【金曜エッセイ】美しい買い物、とは。
文筆家 大平一枝
第四十三話:美しい買い物
釘付けになるというのは、ああいうことを言うんだろう。
ある雨の日、目の前を歩くカップルの女性の後ろ姿に吸い寄せられた。見たこともないかっこいいレインブーツを履いていたのだ。
漆黒のロングで後ろに真っ赤なラインが縦に入っている。驚くべきはソールの色で、ラインと同じ赤色をしている。それが歩くたびちらちらと見えて、艶っぽくて粋なのだ。
正面から見るといっけん普通の黒いレインブーツなのに、後ろ姿や足裏に遊びごころがある。
私は機能性とおしゃれを兼ね備え、雨の日が楽しくなるレインブーツを何年も探していたので、思わず「どこのブランドですか」と話しかけたくなったが我慢我慢。
写真を撮るのも失礼なので、しっかり目に焼き付けようと凝視した。
カップルは楽しそうに語らいながら、路地に消えていった。
ウェブで検索すればすぐ見つかるだろうと高をくくっていた。
ところが。
色、フォルム、思い当たるキーワードでどんなに検索しても見つからない。英語、イタリア語で海外サイトもしらみつぶしに探した。調べ物が多い仕事柄、検索能力には自信があったが、いとも簡単に崩れた。
以来、ひまがあると記憶を頼りに検索をかけるが、似て非なるものばかり。気づいたら3ヶ月を経ていた。ウェブですぐ見つかると思っていた自分が恥ずかしくなった。なんでもクリックひとつで検索できると思ったら大間違いである。世の中は、まだまだわからないことだらけなのだ。
記憶の残像は薄まりかけているのに、欲しい気持ちはどんどん強まる。
断捨離だ、ミニマムだと騒いだこともあった自分が、こんなにモノが欲しいと思ったのは久しぶりである。
いつもは忘れていても、雨が降ると、あの素敵な黒と赤のレインブーツを思い出し、検索を始める。
その過程が、けっこう楽しかった。
そして、とうとう私は商品にたどり着けたのである。北欧のものかも?と検索したらビンゴ! デンマークのブランドだった。
さてここからも、道程は長い。
その型は最近廃番になっていた。日本の直営店、全国のセレクトショップを探し、電話をかけても在庫なし。ようやくアウトレットサイトに一足だけあるとわかり、最後はショップの人から「いまから5分後にクリックしてください」とアドバイスをもらい、ようやく入手できた。「買えました!」と返信したら「よかったですね。天然ゴム製なのでお手入れが必要ですが、それさえしていれば長持ちします」とすぐ返信が来てまた嬉しくなった。
はたして手元に届いたときのあの高揚。ときめき。歓喜。それから半年経つが今も、雨のたび、あの興奮が蘇る。
長く大事に使える素敵なモノとの邂逅はやっぱり胸がときめく。
若い頃から、長靴に1万円以上かける勇気がなかった。たまにしか履かないものより、いつも使うものにまわしたいとつい節約してしまう。結果、履き心地の悪いレインブーツを何度も買い替えてきた。
安くない買い物だったけれど手入れをきちんとすれば(専用のクリームをあわせて購入)一生モノになる。私はこの年でようやく、良いレインブーツを買えるようになったと感慨深い。
理想の一足のおかげで私はずっと嫌いだった雨の日がちょっと好きになった。これをお読みいただく頃は梅雨は明けているだろうか? もう少し履きたいのだけれど。
文筆家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。『天然生活』『dancyu』『幻冬舎PLUS』等に執筆。近著に『届かなかった手紙』(角川書店)、『男と女の台所』(平凡社)など。朝日新聞デジタル&Wで『東京の台所』連載中。一男(23歳)一女(19歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
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