【57577の宝箱】ささやかな儀式をひとり執り行う ありふれた日々に幸多からんと
文筆家 土門蘭
節目というものがどうも苦手だ。
誕生日とか、記念日とか、年度末・年度始まりとか。
何か特別なことをしないといけないと思ってしまうのだろう。
でも何をすればいいのかよくわからない。そのくせ、人からのお祝いを期待したりして、身近な人に記念日を忘れられると不貞腐れてしまう。
そういう「節目にやたら期待して空回りしてしまう」ところは、自分の嫌なところのひとつ。未熟なところだと思う。
そんなとき思い出すのは、幼少期、母に誕生日をお祝いしてもらえなかった日のことだ。
母はスナックを経営しているのだけど、ある年、誕生日に休みをとってお祝いしてもらう約束をしていた。すごく楽しみにしていたのだけど、直前に急に予約が入って、母は結局仕事に行ってしまった。
母からはちゃんと謝ってもらったし、翌日にはお客さんからも大きなケーキが贈られたけれど、そのときの大きなショックは今でも覚えている。
我ながら執念深いが、なんとなくそれ以来、節目のお祝いを期待しつつも顔には出さない、そんな癖がついてしまった。
期待していても仕事が入ればあっけなく約束は破られてしまう。そんなふうに思ってしまって。
§
その癖とちゃんと向き合ったのは実は最近のことで、フリーランスになった時だ。
2020年の4月1日に開業届を出して、私は晴れて個人事業主となった。
税務署からの帰り道、ひとり自転車で走りながら、
「どうしよう。今日が開業記念日になってしまった」
と思った。どうしよう、何かお祝いしなくては、と。
別にお祝いなんてしなくてもいいのはわかっている。世の中には、誕生日や記念日を「ただの普通の1日」として捉える人がいるってことも知っている。
だけど、私はちゃんと節目を祝ってほしい人間なのだと、よくよくわかった。「ちゃんとお祝いして!」という声が、自分の中からくっきりと聴こえたのだ。今この記念日を知っているのは、私しかいない。だからこそ、その声が真っ直ぐ私に届いたのだろう。
そのとき、「自分をちゃんと祝ってあげよう」と思った。
個人事業主でひとりでやっていることだから、会社や学校のように仲間たちと賑やかに祝うことはできないけれど、今日からは私が私の「節目」をささやかにでも祝ってあげよう。
親が子供のためにさまざまな行事をするように、これからは自分が自分のためのお祝いをちゃんとやってあげるのだ。
そう思った瞬間、なんだか気が引き締まった。
§
とはいえ、何をすればいいのかやっぱりわからない。お祝いって何すればいいの?と思う。
自転車でウロウロと街の中を走りながらふと、
「そうだ、お寿司を食べよう」
と思いついた。
お祝いと言えばごちそう。ごちそうと言えばお寿司。
お寿司を食べれば、なんとなくお祝いっぽくなるのでは?
そんな単純な考えのもと、私は近所のお寿司屋さんへ向かった。近所と言っても、普段ひとりでいるときにはほとんど外食をしないので、自分にとっては思い切ったことだ。
お寿司屋さんでメニューを開き、ランチコースのメニューを見比べる。少し緊張しつつも、松竹梅がある中から「松をください」と言った。
今日は大事な日だもの。自分においしいものを食べさせてやろう。その方がなんだかお祝いっぽい。
お寿司は、素晴らしくおいしかった。
一貫一貫がキラキラしていて、新鮮で食べ応えがあった。
私はひとりで感動しながら、ゆっくりと味わう。なんだかものすごい贅沢をしているような気になり、この日が特別な日になったことを実感した。
私はずっとこういうことに憧れていたんだな、と思った。
ちゃんと記念日をお祝いしてもらうこと、節目に特別なことをすること。
「これからは、毎年ここでお祝いしよう」
心の中でそう決めたとき、幼い頃の自分が喜んでいる気配がした。
§
これを書いている今は、2022年の4月1日だ。
今日で私は、個人事業主になってちょうど2年が経った。
朝には、毎月1日に行っている神社へのお参りをしてきた。そこでひとり、神様にこれまでのお礼とこれからの抱負について伝えてきた。これもまた、自分にとっては小さな節目の儀式なのだと思う。
今はお昼時で、このあとは例のお寿司屋さんに行くつもりだ。
実は仕事が立て込んでいて、正直なところささっと家で済ませてしまいたい気持ちもあるけれど、自分との約束を破るわけにはいかない。「今日は大事な日だよね」とワクワクしている自分が心の中にいるから。
さて、そろそろお寿司屋さんへ向かおうか。
私よ、開業3年目おめでとう。
“ ささやかな儀式をひとり執り行うありふれた日々に幸多からんと ”
1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。
1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。
私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。
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