【週末エッセイ】ジェットコースターのような、働く新米母の日常。
文筆家 大平一枝
第一話:暮らしを整えるのはけっこうタイヘンである
自転車の後ろ姿に大きなエールを
自転車の前に大きな買い物袋、後ろに子どもを乗せて、びゅーんと風を切って通り過ぎて行く若いママの背中をみるたび、「今は大変だけどガンバッテ!」と声をかけたくなる。
通行人やドライバーから憐れみにも似た表情を向けられながら、2輪の、あんな心もとないアナログな乗り物に子どもを乗せて移動せねばならないほど、圧倒的にお母さんたちは忙しいし、余裕がないのだ。でも、必ずその日々に終わりは来るからがんばってね、と言いたい。
私たち親は、最初から母や父だったわけではない。育児は、慣れない親業という行き先のわからない電車に飛び乗り、駅を通過するごとに手探りで、少しずつ乗り方や旅のしかたに慣れていくようなものかもしれない。
ところで、それほど親業はタイヘンなのに、雑誌などで「暮らしを整えましょう」「ていねいに暮らしましょう」という文字をけっこうな頻度で目にする。いやむりだ。整えるどころか、最低限をこなすだけでもいっぱいいっぱいなのに、もっときちんとなんてむりと、弱音を吐きたくなってしまう。
我が家は子どもが大学生と高校生になったので、少しばかり通ってきた道を俯瞰することができる。振り返ってみると、なんとまあ毎日がバタバタであわただしかったことか。「きちんと」の思いきり向こう岸で、先の季節どころか明日のお昼や明後日の夕ご飯の心配をしながら綱渡りで生活しているようなものであった。
漬け物などもしてみたいが、半年後に漬かる食べ物の世話をすること自体、現実味がない。気がつくと夏休みで、ふっとカレンダーをみるとクリスマスが近づいている。そんなジェットコースターに乗ったような感覚が、働く新米母としての日常だった。
忘れられないある夕方の出来事
しかし、手を掛けようがかけまいが、子は育つ。もう少し手をつないでいようよとこちらからお願いしたくなるくらい、あっというまに大きくなってしまう。
私は娘が最後に私に抱きついてきた日のことをはっきりと覚えている。4年前の地元の駅前だ。仕事帰りに、中学から帰宅途中のセーラー服姿の娘を見つけた。名を呼ぶとくるりと振り返り、「あ、ママ!」と駆けよって私の肩に手を回し、とびついた。ぎゅっとしがみつく腕の意外な強さ。思春期の女の子の甘い匂い。そろそろ高さが私と変わらなくなってきた上背。いつまでこうして抱きついてくれるかなと思ったのは、心のどこかでこれが最後かもしれないと予感していたからだろう。
今は私の体型に容赦のない辛口コメントをする彼女に洋服選びを手伝ってもらったり、二人で旅行をする。幼い頃とは違った種類の絆が育ちつつあるのを感じる。彼女が大きくなるのと同時に、手がかからなくなった時間を、暮らしの方にいくらか配分できるようになった。手が離れるのと平行するように、味噌、梅干し、梅ジュース、らっきょう漬けなどが始まった。
とはいえ、まだまだ整えたり、ていねいに過ごすまでには至っていない。子どもの行事は忘れるし、今日のおにぎりは硬かった、長野のおばあちゃんのにぎったほうがずっとおいしいなどと言われる。
それでもいいと思っている。そんな時間さえ、あとわずかなのだから。
暮らしの謎解きを
20年やって少しはお母さんのプロにちかづいたかもしれないが、暮らしのプロになるにはもっと年季がいる。なにせ対象はオールラウンド。衣食住全方向に目を向けなければいけない。どのくらい修行を積んだら、暮らしを整える素敵な人になれるのだろうか。
ゆっくりとりくむのはこの先も難しそうだが、楽しみながら自分流に楽で心地のいい方法を編み出していくことはできる。
最近、尊敬する家事評論家の女性に話を聞いたら、暮らしにルールなんてない。年をとればとるほどそういうことにこだわらなくなっていくもの、自分が楽ならそれでいいのよといわれた。
なあんだ、そうかと思ったら、肩の力が抜けた。年を重ねるのも悪くなさそうだ。
こんな慌ただしい毎日と数々の失敗の末に、ある日ふっと解けた人生の小さな謎の答を6回に分けて綴っていきたい。どうぞ宜しくおつきあいのほどを。
去年かららっきょう作りに挑戦。甘酢はマヨネーズと割ってコールスローサラダに使います。(撮影:大平一枝)
▼大平さんの週末エッセイvol.1
「第一話:新米母は各駅停車で、だんだん本物の母になっていく。」
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