【金曜エッセイ】待てない私、に気づく旅(文筆家・大平一枝)
文筆家 大平一枝
第十九話:待てない私、に気づく旅
先日、イギリス行きの飛行機に乗った。機内では、イヤホンをつけて、目を閉じ、ゆっくり音楽だけの世界に浸るのを何よりの楽しみにしている。機内音楽は、ふだん聴かないものをじっくり楽しめる。ここで初めて魅力を知ったミュージシャンや楽曲も数多く、食わず嫌いを反省する機会でもある。
ところで、今回利用したブリティッシュエアラインの機内音楽は、日本のそれより曲と曲の間がわずかに長い。あくまで私の肌感覚なので、正確なところはわからないが、往路も復路も、微妙に無音が長いと感じた。
私はこれに、なかなか慣れなかった。1曲終わり、静寂が続くと「あれ?故障かな?」「プログラムが終わったのかな」と、とたんに慌てて、リモコンをいじりだす。ふと、『天声人語』(朝日新聞)の、最近のポピュラー音楽は前奏(イントロ)が以前より短くなっている、という記事を思い出した。スマホで、ちょっとつまらないと飛ばす癖がついているため、長い前奏は飽きられやすい。興味を早めに引こうと、すぐに歌い始める構成になっているという。アメリカの大学の研究によると、イントロの平均時間は、この30年間で20秒から5秒に縮まっているそうだ。ちなみに1976年の『ホテル・カリフォルニア』(イーグルス)のイントロは50秒だ。
スマホのせいだけではあるまい。私自身に堪え性がなくなってきていると、機内音楽からも痛感した。
さて、この旅ではイギリスからアイルランドのシャノンという小さな空港に乗り継いだ。ところが日本の地方空港のようなこじんまりとしたそこで、待てど暮らせど私のスーツケースが出てこない。
ロストバゲージであるとわかったのは、バゲージレーンから人々が荷物とともに消え、ぽつんとひとりふたり取り残されてからだ。
私は慌て、取り乱した。取材者への土産も今日のパジャマもパソコンのコードも全部入っている。明朝から仕事なのに、絶対困る。つのるイライラをなんとかこらえつつ、窓口に行くと、担当の女性が一人。事務的に慣れた手付きで、ロストバゲージの手続き用紙に記入するよう促した。不遜な態度ではないが、かといってわるびれたふうでもない。
みると、さきほど取り残されていた30歳位の男性と、40代くらいの女性も同様の用紙に記入している。怒るでもなく、クレームを言うのでもなく。淡々とした表情。よくあるとはきいていたが、小さな一便で3人のロストバゲージは、日本では考えられない。
乗り換えの機内で、東洋人は私ひとりだったが、西洋人は皆ロストバゲージに慣れているのだろうか。それともアイルランドの人は、気が長いのだろうか。
カタコトの英語で必死に「仕事で来ている。今日着かないと困る」と訴えると、「最終便で届くと思う」とのこと。「思う」では困る、どこまで信頼していいのかと、またカタコトで。
30分ほどやり取りして、しんと静まり返った到着ゲートを、肩を落としとぼとぼと歩いてくぐり、迎えに来ていた知人に事情を話していた。と、さきほどのロスバゲ仲間のアイルランド人男性が「羽田からですよね? 僕もそうです」と、カタコトの日本語で話しかけてきた。気持ちがほどけ、「わ! 日本語お上手ですね。いきなりロスバゲで、ショックでした。また空港に取りに来るのも大変ですし、こんな事があるなんて信じられません」と興奮気味に愚痴った。
彼は、「僕のもあなたの荷物も、きっと最終便では届きますよ。しかたないですね。アイルランドは初めてですか? どのへんに行かれますか?」と穏やかな口調で尋ね、最後に「アクシデントはありましたけれど、どうかアイルランドを嫌いにならないで。いいところなので、旅を楽しんで下さい」と微笑み、去っていった。
ロスバゲを怒っていなかった。それどころか同じ境遇なのに、励まされてしまった。その瞬間、ネガティブなできごとが変容した。半月経た今では、いい記憶にさえすり替わっている。
もうひとりのロスバゲ女性も、穏やかな表情だったな。
私よりずっと待つことが上手な人達。東京でもわりとのんきに暮らしている方だと思っていたが、自分の度量の狭さが恥ずかしくなった。知らぬうちに、カリカリしやすく、待てない人間になっていた。
荷物は最終便で無事届き、その夜はパジャマを着て床につけた。ほっとしてすぐ眠りに落ちた。
文筆家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。『天然生活』『dancyu』等に執筆。近著に『届かなかった手紙』(角川書店)など。朝日新聞デジタル&Wで『東京の台所』連載中。プライベートでは長男(22歳)と長女(18歳)の母。
▼大平さんの週末エッセイvol.1
「新米母は各駅停車で、だんだん本物の母になっていく。」
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