【月と太陽がくれたカレンダー】第6話:あたたかな春に、桃始めて笑う
窓辺にあたたかな日の光がはいってくる午後は、ふと手をとめて、ぽかぽかした陽気に包まれていたいような、そんな気がしてしまいます。
春の海
終日のたり
のたり哉
与謝蕪村
春の海で
日がな一日のんびり
ゆらゆら浮かんでいたいなあ
そんな感じの海だなあ(詩訳)
なんだかもうずっとこのまま、ぼんやり日向ぼっこしていたい⋯⋯という心の声が届いたかのように、のどかな春の日の気分をどこまでも包みこんでくれそうな句が、江戸の昔にありました。
近世も、現代も、陽の気に満ちてきた季節にじんわりうれしみを感じる人の気持ちに、そう変わりはないのかもしれません。
あたたかな日だまりでうっとりしていると、ほんのひと休みでも意外と時間がゆっくり流れて、心を軽くしてくれることがあります。
冬の寒さにちぢこまり、こわばっていた体から力がぬけて、そのぶん楽に、深く息をしてみると、ふうっと何かが溶けて消えていくような⋯⋯そんな感覚も、春ならではに思えます。
ぎゅっとちぢこまっていたものが、ほのほのと訪れるあたたかさにゆるんで、ほどけて⋯⋯。
そんなふうに、冬の間にたくわえた息吹きでふくらんだ蕾が、ふわりとひらいて花の季節を迎えるのではないでしょうか。
七十二候という、一年を七十二の季節に分けたこまやかな暦では、三月なかばの仲春に、こんな候が訪れます。
桃始めて笑う
(三月十日〜十四日頃)
桃の花が咲きはじめる頃という季節なのですが、初めて知ったとき、とてもびっくりしました。花が咲くことを「笑う」と表現するなんて、もうこれは詩にほかならないと感じたからです。
それまで、カレンダーというのは月日を数字で数えるものだとばかり思っていましたので、まるで詩のように、そのとき、そこに花が咲いていることを「笑っている」と受けとめて、それをそのまま季節の名前にしてしまう暦があるなんて思いもよりませんでした。
その後、七十二候の出典元とされる『呂氏春秋』という古代中国の書物をひもといてみたところ、自然を生きいきと描く言葉の数々に、ああ、やっぱりこれは詩だったんだと得心が行きました。たとえば桃の花のことは、こんなふうに(『呂氏春秋』仲春紀第二より)。
始雨水
桃李華
倉庚鳴
鷹化為鳩
はじめての雨
桃も李も花さいて
倉庚は鳴くよ
鷹も鳩になる季節(詩訳)
*倉庚⋯ちょうせんうぐいす
時候のあいさつなどで、春のことを「山笑う」と書いたりしますが、それも郭煕という、いまからおよそ千年前の中国の画家の言葉から来ています。草が萌え、芽吹き、山が淡い緑にやわらぐさまを、山笑う、と。
笑うというのは、いい言葉だな、とつくづく感じます。漢字の語源をたずねると「笑」と「咲」は、もともと同じ意味だったという説も(白川静『字統』より)。
そう思うと、花が咲きにぎわう春というのは、笑みに満ちあふれた季節でもあるのですね。
「桃始めて笑う」って、かわいらしい季節だと思いませんか?
文/白井明大
詩人。1970年東京生まれ。2008年より、二十四節気七十二候に沿って季節の移ろいを感じる「歌こころカレンダー」を毎年制作。2012年、『日本の七十二候を楽しむ ─旧暦のある暮らし─』が静かな旧暦ブームを呼んで30万部超のベストセラーに。2016年、『生きようと生きるほうへ』で第25回丸山豊記念現代詩賞を受賞。『いまきみがきみであることを』『日本の憲法 最初の話』など、自然や生命や心の自由に関わる著書多数。
イラスト/shunshun
素描家。1978年高知生まれ、東京育ち。広島在住。心に響いた光景を、ブルーブラックのペン一本から生まれる線により、一つひとつ精魂を込めて描く。毎年自主制作している『二十四節気暦』カレンダーのファンは多い。著書に『椿ノ恋文画集』『一條線一片海』など。
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