【金曜エッセイ】テーブルにのこる余韻のグラス
文筆家 大平一枝
少しずつ、お酒&バー活動を再開している。
いつも行くジャズバーで、バーテンダーが言った。
「自分は、その日最後のお客様が帰ったあと、しばらくグラスを片付けないんです。
余韻を感じたいから。グラスがあると、その人がまだいるみたいで、なんだかあったかいでしょう」
ちょっとわかる話だなと思った。
私は父の仕事で小学校を3回も変わっているからか、別れ際に弱い。いまだに、友達ともご飯を食べた後どう別れていいかわからず、ひどくそっけなく「じゃあねー」といって振り返りもせず駅に向かう。
「気をつけて帰ってね」とか「元気でね」とか、気の利いた優しい言葉をかけられない。どこかで、もう会えなくなるんじゃないかという意識が働いてしまい、なあにまたすぐ会えるさと自分に言い聞かせたくて、わざとそっけなくなってしまうのだ。
いつでも会える友達に対して、自分は変に考えが狭いのではと、あるとき同じく転校が多かったと語る女性に聞いたら、「私もそうで、別れ際が苦手。あまりにそっけなくするんで、友達に冷たいってよく言われます」とのこと。
自分だけではないと胸をなでおろしたものだ。
バーテンダーの話を聞きながら、古いクッキー缶のことを思い出した。
最近、引っ越しで荷物を大々的に整理し、久しぶりにその蓋を開けた。リボンがギュウギュウに詰まっている。あらら、この数年一度も使ってなかったわと苦笑した。
家が狭いので、箱や包装紙はとっておけないが、包んでいたリボンぐらいは収納できる。だからいつも、使うあてなどないのに性懲りもなくクッキー缶へ。どんどん溜まってしまったというわけだ。
おもしろいもので、何の変哲もないリボンを見るだけでも、だれから、どんな贈り物をされたときだったか、だいたいわかる。
余韻のグラスの話から、私は、「きれいだから」や、「もらって嬉しかった気持ちを保存しておきたいから」以上に、送り主の思いやりの痕跡を残したくて、そうしていたんだなあ、と気づいた。
きっと、私や彼のような人には、所有物を最小化するミニマムな暮し方は向かない。余韻、気配、痕跡を愛する気持ちが、冷静な整理心を鈍らせるに決まっている。
空のグラスやほどいたリボンは、寂しさの裏返しだろうか。いや、結局人が好きなんだよな……。自分のいいように解釈しながら、ぐるぐる酔いの回った頭で堂々巡り。やおらお会計を求め、「じゃあねー」とさっくり帰った。私のグラスは、あのあとしばらくテーブルをあたためたろうか──。
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)12月発売予定。一男(26歳)一女(22歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
photo:安部まゆみ
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