
自分ひとりのための場所があったら。そんなふうに思ったことはありますか?
都内との二拠点暮らしをしている「ポンナレット」の江波戸玲子さん。ここ葉山の家は、20年前にアトリエやギャラリーとして使うために設けた場所です。
前編では、建築家の中村好文さんに設計をお願いした経緯をお聞きしながら、庭の様子を見せていただきました。
後編ではキッチンや2階をぐるりと拝見しながら、この場所が江波戸さん自身を取り戻すきっかけになっていったお話をお聞きします。
前編をよむここは、自分でぜんぶ、決められる場所
▲暖炉の前に置いたチェアは吉村順三氏が発案し、中村好文さんも共同開発に携わった「たためる椅子」。壁には図案家だった祖父の絵を。
この家をつくるとき、江波戸さんは「自分でなんでも決められる場所が欲しかった」のだと話してくれました。同時に、「ひとりになれる場所が欲しかった」とも。
江波戸さんは大学卒業後、国際線の客室乗務員として社会人のスタートを切りました。勤務地は大阪、相部屋の寮住まいです。だからこの家は、はじめてのひとり暮らしの場所でもあったのです。
▲ゆるく弧を描いたダイニングテーブルは、端に座る人も自然と中心に顔が向くようにという中村好文さんの思いから。
江波戸さん:
「早くに結婚し、しばらくは仕事を続けていましたが、一度フライトに出たら10日は戻れないでしょう。夫は専業主婦を希望する考えで、結局3年ほど働いたころに退職したんです。そのうちに子育ても始まり、夫について2年ほどアメリカで暮らした時期もありました。
でもね、やっぱりじっとはしていられない性分だったみたい(笑)。子どもが4、5歳になる頃には、また仕事を始めていました。
家庭、子育て、そして仕事。周囲の手を借りながらあっちこっちと調整する毎日で、ひとりになれる時間はまったくありませんでした」

誰かと暮らすということは、働く時間も出張も、自分だけのタイミングでは決められません。
家族がいれば当然のこと。頭ではそう理解していても、自由にやれるひとを見ると、うらやましく思うことがわたしにもあります。
江波戸さん:
「もともと、自分でなんでも決めてさっさと進めるほうが性に合っているんです。
思えば、はじめてお給料をもらったときのよろこびといったら。なんでも自由にできるんだ!ってうれしくてたまらなかったのを覚えています」
現在は、即決で引き受けたイタリアでの個展準備の真っ最中。カンボジアから戻った翌週、今度はインドへ、なんてこともあるくらいです。
「あきれ顔の夫に、『まあまあ、そんなこともあるのよ』って軽く交わす術も身につけちゃったわね」と、いたずらっぽく笑いました。
ひとりの時間も、ゲストと楽しむ時間も受け止めるキッチン
▲天井についたシルバーの輪っかは換気扇。直線に囲まれた空間のなかで、曲線がモダンなアクセントに。
葉山の家は、母でも妻でもない、ひとりの「わたし」として生きる拠点となりました。
この家で、いちばん長く時間を過ごす場所を尋ねると、迷わず「キッチンのカウンター」と江波戸さん。
江波戸さん:
「朝は、まず紅茶を淹れて、それから窓を開け放して朝ごはんを食べるんです。
日中も、ここに座って庭を眺めながら仕事をして、ときどき料理をして、夕方になったらワインを飲んで。どんなときも、ふと横を見たら庭が見えるでしょう。この家で、いちばん気持ちのいい場所です」

静かに過ごす一方で、この家はたくさんのひとたちとの出会いの場所でもあります。ギャラリーとしての開放はもちろん、知人、友人が訪ねてきては入れ替わり立ち替わり、大勢でキッチンに立つこともしょっちゅうです。
江波戸さん:
「うちはゲストにもお手伝いしてもらうスタイルです。切る人、焼く人、洗う人……って、8人くらいが同時にキッチンに立つことも。
それでも快適に過ごせるのは、さすが中村好文さんのキッチン。この吊り戸棚も、すべてが引き戸だから頭をぶつけることもなく快適だし、中を見渡しやすいのも便利です」
▲棚上のスペースには、かごや大皿などを飾るように並べています。
途中、お茶とお菓子を用意してくださった江波戸さんが、わたしたちに声をかけました。
「ちょっとその引き出しからフォークを用意してくださる?」

カウンターのリビング側には、カトラリーが収納してありました。
よそのお宅のキッチンを触らせてもらうのはちょっと緊張しますが、これなら自然に準備に参加でき、ゲストとの心の距離も一気に縮まりそうです。
みんなで作って、食べて、片付けて。ちいさなことだけれど、この家にひとが集まる理由がまたひとつ、わかった気がしました。
共に関わり合ってきたひとたちの家具やアートに囲まれて

この場所が、はじめて訪れるひとにもどこかフレンドリーな気持ちにさせてくれるのには、ほかにも理由があります。あちこちに置かれたアート作品です。
ダイニングテーブルの上に揺れていたのは、葉山で活動する真鍮作家コナヤさんのワイヤーアート。
リビングの入り口にかけているのは、鹿児島にある「しょうぶ学園」による「ぬいプロジェクト」の作品です。

江波戸さん:
「福祉作業所のひとたちが作るアートのパワーに惹かれ、10年以上現地に何度も通うようになりました。2012年には利用者のみなさんを招いて、展示やトークイベントを行ったんです」

ソファには、ラオスの手織り布でつくったクッションカバーが並んでいます。
どれをとっても、「これはね」と、つながりのエピソードがこぼれだす、人の手から生まれたものばかりです。
富士山と海を望む、読書と眠りのための寝室

リビングのある1階から階段を上がると、寝室の入り口の壁一面に大きな本棚がありました。
中村さんの手がけた階段椅子に合わせて、入居後、新たに作ってもらったものです。

寝室に入ると、こちらにも大きな本棚と、あちこちにお気に入りのアート作品があります。
日中は庭を眺めながらキッチンで過ごし、夜は早めにベッドに入り、たっぷり読書を楽しむ。この家での楽しみのひとつです。
▲ベッドサイドに置いたのは、福祉作業所「空と海と」の利用者によるアート作品。「リンゴ箱を持ち込み、そこにペイントと詩を施してもらいました」
▲三浦半島で活動する「再転」の棚に、カンボジアの手織り布「クロマー」でつくったぬいぐるみをちょこんと飾って。

朝に夕に、江波戸さんは寝室のベランダから景色を眺め、気持ちのいい空気を吸い込みます。この葉山の家は、江波戸さんにとってエネルギーをチャージするような場所です。
江波戸さん:
「ここから見る夕焼けもいいんですよ。こうして外を眺めていると気持ちが良くて、しあわせだなあとしみじみ感じます。自然と口に出ちゃうんですよ。『アイム・ソー・ハッピー!(なんてしあわせ!)』って(笑)」
自分で選んだものが、いまをつくっている

江波戸さん:
「そういえばこの家をつくるとき、そもそも展示の場としても使うつもりだったので、ギャラリーらしい雰囲気にしたほうがいいのかしらと思っていたんです。作品を飾りやすいよう白壁のスペースを増やしたり、ピクチャーレールを取り付けたり。
でも中村さんは、『ギャラリーこそ、家らしくしましょう』とおっしゃいました」
▲赤い花の絵は、画家・三岸節子氏の作品。ときどきこの壁を使ってプロジェクターで映画を楽しんでいます。
あれから20年。いま、江波戸さんはこれでよかったと心から感じているそうです。
外と内とがシームレスに溶け合う風通しの良い家。庭の木々、床板の色合い、折々に関わり合ってきたアーティストたちの作品。家は住まいになり、そしてさまざまなひとが思いを寄せて集い合う「場」となりました。
そしてその一つひとつが、江波戸さんが自分の意思で選び取ってきたものです。
ここが、老後をゆっくり過ごす終の住まいにもなるのでしょうか? そう聞こうと思ったら、江波戸さんが言いました。
「実はね、イタリアに長期で滞在してみたいと思っているんです」
どうやらまだまだ、江波戸さんの人生は新しいことがはじまっていきそうです。

【写真】長田朋子
もくじ


江波戸玲子
「PONNALE(ポンナレット)」主宰。ラオスやカンボジアの手織り布を用いたオリジナルの着物や帯、小物などを手がけ、不定期で「葉山の家」や全国のギャラリーやショップで展示・販売している。2026年7月31日〜8月6日鎌倉「KAMAKURA meet」、9月18日〜22日東京・自由が丘「CHECK&STRIPE」にて展示を予定。http://www.ponnalet.com/