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【自分で決めて、自由に生きる】後編:挨拶をする、感謝を伝える、嘘はつかない。基本的なことを大事にしていれば、大丈夫!

【自分で決めて、自由に生きる】後編:挨拶をする、感謝を伝える、嘘はつかない。基本的なことを大事にしていれば、大丈夫!

ライター 長谷川未緒

自分らしく、おしゃれでいきいきしている先輩にお会いして、人生後半をのびのびと生きるヒントを得られれば……。そんな思いのもと、服飾ディレクター・岡本敬子(おかもと・けいこ)さんに、お話を伺っています。

前編では、仕事に遊学に楽しみ尽くした20代、結婚について聞きました。続く後編では、専業主婦から復帰した仕事のこと、今後についてお話しいただきます。

前編から読む

ファッションの仕事に復帰するきっかけは「人」でした。

6年半ほど仕事を休み、そろそろまた働こうかと考えていた頃、「あなたのイメージが浮かんだから、プレスをやってみない?」と前職の上司から連絡が入りました。当時、日本初上陸の「ケイト・スペード」で、業務委託という契約形態で、仕事に復帰。

プレスの仕事というのは、具体的にはどんなことをするのでしょうか。

岡本さん:
「ルックブックの撮影や雑誌への広告掲載、衣装の貸し出し、広告予算の管理などですね。私の場合は、日本で展開する商品の買い付けや、日本用にカゴのカラー展開を考えるといった商品開発も行なっていました。

どういうふうに日本でPRをしていくか、本国の承認を得る必要もあるんですね。欧米にもある雑誌はいいんですけれど、日本にしかない雑誌もあるので、トランクに詰めてアメリカに出張し、直接見せたりもしていました」

岡本さん:
「そのうち、『あなたのファッションいいわね』と褒めてもらえて、『あなたのセンスに任せる、好きにやっていいわよ』と。そこまでになるには少し時間は必要でしたけれど、あなたのことは信用できる、と言ってもらえたときは、うれしかったです。

ケイトさんはもともと雑誌の編集者で、コンセプト作りも写真の撮り方も、すごくセンスの良い方でしたから、ずいぶん刺激を受けたと思います。

あるとき、病院に行ったら看護師さんがケイト・スペードのバッグを持ってランチに行くのを見たんですよ。嬉しかったですね。『あぁ、知ってもらえた、やりきったな』と思いました」


いいところは伸ばして、そうじゃないところは省いて。

大きくなったケイト・スペードを離れ、次に取り組んだのは、売り上げが伸び悩んでいたブランドでした。

岡本さん:
「瀕死のブランドを再生するのが、すごく好きなんです。

ブランドのコンセプト作りから見直し、何を続けて、何をやめるか。どんな媒体にいくら広告費をかけて、宣伝していくか。オケージョンの服はこの時期に、パンツはここでなど、みなさんが喜んでくれるようなタイミングで打ち出していく。

いいところは強化し、むだなものは排除して、という交通整理のようなことですね。それがぴたっとはまって売り上げが回復すると、すごくうれしいんです」

いいところを見極めて伸ばし、いらないものは省いて、というのは、人生にも役立ちそうです。

岡本さん:
「そうですね。省いたほうがいいものは、省いちゃってるんでしょうね、きっと。捨てるのは得意なほうですし、いつまでもしがみつくのは、私の美学にはないというか。

過去は振り返らないタイプです。後戻りができない性格で、実際、歩いて来た道も戻れなくて。ぐるっと遠回りしてでも新しい道を通るんです(笑)」


挨拶と感謝さえしていれば、問題なし!

20代の頃は景気もよく、先輩にもかわいがられ、楽しいことが多かったそうですが、30代、40代はどうだったのでしょうか。

岡本さん:
「アシスタントもいて教えなきゃいけない立場になりましたし、仕事内容もより頭を使う必要があったし、責任の重さも違いました。

景気も後退して、だんだん物が売れなくなってきた時代でもありました。

FAX1枚で、もう会社に行きません、みたいな子もいましたし。

でも、社風もあったのかみんなさっぱりしていて、上司も良い雰囲気を作ってくれていました。人にはほんとに恵まれていたので、悩みとか苦労は感じませんでしたね」

環境に恵まれたこともあったかもしれませんが、岡本さんの心がけや受け取り方も影響しているのではないでしょうか。

岡本さん:
「うーん、そうですね。とにかく挨拶をする。機嫌の良し悪しに関係なく、元気に。

それと感謝、何かやってもらったら『ありがとう』と言う。嘘はつかない。ダメなときは『ごめんなさい』と謝る。

幼稚園で教わったことですよね(笑)。基礎中の基礎をちゃんと守っていれば、トラブルになることはないんじゃないかなと思います」 


子どもをもたない人生を選択しました。

仕事に熱中した30代、40代、子どもについて考えることはなかったのか……。ちょっとデリケートな話題ではありますが、率直に伺ってみました。

岡本さん:
「私たちの世代は、会社を辞めて出産したらもう復帰ができず、ポストがなくなる感じがありましたから、迷うこともなかったですね。

親からは、出産は早めのほうがいいのではと言われることもありましたが、子供を持ちたいというよりも、仕事がおもしろかったのでついついそちらを最優先していました。

自分たちが選択してきたことですし、それに対して後悔はなく、ダメだとか思うこともないですね」


自分らしさがわかってきたのは40代後半から。

▲岡本さんのご著書には、他の誰でもない、自分の好きなファッションを、とのメッセージが。

40代半ばで独立し、PRや自身のブランド「KO」のデザイナー、千駄ヶ谷にあるセレクトショップ「Pili」のディレクションなど、幅広い仕事をしている岡本さん。

若い頃からブレないファッションの軸があったのか伺うと……。

岡本さん:
「いえいえ、流行りのものはほぼ着ていましたし、変化の激しいファッション遍歴を辿ってきました。

ハイブランドのものを買い漁ったこともありますし、フランスに染まった時代もあれば、鎌倉では天然素材みたいな感じで。

自分らしさみたいなものがわかってきたのは、40代後半くらいからですね。好きなものが揺るがないというか、ほかの人が言う定番ではなくて、自分の中の定番が確立できました」

岡本さん:
「更年期で体も変わる時期だったこともあったかもしれません。

私の場合はただ暑いだけで、特に困りごともありませんでしたが。

たとえばもうヒールの高い靴ははかないで、ちゃんと地べたを踏み締めようとか、さきほどの話にも通じますが、無駄なものを省いていったら、自分の定番もわかってきたように思います」

年齢を重ねて、何を着たらいいのかわからないという声もよく耳にします。失敗したくないというのもありますし……。

岡本さん:
「失敗は、私もたくさんしてきました。やっぱり自分の目できちんと選んで、責任をもって身につけてみないと、わからないこともあります。『もういいな』とか『失敗したな』と思ったら、潔く手放せばいいのかなと。

あとはね、ちょっと人の目を気にしすぎるかな、と思いますね。気に入っている様子でとてもお似合いなのに、家族や友だちからちょっと違うんじゃない?なんて言われると、やめてしまったり。

ファッションに正解はないので、自分の感覚を信じて、堂々と選んで、堂々と着てほしいと思っています」


ひとりになっても寂しくないように。ビル1棟買いが夢です(笑)

いつも目の前のことに全力投球してきた岡本さん。今後については、何か考えたりするのでしょうか。

岡本さん:
「夫の仕事の関係で鹿児島にご縁ができ、年末と夏は1,2ヶ月ほど鹿児島にいる生活をしています。

鹿児島は地元の食材がおいしいし、市内は車がなくても生活できますし、都会なのに桜島がどかーんと見えるのもいい。大切な友人も少しずつできてきました。

まだ答えは出ていないですけれど、ゆくゆくは鹿児島で過ごす時間が長くなっていくかもしれません。

夫は9歳年上なので、ひとりになったときのことも、寂しいけれどちょっと考えますよね。ひとりになったときに寂しくない場所を作って、孤立しないように。

私の夢はビル1棟買いです(笑)。みんな独立して暮らしているけれど、つながりあえる。1階はカフェで、スーパーが近くにあって。

仕事も続けながら、自然と周りの人たちとそういう関係性を作っていけたらいいなと思っています」

朗らかで、自分の人生は自分で選んできた道だから悔いなし、振り返らないというさっぱりした態度が、すがすがしかったです。

いろいろと迷いがちだけれど、まずは服ひとつ、自分の好きを信じてみるところから始めてみるといいのかも、と思っています。

(終わり)


【写真】相馬ミナ



もくじ

岡本 敬子

服飾ディレクター。1963年生まれ。文化服装学院スタイリスト科卒業。様々なブランドのPRをはじめとしたファッション業界で活躍。2016年からnanadecorにて、自身の名前を冠した企画〈KO by nanadecor〉を展開。2017年から千駄ヶ谷にあるセレクトショップ〈Pili〉のディレクションも手掛ける。座右の銘は「SUN&FUN」。好きな季節は夏。ニックネームはカミさん。

Instagram: @kamisan_sun

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