「そのとき」を見つめて
【「そのとき」を見つめて】後編:老いや死について考えることは、いま生きている時間を深めてくれる

【「そのとき」を見つめて】後編:老いや死について考えることは、いま生きている時間を深めてくれる

いつか必ず訪れる「老い」や「死」について、ときには立ち止まってじっくり考えてみたい。そんな思いから、訪問看護師・写真家の尾山直子さんにお話を伺っています。

前編では、尾山さんが訪問看護師になった経緯や、訪問看護の仕事についてお話ししてもらいました。後編では、尾山さんが仕事を通じて考えてきた「老い」や「死」について、また訪問看護の仕事の傍ら続けている写真作品の制作についても聞いていきます。

前編をよむ

受け入れたり、抗ったり。矛盾があるから人間は愛おしい

人生の晩年を過ごす人々のケアをし、数多くの看取りも経験してきた尾山さん。患者さんたちから言葉や姿を通じて多くのことを教えられてきたと話します。

尾山さん:
「『人生やりきったから、もう早くお迎えが来たらいいのに』なんて、80〜90代の人たちが言っているのを時々聞きます。最期を迎えることを受け入れたうえであっけらかんと言っているなと感じられることも多くて。

もちろん、みんながそういう心境なわけではないとは思います。でも、私が看護師になりたての頃に漠然と思っていた『死の直前は怖い』みたいなことだけではないのかもしれない、もっと幅広い見方があるのかもしれないと思うようになりました。それを知ると少し気が楽になって、『どうやったらそう思えるようになりますか』と聞くこともあります。

老いも死も人にとって自然な流れだと心から思えるのは、現場でたくさんの方から学んできたからだと思いますね」

老いや死は人にとって自然な流れ。その通りだと頭では分かっているものの、家族や自分の変化に苛立ちや悲しみを感じてしまうことも。もちろん年を重ねることを楽しみに思う部分もあるし、ありのままを受け入れるのが潔いことだと思う一方、老いに対してあがいている自分もいるのが事実です。

尾山さん:
「それは自然なことだし、あがいてもいいんじゃないかな。老いに抗うのは、受け入れていくための手段のひとつなんじゃないかなとも思うんです。

あっけらかんと死を受け入れているような人が、小さく老いに抵抗する一面を見せることだってありますから。赤いカーディガンを着て『これ、若く見える?』って聞いてきたり、ドライヤーをかけてもらった後に『若くなったかな』って言ったり。

受け入れてみたり、抵抗してみたり、急に達観したり、そうかと思えば動揺したり。そんな揺れやちょっとした矛盾を抱えているところも魅力的だなあと。多くの患者さんたちに伴走する仕事をしてきて、そういう部分が人間の愛おしさだなって感じています」


こんなに豊かに世界を味わっているんだ

2021年、尾山さんは写真家として初の個展「ぐるり。」を開催。在宅医療を受けていた90代の男性、「えいすけ」さんの亡くなる前の日常をとらえた写真と共に、えいすけさんが綴った日記を展示しました。

2019年3月13日(水)
春になって、桜が咲いて、
心も桜で満開 心に花が咲く 
心まで花が咲く 美しい世界
あたたかで 世界が変わる 良い世界
日々春で花が咲く
栄助にも春が咲く

2019年8月28日(水)
秋のみのりのひとつ、柿。
心は澄む。人生たのし。

2019年10月25日(金)
寒さも徐々に深まり、日々正月に近づいています
私も日々年を重ねています
人生が日々深まり、体験が色々と巡っています
お天気はよく元気でいます

尾山さん:
「えいすけさんは、何年もの間、自宅とデイサービスとの往復の日々で、最後の方は寝たきりに近い状態でした。でも書かれている言葉はすごく豊かで、四季折々の風や空気、光、雨などを感じとっているんです。

普段も患者さんと会話をしていると、私たちが気に留めないような小さな変化を敏感にとらえているんだと思うことがあります。体が自由に動かせなくなり、一見刺激がないような日々の中でも、豊かに世界を味わっているんだなと。もちろん辛いこともあるけれど、一方で日々、小さな喜びやユーモアもあると思うんです」


「人がどういのちを閉じるのか」を知ってもらうために

展覧会「ぐるり。」のほか、2025年には写真文集『耳をすます』を発表。訪問看護の仕事の傍ら大学と大学院で写真表現を学んだ尾山さんは、作品制作を通じて私たちが目を背けがちな老いと死について考えるきっかけをそっと差し出してくれています。

尾山さん:
「今は家で人が亡くなることが少なくなって、大半の人が病院や施設で最期を迎えます。そんな中で、老いや死が日常から切り離されたものになっていると思うんです。そのことが、老いや死がタブー視されたり、いざ自分や家族が当事者になった時に強い当惑や不安が生まれてしまったりすることにつながっている気がします。

老いや死が医療やケアの世界に隠れているのは、社会的な事情だけでなく、プライバシーの保護という意味で患者さんや家族などの関係者を守ることでもあります。でも私は、本人や関係者と対話をし、承諾もきちんと得ながら、なるべく誰も傷つけない方法で、その世界を社会にひらく方法を模索していきたい。

その世界にいる人たちが語ることや見せてくれていることには実はすごく価値があって、多くの人が自分ごととして老いや死を考えるための回路となりうると思うからです」

▲写真文集「耳をすます」。20代〜100代までの60名の耳の写真が「最期に聞きたい音は何か」という問いかけに対する答えと共に収められている。

もうひとつ、尾山さんが制作に携わったものがあります。勤務先のクリニック内の自主プロジェクトチームによる「人のさいご」。「人のいのちがどう閉じられていくのか」、その自然な心身の変化について、当事者である本人を含む、あらゆる人に向けて作られた、やさしい佇まいの本です。

尾山さん:
「それまでも、家族向けに書かれた簡易なパンフレットはありました。でもスタッフが多くの患者さんたちと長年会話を重ね、私自身も直接問いかけられる経験をする中、本人も自分の最期について知りたがっているんだなと分かってきて。家族ではなく、本人が主語のものを作ろうということになったんです」

「死が近いと聞いてから黒いものは見たくなくなったから、カラフルにしてほしい」「重いものは持てなくなったので軽くて持ちやすいものにしてほしい」。制作に当たっては実際の患者さんにも原稿を読んでもらい、助言を得てサイズやデザインなどを決めていったそうです。

尾山さん:
「新聞で紹介する機会があったこともあり、たくさんの人が買い求めてくださっています。多くの人がこういうことを知りたがっているんだと、私たちが教えられました。

実は私の母校の高校でもこれを使ってワークショップをしたんです。生徒からの感想にはみずみずしいものがたくさんあって、中には『人がどうやって生まれてくるかということは学ぶのに、人がどうやって死ぬかを学ぶ機会がなかなかないのはなぜなのか』というものもありました」


「自分自身がどう捉えるかよ」

尾山さん:
「老いや死について考えてみること、先行く人々の言葉や姿から何かを受け取ることは、世界を多面的に捉えたり、今生きている時間を深めたりすることにつながるのでは、と私は思っています。

老いて、やがていのちを閉じる。誰にも等しく起きることだけれど、どう捉えるかは本当に人それぞれ。しかも、答えはひとつに固定できるものでもなく、時代や自分の経験、価値観によって変化していくものだとも思います。

『誰かに言われたことじゃなくて、自分自身がどう捉えるかよ』。先日話したおばあちゃんに教えてもらったことです。

どんな人でも最期を迎える時はひとり。自分自身で死を解釈し、受け入れていく、そんな作業になると思うんです。そしてそれは、それまでどうやって歩んで、考えて、どんなふうに世界や生死を捉えてきたかっていうことにつながっているんじゃないかな」

老いや死とは、想像するよりもずっと多様な形があり、その奥には深い世界が広がっているのかもしれない。そう思うと、どこか不安なまなざしで見ていたものに違う光が当たった気がしました。

よい老い方、よいいのちの閉じ方とは何か、結局答えは出ないまま。不安が完全に消えたわけでもありません。けれど、悩んだり揺らいだりしながら考え続けるその先には、また違う景色が見えるのかもしれない。そう願いながら、日々を積み重ねていけたらいいなと今は考えています。


【写真】馬場わかな


もくじ

尾山 直子

1984年埼玉県生まれ。看護師/写真家。高校で農業を学んだのち看護師の道に進み、複数の病院勤務を経て現在は「桜新町アーバンクリニック」在宅医療部にて訪問看護師、広報として勤務。訪問看護師の勤務の傍ら、2020年京都造形芸術大学美術科写真コース卒業、2026年同大学大学院修士課程修了。かつて暮らしのなかにあった看取りの文化を現代に再構築するための取り組みや、老いた人との対話や死生観・看取りの意味を模索し、写真を通じた作品制作を行っている。 

HP: https://oyamanaoko.studio.site/ Instagram:@n.oyam

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