【57577の宝箱】気に入りの色をまとって 一輪の花となる夢見るワンピース

文筆家 土門蘭


普段、自宅でひとりで仕事をしているので、平日の日中はほとんど外に出ない。昨年から打ち合わせや取材もオンラインで行うことが増えて、ますます人に会わなくなった。

そんななので、服装にあまり構わなくなっている。
「人に会わないんだから、おしゃれしたってもったいないしね」
そう思って、アイロンの必要な白いシャツとか、きれい目のスラックスとか、プリーツの効いたスカートとか、全然身につけなくなった。いつも、家事中に汚しても気にならないカジュアルなスウェットに、気兼ねなく自転車に乗れるジーンズ。リラックスできていいのだけど、そればかりだと単調でつまらないのも事実だ。

どこかにおしゃれして出かけたいなぁと思いながらも、そんな予定は今のところない。

§

さてそんな折、衣替えの季節がやってきた。
日曜日、冬服や春服をクリーニング用のバッグにどんどん入れる。それから、収納しておいた夏服を箱ごと取り出し、床の上に一枚ずつ広げていった。

すると、薄紫色のワンピースが出てきて手が止まった。
何年か前に、店頭で一目惚れをして手に入れたものだ。色がかわいらしすぎるかな?と思ったものの、欲しくてついつい買ってしまった。ただやっぱり家の鏡の前で着てみると、試着室で着たときよりも、どうも似合っていない気がする。そういうことはたびたびあるが(試着室マジックだろうか?)、このワンピースもまたそんな一枚だった。
シワが寄りやすい素材なのでアイロンを毎回かけないといけないし、まあまあ値の張るものだったので汚してしまうとテンションが下がる。そんな要素が積み重なって、昨年はほとんど袖を通していない。

明日、これを着てみようかな?ふとそんなことを思った。
別に外に出る用事があるわけでもないのだけど、だからこそ人目を気にせず着てみればいい。
「ずっとしまいっぱなしなのも、もったいないしね」
そんなことを思いながら、クローゼットのハンガーにワンピースをかけた。

§

翌朝、そのワンピースを着て鏡の前に立ってみた。
「かわいい!」と、思わずひとりごとを言う。
誰にも会わないとなると、似合っているかいないかなんて全然気にならない。ただただこのワンピースがかわいい。どうしてもっといっぱい着なかったんだろう?

汚さないようにエプロンをつけて朝ごはんを作っていたら、起きてきた長男がわたしの格好を見て開口一番、
「あれっ、今日はなにかあるの?」
と尋ねてきた。
「なにもないよ、なんで?」
「なんか今日、かわいい格好をしてるから」
すると幼い次男も、「おかあちゃん、かわいいねえ」と言って、走り寄ってスカートに顔を埋めてくる。「似合う?」と聞くと、「にあう!」と二人が笑顔で言ってくれた。

動くたびにひらひらと動く裾。柔らかくて軽い素材。紫陽花のような薄紫色。実に初夏らしい服だと満足する。その格好で子供を送り出し、洗濯物を干し、家の中を掃除した。いつものことなのに、服が目に入るたびに何だか嬉しく心が躍る。なんでもない一日が、こんなにも変わるものなのだなぁと思う。

§

仕事を始めていたら、オンラインでの打ち合わせが急に入った。相手はよく打ち合わせをしている方だったので、画面にわたしが映ると、
「あれっ、なんだか今日雰囲気が違いますね?」
と気がついてくれた。「すみません、これからお出かけでしたか?」と。

「いえ、全然。今日は一日ずっと家で仕事です」
「そうですか。なんだかいつもと違うから、てっきりお出かけなのかなと思って。そういう服着ていらっしゃるの、私初めて見たかも。すごく素敵な色ですね」
そう言われて、「ありがとうございます」とお礼を言う。画面に映るわたしの顔は、ずいぶん照れくさそうだ。

「あまり着てなかったワンピースなんですけど、久しぶりに着てみようかなって。特になにもないんですけど、ほんとなんとなく。息子たちにも同じこと聞かれました」
と笑って言ったら、「そういうのすごくいいですね」と彼女が力を込めて言ってくれた。
「自分のためだけに装うのって、なんだか贅沢な感じ。すごくいいと思います」

それから、いつも通りの打ち合わせが始まった。だけど画面に映るわたしは、いつもよりもどこか楽しそうに見える。自分の好きなものを身につけて、そのことがとても嬉しいのだという表情だ。

「自分のためだけに装うのって、なんだか贅沢な感じ」
彼女の言葉を、頭の中で繰り返す。「贅沢」、まさにそうかもしれない。

人のためではなく、自分のためだけにおしゃれをする。似合うか似合わないかではなく、それを着て自分が嬉しいかどうかに着目する。わたしの感情を大切にする装いがおしゃれならば、それってまさに「贅沢」なことだ。

「もったいない」なんて言ってないで、明日もおしゃれをしてみよう。ワンピースの裾を手のひらで撫で、そんなふうに思う。

会えない誰かのためではなく、いつもここにいる自分のために。

 

“ 気に入りの色をまとって一輪の花となる夢見るワンピース ”

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 


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