【言葉と生きる】前編:まとまらない言葉でいい。ゆっくり、伝える。(文学者・荒井裕樹さん)

【言葉と生きる】前編:まとまらない言葉でいい。ゆっくり、伝える。(文学者・荒井裕樹さん)

ライター 瀬谷薫子

「頑張れって言わないでほしい」。昔、親しい人にそう言われたことがあります。大学3年、就職活動のさなかで、お互い思うようにいかない日々を送る頃でした。息抜きに会い、話をした別れ際に放った私の言葉に、弱々しい笑顔で相手はそう言いました。

思いがけない反応でした。頑張れ、それは私にとってぽんと肩を叩くくらいの気軽な言葉だったからです。それが文字通り「頑張らなければ」という重みをのせていたこと、親しいはずの人と言葉の解釈がこんなにも違っていたことへの驚きは、時間を経てもなかなか消えないまま心に残りました。


「純粋に人を励ます言葉」は、この世には存在しない?

そんなことを久しぶりに思い出したのは、一冊の本との出会いがきっかけです。「まとまらない言葉を生きる」。障害をもつ方の自己表現を専門に研究する、文学者の荒井裕樹(あらい ゆうき)さんが綴ったエッセイです。


「言葉が壊れてきた」と思う。本の書き出しは、こんな一文から始まります。世の中のSNSやメディアに溢れる言葉に「『魂』というか『尊さ』というか、『優しさ』というか、『尊くてポジティブな力めいたもの』」が薄れてきていると語る荒井さんは、自身が研究を通じて出会った、社会的マイノリティの方々が発した言葉をテーマに、言葉の持つ力を、改めて考察しています。

「頑張れ」のくだりは、著者が東日本大震災を機に、被災した人々の姿を前に、何も言えずにいる自分に「無力感」を感じた経験から綴られています。

「頑張れ」「負けるな」「ひとりじゃない」。メディアが投げかけるさまざまな励ましの言葉も、一方では誰かにとっての辛い言葉になり得るという気づきを経て、荒井さんは「『純粋に人を励ます言葉』はこの世には存在しないらしい」と語ります。


「そこにいるのはさまざまな事情を抱えた一人ひとりの人間だ。だから、ひとつの言葉が全員の心にぴったりと当てはまるなんてことがあるはずない」(P.36)


全ての人を励ますことができる言葉は、この世に存在しない。あの時自分たちがすれ違ったのは価値観の違いではなく、そもそも掛け合う適切な言葉が存在しなかったからなのかもしれないと。それは思いがけない気づきでした。さらに荒井さんはこう綴ります。


「『言葉は無力だ』と絶望することはない。言葉を信じて、『言葉探し』を続けたらいい」。(P.37)


言葉にはときに限界があり、それでも伝えたい想いがあるとき、私たちはどのように言葉を探していけばいいのでしょうか。 「まとまらない言葉」の力を信じ、向き合うヒントを探して、今回は荒井さんに前後編でお話を聞きました。


自分と人には、違う言葉が詰まっている

荒井さんの肩書きは文学者。大学教授を務めながら、障害や病気を抱え、様々な事情で社会において過酷な状況に置かれてきた人々の、言葉をはじめとする自己表現活動を専門に研究しています。このテーマを専門に選んだきっかけは、「自分とは違う言葉をもつ人」との出会いだったといいます。

荒井さん:
「大学院生の頃、授業でハンセン病作家・北條民雄(1914-1937)の研究報告を担当する機会がありました。資料を調べるために、彼が暮らした療養所(国立療養所多磨全生園)に通うようになったんです。

当時(2000年代初頭)の療養所には、戦前のことをご存知の方がまだ多くご健在で、繰り返し話を聞きました。中には辛いエピソードも多くありましたが、それまでの自分が全く知らない世界を生きてきた方の話は新鮮で、それを聞くという体験がとても貴重に思えたんです。

当時の私は大学院に通い、研究と論文漬けの日々を送る、頭でっかちの学生で、自分の言葉で世界のすべてが説明できるとすら思っていました。同級生や教授のように、自分と同じアカデミアの世界にいる人と会話をすることは楽でした。対して、療養所の方たちと話をすることは難しかった。なぜなら、自分とは全く違う言葉が詰まっていたからです」

療養所という場所で、人生の大部分を差別と隔離の中で過ごしてきた人々。たとえば、彼らがいう「人として生きたい」という言葉を、自分はどの程度の深度で理解できるのか。

対話を重ね、論文に記すため、迷いながら通い続けた日々は、「言葉を探す」行為の原点になったと振り返ります。


世の中に在る「まとまらない言葉」を受け入れる

著書で綴られているのは、荒井さんが研究を通じて出合った、社会的マイノリティの方たちの言葉。生きづらさを抱える彼らが自身を表現するために綴った言葉には、強い力を感じます。

荒井さん:
「学者としての自分が書く論文は、明確に筋を通す必要があり、これまで出会ってきた方々と交わした『日々の何気ない言葉』を資料として生かしきれないジレンマがありました。それでも、私にとっては大切な言葉なので、なかったことにしたくない。エッセイという形でなら残しておけると思ったんです」

そうして書かれたのが『まとまらない言葉を生きる』。著者の荒井さん自身もまた、まとまらない言葉を抱える一人のようです。

荒井さん:
「自分の気持ちを言語化する難しさは、私自身も感じています。

子どもの頃、学校の宿題に読書感想文がありましたよね。私はあれが、どうしても書けませんでした。何かに対する感想を求められても、なんと答えるのが適切なのかわからなくなってしまって。

誰かへ贈る寄せ書きの一文とか、何かをお断りしなければならないときのメールとか、今でも何気ない一文が書けず、考え続けてしまうことがあります。

『いま・ここに相応しい言葉』を紡ぐには、本当はもっと奥深くまでその世界に潜り込んでいかなければならない。自分にとって、書くとはそのぐらいエネルギーを使うものだからです」

荒井さん:
「同時に、どんなに潜り込んでもその人のことを100%理解することはできないと思っています。だから、対象のことを完全に理解しなければ書いてはいけないとも思っていないんです。

ただ、せめて自分の発する言葉には責任を持っていたい。もしも間違えてしまったときには、自分が責任を負うと思えるくらいには腹をくくって言葉を使いたいと考えています。

今はいろいろな形で言葉が紡げる時代ですが、私なりに一番しっくりきている手段はやはり、本です。なぜなら、本は書くのに時間がかかるから。右往左往し、迷いながら選んだ言葉は、正解かはわからなくとも、少なくとも責任が持てるものになっていると感じるからです」

言葉を交わすスピードが速くなっていると感じます。かつての手紙はメールになり、今やLINEやSNSへ。キャッチボールが、より円滑で軽やかになるほど、言葉を手早く渡す癖が身について、それは結果、「言葉を吟味する」という大切な時間を削っていたことに、お話を聞きながら気づきました。

”言葉への責任” を持つというと、少し重たく感じられるかもしれません。けれどそれは言い換えれば、自分の使う言葉が、相手に届くと信じること。どうせ届かないと諦めるより、届けたいと願う、その気持ちはきっと誰しも持っているものなのではないでしょうか。

まずは相手の顔を見る。声音や仕草から、気持ちを探る。誰にでも寄り添う便利な言葉が存在しないならば、せめて ”ゆっくり" 言葉を探す 。あの時の自分もそれができていたら、「頑張れ」の手前にある、なにか別の言葉を選べていたのかもしれません。

続く後編は、自分らしい言葉の使い方について考えていきます。


【写真】吉田周平


もくじ

第1話(5月19日)
まとまらない言葉でいい。ゆっくり、伝える。(文学者・荒井裕樹さん)

第2話(5月20日)
たくさんの人より、目の前の人に届く言葉を選ぶ。(文学者・荒井裕樹さん)

荒井裕樹

1980年東京都生まれ。早稲田大学文学学術院教授。作家、文学者。障害者文化論と日本近現代文学を専門にする。著書に『隔離の文学──ハンセン病療養所の自己表現史』(書肆アルス、のちに増補新装版)、『まとまらない言葉を生きる』(柏書房)など。2026年5月に最新作『たった一人の読者を生きる』(柏書房)を刊行。2022年、第15回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞受賞。2025年、第47回サントリー学芸賞(芸術・文学部門)受賞。

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