
私たちは、毎日ただ過ごしているだけでも、うつくしいもの、快いもの、そうじゃないものを、感じ取りながら生きています。
日々の暮らしを支える活動やモノを通じて、美を捉える「日常美学」は、哲学の一分野である美学の中でもとりわけ新しい領域。そこには「暮らし」を見つめ直す、大切なヒントがあるかもしれません。
私たちの生活のなかでの感性のはたらきについて哲学的研究を行っている、美学者の青田麻未(あおた まみ)さんにお会いしてお話を聞いてきました。
後編は、「感性はいかに磨かれるのか?」という問いからはじめてみます。
前編から読む感性は、いかに磨かれるのだろう?

「感性のはたらきには、いくつのもの謎がある」と青田さんの本には書かれています。
代表的な謎のひとつは、どんな条件が揃っていれば人は対象に美を見出すのかの「法則」がない、ということ。
たとえば、シャガールの絵を観て心が震えたとき、それは、青い絵の具を使っているから、動物が描かれているから、といった単純な法則で説明できるものではありません。
それにもかかわらず、シャガールの絵を美しいと感じる人はたくさんいて、そこには「共通性」がある、と考えることもできます。

そして、もうひとつの大きな謎は「感性がいかに磨かれるのか」ということ。
青田さん:
「日常的にも、感性を磨くと言いますし、実感としても、知識や経験が深まるほどに、美や美的なものを見出す糸口も増えていくように思われますよね。
けれども、振り返ってみたときにも、いったい何が自分の感性を変化させたのか、はっきりと説明したり、その道筋を辿ることはとても難しいのです。
このような『感性の謎』を明らかにしていくことも、美学=感性の学のひとつだと言えます」
「わからなさ」に、価値がある。

青田さん:
「美学の授業で、学期のはじめにアンケートをとると『この講義を通して感性が磨かれることを期待しています』とよく書かれていて、申し訳ないのですが、私はいつも『すぐには無理だよ』と伝えています。
自分を振り返っても、手軽に手に入れた知識って、驚くほど早く忘れ去ってしまう。反対に、『これってどういうことだろう』と立ち止まったこと、胸に引っかかるモヤモヤとしたものに、考え続けたくなる価値があると思います。
私の著書にも、いかに感性を磨くことができるのか、その答えは出ていません。読んだらすぐにあなたも感性が磨かれてセンスのいい家に住めます、という本ではないのです。
でも逆に言うと、よくわからないけど面白いな、長い時間をかけて考える価値があるな、と思ってもらえたら嬉しいです」
手を動かすこと。型通りにいかないこと。

青田さん:
「感性を磨くという言い方よりは、そうですね……、感性を "つくる" のであれば、実践が大事だと思うんです。
たとえば、好きな雑貨を買ってきて並べてみること。本や雑誌を見て、こんなインテリアにしたいと真似してみること。いざやってみて『何か違う』と気づくこと。何度も、こうかな、ああかな、と時間をかけて、手を動かすことが大事なのではないでしょうか。
私は日常美学を研究していますが、それによって自分自身の感性が良くなっているとは、まったく思っていなくて(笑)。そういう意味では、趣味の生け花のほうが、役に立っているかもしれません」

青田さん:
「生け花には、先人たちが長い年月をかけて築き上げてきた型があり、初心者はまず型を学び、それ通りに手を動かします。
けれど実際に花を生けるときは、型をふまえつつ、最後は自分で判断しなきゃいけない。それが生活ともすごく似ていると思うんです。
現代の私たちは時間に追われていますし、思い通りにいかないことも多々あります。自分のスタイルを持っておくと、そういった予期せぬノイズに、『自分はどうしたいか』を考えることができます。
なので実践といえども、まず基盤となる自分なりのスタイルを持つことが大切ではないでしょうか。誰かの型を、真似するところからはじめてみてもいいかもしれません。
生け花も、暮らしも、型通りにいかないのが面白いところ。この『実践の構造』に気づかせてくれるのも、美学の面白さのひとつだと思います」
日々少しずつ、終わりなき改善に取り組んでいく。

感性を考えるうえで、「時間をかける」という視点も重要だと、青田さんは続けます。
青田さん:
「実は、これからの私の日常美学の研究は、突き詰めていくと、『時間の美学』になるんじゃないかなと思っているんです。
日常生活を繰り返すことも、ルーティーンをこなすことも、実践していくことも、結局は『時間をどう扱うか』という問題に繋がります。
たとえば、掃除。美学の世界では、きれいな部屋という結果よりも、その場所を整えていくプロセスを『体験』することが重要だと考えられています。それには、絶対に、時間が必要です。
近代的な社会では、効率性や生産性ばかりに価値がおかれ、時間は均質的で単線的なものとして捉えられてきました。
けれども日常は、日々少しずつ終わりなき改善に取り組んでいくしかありません。そこには、近代社会の求める時間とはちがう豊かさがあるように思います。
日常美学が行き着くところは、そうした『時間をかけること』の美学になっていくかもしれません」
私たちは「人生」という作品を作っている?

感性をつくるとは、時間をかけて、少しずつ終わりなき改善に向き合うこと。
ならば、この一度きりの人生も、私たちが時間をかけてつくっていく一つの作品のように捉えることもできるのでしょうか。
青田さん:
「それは難しいところですね。人生を芸術作品に例えられるかどうかは、美学のなかでも議論が続いているテーマで、まだ結論は出ていません。
そもそも芸術作品とはなにか、ということ自体が大きな問いです。ですが、特にゆらぎや偶然性の存在という部分に目を向けると、芸術作品と人生には似ているところがあると思います」

青田さん:
「少し話が変わりますが……、こちらのサイトで以前、70代で葉山に移住された方の記事や、長年ご自宅で庭をつくってこられた方の記事を読みました。
彼らのお話から振り返ると、実は私たちの暮らしも、変わり映えしないように見えて、たくさんの不確定さがあり、作り替えることの連続なのだと気づかせてもらえます。
私もここ数年、育休から復帰して、子育てしながら職場の群馬まで通勤する生活になったり、子どもが幼稚園に入ったり、職場が都内に変わったりと変化がありました。
子どもが幼稚園に入ったことを、まるで移住したかのように捉えてみる。思い通りにいかない偶然やノイズを、まるで庭を作るかのように捉えてみる。そうすると自分の感受性も変わっていくんじゃないかなと期待できて、とても心に残りました」
ただ暮らしているだけで感性はつくられる。

「ふつうに暮らしてるつもりでも、感性って絶対にはたらいていると思うんです」と青田さん。
これまでの美学は、芸術作品を見たときに、どう美的なものを受け取るか、感性をはたらかせるかを考え、生活とは切り離されてきました。
青田さん:
「でも当たり前ですが、私たちは生きている限り感性を持っていて、ただ暮らしてるだけでも、実は感性をはたらかせています。逆に、もしはたらいていないとすれば、『それはなぜなのか?』という問題もあると思います。
生活をよくしてはじめて感性がよくなるのではなく、何気ない生活にも感性ははたらいている。そう気づくことが、私たちの感性のあり方を変えていくのだと思います」

目に見える物だけでなく、生活を作ること、社会を作ること、そして自分の世界を作ること。私たちの感性が、知らず知らずのうちに、世界のありかたを決めていると、まずは立ち止まって気づくこと。
はたして、そんなふうになれるだろうかと、取材を終えてお話を振り返りながら、長い時間をかけるべき人生の問いをもらったような気持ちです。
(おわり)
【写真】馬場わかな
もくじ
青田 麻未(あおた・まみ)
1989年、神奈川県生まれ。2017年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。上智大学文学部哲学科助教。専門は環境美学・日常美学。私たちの生活のなかでの感性のはたらきについて哲学的研究を行っている。日常美学の入門書として、『「ふつうの暮らし」を美学する 家から考える「日常美学」入門』(光文社新書、2024年)を出版。
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