【77歳、葉山暮らし】前編:70代でひとり移住。今がいちばん自由と語る髙橋百合子さんを訪ねました。

年齢を重ねてなお、自由にのびのび生きていきたい。とはいえ、どうしたらいいのか迷ったり、立ち止まったりすることもままあります。
そんなふうにモヤモヤしていたときに、イーオクト代表の髙橋百合子(たかはしゆりこ)さんが、葉山でいきいきと生活されている様子を綴る文章に出合いました。
夫の急逝、そして移住と、変化の多い数年を過ごされた髙橋さんを葉山の自宅に訪ね、今の暮らしの風景をお裾分けしてもらいました。
前編では、移住を決めたきっかけ、新しい住まいについて、夫亡き後の暮らしぶりについて伺います。
夫とふたり、東京と2拠点生活をするつもりでした

高橋さんが東京都心から葉山エリアの山のてっぺんに住まいを移したのは2023年3月のことです。
高橋さん:
「もともとは東京と2拠点生活をするつもりで、京都や鎌倉なども候補に、夫とあちこち見て回っていたんです。
2017年に私がたまたま『物件ファン』というウェブサイトでこの土地を見つけました。山があって、向こうには海が見えて、気持ちがよかったんです。
とはいえ予算オーバーで、ありえないと私は思っていたのに、夫が『ここにしようよ』って」

高橋さん:
「夫は建築家でしたから、この土地を見ていろいろとイメージが湧いたようです。
ふだんの夫は、優柔不断というほどではありませんが、どちらかというと私のほうが決断力があるタイプ。それなのに『何をまだ迷ってるの?』なんて言われちゃって。
それから2週間くらい経った頃、夫が会社に電話をかけてきて『グッドニュースだよ。2千万円下がった』って(笑)。
なかなか売れなかったからなのか、わかりませんけれど、とにかく値下げしてもらえたようなんです。それでも全く安くはありませんでしたけれど、なんかいいかな、と思ってしまいました」
森にしようかとも思ったけれど……

建物の全体的な構造から部屋の配置、仕上げのイメージといった基本設計が終わったところで、夫のエドワードさんが他界します。2019年のことでした。
高橋さん:
「夫は9月18日が誕生日で、お祝いウィークだった15日に亡くなったんです。本当に、突然。
それからは大変でした。夫の仕事関係のこともあるし、ありとあらゆることが襲ってくるわけです。
土地のことは忘れてはいないけれど、よもや私がひとりで家を建てるなんて考えも及ばなかったので、はじめはベンチを置いて、みなさんがくつろげる森にしようかと思ったんですよ。
家づくり続行か否か、何度も行ったり来たりしながら2年くらいそのままにしてしまっていたんですけれど、建築家の夫が自分と私のために、あれだけ気に入った土地に設計までしたのだから、やっぱり彼のために建ててあげようかな、と」

基本設計に基づき、エドワードさんの建築事務所が後を引き継いで建てることにしたものの、その道のりは大変だったそう。
高橋さん:
「ふたりで暮らすつもりで作られた基本設計から、夫の書斎をなくして間取りを見直したり、家じゅうの建具や取手、水回りの金具を選ぶなど、家づくりは決めなくてはならないことだらけなんですね。
棚板は何センチがいいですか?と聞かれても、『程よい感じにしてください』って(笑)。
夫からも、とくに台所については細かく聞かれていたんです。私が使いやすいようにと思ってくれていたわけですけれど、あなたはプロなんだから良きようにやってよ、と思っていました。
見えないものの色やサイズを決めていくというのは、なかなか難しいですよね」

家具はほとんど東京の家から運びましたが、この家のために、イサムノグチデザインの照明「AKARI」を取り付けました。
高橋さん:
「夫はハーバード大学院で学んだのですが、バックミンスター・フラー&サダオ、イサム・ノグチのスタジオといった敬愛する建築家の存在が大きかったそうです。
当時イサム・ノグチのアシスタントとして学生アルバイトをさせてもらっていたご縁もあって、これを選びました。昼間の風に揺らぐ様子もいいし、夜は提灯のようなほのかな灯りは癒されます」
夫のいない暮らしに、ようやく慣れてきました

2019年9月にエドワードさんが急逝し、2021年に建築を決心。そして2023年の3月にこの家ができあがり、越してきました。
高橋さん:
「正直、夫が亡くなってからの数年は、記憶がないんです。
周りからは元気に見えたでしょうし、仕事もそれまでどおりしていましたけれど、ひとりのときはぼんやりしてしまい、頭も働かないし、気持ちも落ち込んでいました。
たとえば家の駐車場から車を出して目の前の電信柱にこすってしまったり、そういうことが1年くらいは本当に多くて。
心ここにあらず、ということもあったし、もしかすると『なんで私がこんな目に遭わないといけないのよ』と、どこかでふつふつと怒っているというのも、あったかもわかりません」

高橋さん:
「同じように夫を亡くした友人から『5年経つと大丈夫になるわよ』と言われていて、その言葉をお守りのようにしていましたが、本当にそうなんですね。
5年くらい経った最近、ようやく心が穏やかになってきました。
ここに移ってきたことも、すごくいい影響だったと思っています。
ひとつひとつ、キッチンはどうしたい?ここはこうで、と話しながら夫が設計してくれた家なので、夫と一緒にいる感じなんですよね」

高橋さん:
「夫とお墓の話をしたことがあったんです。うちのお墓は横浜の外人墓地なので、あなたもあそこに入りたい?と聞いたら、『この土地にまいてくれれば、それでいいよ』って。そんなふうに言うくらい、この土地が好きだったんだな、というのもありますね」
自由を堪能しています

葉山の街にもなじんできたと感じているそう。
高橋さん:
「週に3日は都内へ通勤するために逗子駅まで車を運転していくわけですけれど、最初はカーナビを使っても迷いながらでした。最近になって、やっとこの地域全体を把握できたんです。
たとえば日々の暮らしにスーパーマーケットに行きますよね。私はいろいろなところに行くのが好きなんですが、あちこち行って、どこに何があるのかざっくりわかってきました。
あと会社からの帰りに、外食もするんです。葉山でできた友人からは、良い店は百合子さんに聞けばわかる、と言われるくらい(笑)。
逗子駅を降りて、気になるお店にふらっと入ると、やっぱりこのぐらいの年齢の女性がひとりでいると違和感があるんでしょうね。なになに?みたいな感じで見られますけれど、あちこち試しています」

好奇心のまなざしで見られながらのひとり行動は、苦手なひとも多そうです。ましてやずっと夫と過ごしてからのことだと、不安や恐れはなかったのでしょうか。
高橋さん:
「そうですよね。やっぱり私にとっても、夫がいたときといなくなってからの、すごく大きな違いはそこです。
でもね、ひとりになると自由なんですよ。
もちろん、夫がいたほうがいいに決まっているんだけれども、ひとりになると、たとえば今日何を食べようかなとか、どこに行こうかなというのも、完璧に自由。これはね、画期的ですね。もう信じられないぐらいに楽しい」

高橋さん:
「ウィークエンドも、夫がいたときは『明日映画に行かない?』『なんの映画?』みたいに、会話しながら決まっていくわけですけれど、それが全くない。
朝から100パーセント、 私がこうしようと思ったことが全部できるわけですよね。私が観たい映画を観るわよ、と。
この素晴らしさを味わうためには、1度はひとり暮らしを経験したほうがいいわよ、ってみんなに言っています(笑)」
続く後編では、70代に入ってからの新しい人間関係や、暮らしの変化、これからについて、さらに詳しく伺います。
(つづく)
【写真】井手勇貴
もくじ
第1話(11月17日)
70代でひとり移住。今がいちばん自由と語る髙橋百合子さんを訪ねました。
第2話(11月18日)
ここを終の住処に。先のことはわからないけれど、今の家でできるだけ長く暮らせたら
髙橋百合子
イーオクト株式会社 代表取締役。大学卒業後、読売新聞社、専業主婦を経て、記事広告制作・展覧会プロデュースなどを手がける。1987年に現在の会社の前身、株式会社オフィスオクトを設立。以来、「ひとりひとりの暮らしから、快適でサスティナブル(持続可能)な社会の実現」を目指し、人にも環境にもやさしい商品を数多く届けている。
コーポレートサイト https://www.eoct.co.jp/
公式オンラインショップ https://www.ecomfort.jp/
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