【スタッフコラム】「言いたいこと」と「伝えたいこと」は違うから。前に進むための、お手紙習慣。
編集スタッフ 齋藤
会社に常備している便箋。取材先の方などにお礼をするときに使っています。
手紙を書くと、前を向ける気がします。
ときどき手紙を書きます。そんなにたくさんを書くわけではないですが、半年に一回くらい無性に書きたくなり、それは決まって落ち込んでいるとき。
お世話になっている方はもちろん、一緒に住んでいる人にまで送る場合もあります。
手紙は貰える側も嬉しいですが、不思議と送るときの方が救われている気がするんです。
前に進める言葉と、行き止まりになってしまう言葉がある気がして。
落ち込んでいるとき、わたしはよく「絶対」や、「しない」「やらない」「〜だ」などの強い言葉が頭に浮かびます。なぜそれが起きるのかといえば、おそらく自分で自分を守ろうとしているから。
環境が変わって一気に孤独に襲われたとき、人生が停滞しているような気がしてこのままの自分でいいのかと不安になったとき、身近なひととの関係がうまくいかなくなってしまったとき、ネガティブな気持ちにとらわれたくなくて、必死になって強くてわかりやすい言葉を使う。
けれど気づけば、結局その言葉のせいでがんじがらめになっているのです。
わたしは、言葉には次へと進ませてくれる「開いた言葉」と、人を行き止まりにしてしまう「閉じた言葉」があると思っています。
強い言葉はどれもこれもかたくて窮屈な「閉じた言葉」。だからこの言葉が出てきてしまったとき、注意が必要だなと思うのです。
小さい自分から、離れたくて。
行き止まりになってしまったらどうにかしてそこから離れなくてはならない。でないとずっと落ち込んだままかもしれない。
でも、どうやって離れたらいいのか。
「則天去私(そくてんきょし)」というのは夏目漱石が残した言葉ですが、「天に則り、私を去る」と読み、私心を捨て去り、自然の法則や普遍的な妥当性にのっとって生きることを意味します。
よく「客観的に自分を見る」や「一歩引いたところから見てみる」なんて言いますが、それをしてさらにそこで感じた大義のようなものを行動にうつせたところに、この言葉が示すものがあるように思うのです。
わたしはこの感覚に向かうことが、行き止まりから抜け出す方法のひとつだと思っています。
そして「手紙を書く」という行為こそ、わたしをこの「則天去私」にまで導いてくれるのです。
封筒に入れる文香。おばあちゃんの家のような懐かしい香りです。
「言いたいこと」と「伝えたいこと」は違うから。
手紙を書いていると一時の感情を原動力とした「言いたいこと」ではなく、もっと大きなものに突き動かされた「伝えなくてはならないこと」が不思議と自分のうちから溢れてきます。
たとえいさかいの末に別れた相手だったとしても、自分の損得を離れて考えてみたとき、また違う意味があることに気づく。極端な話「伝えたいこと」は「言いたいこと」の真逆だった、なんてこともあります。
先ほど書いた「強い言葉」というものは、どれもこれもただ「言いたいこと」でしかないのかもと思うことも。
よく知人の結婚式に出ると花嫁さんの「ご両親への手紙」に泣いてしまうのですが、これも「伝えたいこと」に満ちているからかもしれません。たとえ別れがつらくても、変化することにストレスがあれど、みんなもっと大きな尊い流れのなかで暮らしている。
手紙は多くの場合、相手の手元に残ります。だからこそ、長い目で見て残るものを書こうと意識せざるを得ない。
覚悟をもって言葉を使うとき、そこには普遍性のようなものが生まれるのかもしれません。落ち着いてペンを持ち、そして時間を掛けて書いたことの中には、前へと進ませてくれる「開いた言葉」が溢れています。
だからわたしは落ち込んだ日、わたしを去って、誰かに手紙を書くのです。
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