空の色がやや薄い。昼間には、もっと濃い青色だったのだろうな。朝からずっと仕事をしていたので、ぜんぜん見ていなかったけれど。

「本当に。もうすぐ夏だね」
そう返してから席を立ち、窓を開けて空を見上げた。朝からずっとパソコンに向かっていたので、首と背中が凝り固まっている。ぐるぐると肩を回していたら、自分の喉が渇いていることに気がついて、
「なんかシュワシュワしたのが飲みたくなってきたな」
と思った。夏の話をしたからか、それとも青空を見たからだろうか、サイダーとかソーダ水とかが飲みたい。それで冷蔵庫を覗き込んだが、牛乳しかなかった。仕方なくドアを閉め、水道水を立ったまま飲み、もう一度パソコンに向かう。うん、やっぱりぜんぜん筆が進まない。

「今くらいが一番気持ちがいいね」
友達から、そんな返信が来た。彼女も仕事中のはずだけど、暇なのかな? そう思ったらふとおかしくなってきて、外に出かけることにした。サイダーとかソーダ水とか買いに行こう。原稿は、それを飲みながらやったらいい。

§

スプリングコートを羽織り、自転車に乗って走っていく。
当たり前のことだけど、家の中にいるよりもずっと空が広くて、そしてやっぱり雲ひとつなくて、わたしは風を切りながら思い切り空気を吸い込んだ。

うちの近所に流れている、大きな川のほうに向かう。こんな天気の日には、河川敷を自転車で走るとものすごく気持ちがいい。知っているのに忘れていた。実際に走ると、やっぱり気持ちが良かった。

河川敷にはソメイヨシノがずらりと並んでいる。桜はとうに散り去って、今は若い緑の葉がみずみずしく茂っている。その下で気持ちよさそうに寝そべる若者たち、水辺で遊ぶ子供たち。美しい季節だな、と思った。考えてみれば、ここに来るときいつもそう思っている気がする。春夏秋冬、いつも「美しい季節だな」と。

気がつくと、額のあたりが汗ばんでいた。家にいるときはストーブをつけるくらい寒かったのに、外に出ると今日はこんなに暖かったんだなと気づく。太陽の光があるからだろうか。傾きかけた陽が、髪の毛やまぶたを心地よく温めてくれる。

なんだかいろんなことを忘れていた気がした。外の世界は、こんなにも空気や光や緑で満ちていたんだな。

§

いつからなのか、外で季節を楽しむということをしなくなったなと思う。

子供のように水辺で遊んだり、若者のように木陰で寝そべることをしなくなった。単純に、ゆっくりできる時間が減ったからかもしれないけれど、時間ができてもやれ「日焼けする」だの「暑い寒い」だの「虫がいる」だのと言って、外にいることをよしとしなくなった。
それよりも、冷暖房の効いたカフェでお茶してゆっくりしていたい。だってそっちの方が安心するんだもん。

そんなことを考えながら、河川敷から道路に上がり、自動販売機へと向かう。
幸運にもそこにサイダーがあったので、小銭を入れてそれを買った。自転車に跨ったままペットボトルに口をつけて飲むと、シュワシュワと懐かしい味がする。仰ぎ見た空は少し暮れかかっていて、少しずつ冷えていく光の匂いがする。「あ、この感じ知ってるな」と思った。夏だ。夏の夕方の感じだ。

そのとき、本当にもうすぐ夏なんだと感じた。さっき友達に「もうすぐ夏だね」と言ったときとは違う、頭で考えた言葉ではない、そこには紛れもない実感があった。ああ、もっとこれを感じないといけない。わたしはもっとそういう言葉を話さないといけない。

外の世界は、こんなにも空気や光や緑で満ちている。それらをちゃんと体じゅうで感じることが、生きるってことなんじゃないかな。

§

再び河川敷に戻り、自転車で真っ直ぐ走った。木陰で気持ち良さそうに寝そべっている人を見ながら、わたしも今度ここでそうしてみようかな、と思う。わたしも子供たちみたいに、裸足になって川の中に入ってみようかな。

途中で停まって、スマートフォンで河川敷の写真を撮った。川の水が、自転車のカゴに入ったサイダーが、西日を吸ってキラキラと輝いている。

「なんだか外に出たくなったので、自転車で走ってきたよ」
そんなメッセージとともに友達に写真を送ったら、「いいね!」と返ってきた。

さあ、帰って仕事をしよう。煮詰まったらまた外に出たらいい。
わたしの世界はこんなにも広く、美しい変化に満ちている。

 

“ 甘い泡冷たく爆ぜた瞬間にからだの中から湧きあがる夏 ”

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 


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