【57577の宝箱】あなたからもらったものでできている日々 会えずとも共に生きてる
文筆家 土門蘭
広島にいる母と、1年以上会っていない。
これまでは、少なくとも年に2回、夏と冬に京都から地元の広島に帰省していた。新幹線に乗って行くと、駅の改札口で母親が待っている。帰りには、改札口まで送ってくれる。それが、わたしが実家を出て以来ずっと続く、我が家の慣例だった。
でも昨年からコロナの影響で、なかなかお互いに移動できなくなった。「そろそろ帰れるかな」と思うと、雲行きの怪しいニュースが流れたり、緊急事態宣言が出たりする。それで毎回、「今回はやめておこうか」という話になる。母は70歳を超えているので、あまり無理もできない。テレビ電話をかけては、画面越しに孫の顔を見せる日々だ。
§
母にとっては、この1年は相当大変な時期だったと思う。
彼女は、小さな飲食店をひとりで営んでいる。コロナの影響でなかなかお客さんが来ず、売り上げが厳しいと話していた。それに加えて体調も悪くなり、急遽手術を受けることになってしまった。担当のお医者さんとは電話やメールで詳細をやりとりしたのだけど、こちらからはお見舞いに行くことすらできない。1週間程度で退院はできたのだが、母にとってはずいぶん心細い日々だったろうと思う。
退院後も、気が塞いでいるようだった。数日経ってから、「もう仕事をしても大丈夫ですよ」とお医者さんに言われたそうだが、体調がすぐれずなかなか店を開けられないのだという。働き通しだった母がこんなに休んだのは初めてのことだったので、バランスが崩れたのもあるのだろう。あんまり無理しないで、心ゆくまでのんびりしなよ、と伝えた。
それで元気付ける意味合いも込めて、ちょくちょく子供の写真を撮って送ったり、ビデオ通話をしてみたり、好物の肉まんを送ってみたりしていたのだけど、なかなか元気が出ないようだった。相変わらず母の声はいつもよりか細く、心配になってくる。実際に会ったらなんとかなることも、遠隔だとどうにもできずもどかしい。どうしたら元気になるのかと、悶々と考える日々だった。
§
そんなある日、ふと、母にこんなことを聞いてみた。
「余ってるタオルない? いま、うちにあるタオルが古くなってきててさ」
実家には、昔から何故か大量に新品のタオルがある。何かのたびにもらうらしいのだが、それらが使われずに置いてあるのだ。今も箪笥の肥やしになっているのであれば欲しい、と言うと、母が急に張りのある声を出して、
「いっぱいあるけん、送っちゃる!」
と言った。そして立て続けに、
「タオルは古うなる前にちゃんと変えんとだめよ」
「安もん使いよるんじゃないんね」
と叱られもした。
なんだか突然元気になったな、とびっくりしていると、
「他に何かいるもんはないんね」
と言う。すると横にいた子供たちが、
「もみじまんじゅう!」
「おさしみ!」
「おもちゃ!」
と口々に言った。母が、それを聞いて嬉しそうに笑った。「ばあばがいっぱい送っちゃるけんね」と言って。母のこんな笑い声を聞くのは、ずいぶん久しぶりだった。
§
後日、大きな箱が母から送られてきた。
開けてみると、大量のタオルが入っている。その合間にもみじまんじゅうやカステラや、海苔や佃煮やふりかけや、なぜかシャンプーとリンスも入っていた。お礼をしようと電話をかけると、
「刺身はまた今度、クール便で送っちゃるけん」
と言う。「あと、そのシャンプーとリンスは良いやつじゃけん使ってみんさい」と。
「他に何かいるもんはないんね」
「いや、もう特にないよ」
「何かいるもんがあったらすぐに言いんさいよ」
驚いたことに、母はすっかり元気になっていた。聞けば昨日から店も再開したのだという。
「へー、すごいじゃん」
と言うと、
「孫が大学に入るまで頑張って稼がんとね」
と母は言った。
「家におっても、気が滅入るだけじゃ」
子供たちがスマートフォンに向かって、
「ばあば、ありがとう!」
と言う。すると、母は嬉しそうにまた笑った。
「またばあばが、美味しいもん送っちゃるけんね」
そう言えば母は、昔から誰かの世話をしたり、誰かに頼りにされるのが好きな人だった。
何かをしてもらうよりも、何かをしてあげるほうが好きな人だった。だから、自分で小さな店を開いたのだ。そんな彼女の性分に合っていたから。
会えないのならせめて、わたしはもっと彼女に甘え、頼りにするべきなのだろうと思った。そして「ありがとう」と言う機会を、つまり彼女の仕事を、もっと作るべきなのだろう、と。それがきっと、わたしが今母のためにできることだ。
新しいタオルは、実家の匂いがした。畳の匂い、飼っている猫の匂い、そしてかすかに母の匂いが。
“ あなたからもらったものでできている日々会えずとも共に生きてる ”
1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。
1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。
私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。
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