【57577の宝箱】何度でもあなたのことを好きになる そんな新たなわたしでいたい

小説家 土門蘭


近所に、大好きなパン屋さんがある。

この街にわたしが引っ越してきたのと、そのパン屋さんがオープンしたのはほぼ同時期で、まだ新しい家に慣れていないころ、お昼を買いに行ったのがはじまりだった。

買ってきたベーグルを一口食べて、驚いた。もっちりして、じんわり甘くて、噛めば噛むほど味わい深い。食べ終わるとお腹だけでなく心も満たされるようで、こんなにおいしいベーグルを食べるのは初めてだと思った。
そのあとシナモンロールを食べても、サンドイッチを食べても、食パンを食べても、毎回「こんなにおいしいパンは初めてだ」と思った。そんなことはこれまでになく、わたしはすっかりファンになってしまった。そんなパン屋さんが近所にあるというのは、とても幸運なことだ。

§

あまりに好きすぎるので、家に友人が遊びに来ると、よくこのパン屋さんに連れていく。するとみんな、あっという間にファンになる。自分の好きな人たちが、自分の好きなお店を好きになってくれるのは、とても嬉しい。

ある友人にいたっては感動しすぎて、店主と話がしたいと言い出した。通いつめていたわたしだって話したことないのに……とどぎまぎしていたら、店主が出てきて優しい笑顔で対応してくれた。驚いたことに彼はまだそのとき20代で、それを知ってわたしは「天才だ」と思った。このパンをこの若さで作れるなんて信じられない。

人懐こい友人はすぐに店主と仲良くなって、近々一緒に飲みに行くことになった。一緒にお店を切り盛りしている奥さんも来てくださるという。
近所のタイ料理屋さんに行き、ビールで乾杯した。いちお客さんだったのに、急に距離が縮まり戸惑っていたのだけど、目を輝かせながらメニュー表を見る奥さんと、出てきたものをどんどんおいしそうに食べる店主を見ていたら、楽しくなってきてたくさん話をした。あなたたちのパンの大ファンなのだ、ということももちろん伝えた。こんなにおいしいパンが作れるなんてすごいことだ、と。

すると奥さんが、
「この人、本当にパンが好きなんです」
と言った。
「寝る前にはいつも、Instagramでパンの写真を眺めているんですよ。海外のパン屋さんの写真をチェックしては、『これはいいパンだ』とか言って寝るのが日課なんです。自分でパンをつくるときも『今日のパンはかわいく焼けた』なんてよく言ってるし」

その横で店主がさも当然だという顔で頷いているので、わたしはつい笑ってしまった。この人は、本当にパンが好きなんだなと思う。そんな愛されたパンだから、食べるとあんなに幸福な気持ちになるのだろう。

§

そこまでグルメに詳しくないわたしですらこうなので、もちろんそのパン屋さんはすぐに大人気になった。全国誌でも取り上げられ、最近では行列が絶えないお店になっている。「今日こそあそこのパンが食べたいな」と思っても、ふらっと寄れる感じではなくなった。少し寂しい気もするが、おいしいのだからしょうがない。それに加え、ちょうど自分も忙しい時期に差し掛かったこともあり、自然と足が遠のいた。気づけば3か月以上、そのパン屋さんに行っていなかった。

だけどつい先日パン屋さんの前を通ると、行列が途切れているのを発見した。わたしはすぐに自転車を停めて、中に入る。店内に並ぶ、定番のベーグル、フォカッチャ、シナモンロール。黒板に書かれたサンドイッチのメニュー。久しぶりに来たなぁと思いながら、ハムサンドとシナモンロールを注文する。

帰り際、店主が出てきて挨拶をしてくれた。
「いつも行列ができていたから、なかなか来れなくて」
と、どこか言い訳じみたことを言うと、
「最近はちょっと落ち着いてきました」
と相変わらずの優しい笑顔で返された。
「また是非来てくださいね」
そう言われ「また来ます」と約束した。

§

家に帰り、さっそく買ってきたハムサンドにかじりつく。
その瞬間、「!」と声にならない声が出て、まじまじと噛み切ったばかりのサンドイッチを見つめた。なんだか不思議な味がする。だけどすごくおいしい。何だろうと思いパンをめくると、ハムの上に甘夏とりんごのジャムが塗られていた。びっくりして、思わず笑ってしまう。惚れ直すおいしさだなぁ。そう思った瞬間、ふと、涙が出そうになった。

わたしがこのパン屋さんを好きになったのは、「こんなにおいしいパンは初めてだ」という驚きをくれたからだった。そしてその後も好きでい続けられているのは、店主がその驚きをわたしに与え続けてくれていたからだったのだと、このとき改めて実感した。行列ができるほど人気が出て忙しいだろうに、そこに甘んじることなく、新しい喜びを作り続けている。その姿勢に感動して、わたしは泣きそうになったのだった。

「この人、本当にパンが好きなんです」
数年前、奥さんがそう言ったのを思い出す。あれからもずっと、どんなに忙しい中でも、彼はパンを愛し続けてきたんだろうなと思う。一番パンに近い彼がずっとパンを好きでい続けられているのは、彼自身がパンのおいしさを飽くことなく探求し、惚れ直し続けているからなのだろう。

わたしもそんなふうに、自分の生活や仕事を愛せたらいい。

そんなふうに思わせてくれるパン屋さんが近所にあることは、やっぱりとても幸運なことなのだ。

 

“ 何度でもあなたのことを好きになるそんな新たなわたしでいたい ”

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 

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