【77歳、葉山暮らし】 後編:ここを終の住処に。先のことはわからないけれど、今の家でできるだけ長く暮らせたら

年齢を重ねてなお、自由にのびのび生きていきたい。とはいえ、迷ったり、立ち止まったりすることも。
そんなときに、イーオクト代表の髙橋百合子(たかはしゆりこ)さんが、葉山でいきいきと生活されている様子を綴る文章に出合いました。
夫の急逝、そして移住と、変化の多い数年を過ごされた髙橋さんを葉山の自宅に訪ね、前編では、移住を決めたきっかけを中心に、続く後編では、70代に入ってからの新しい人間関係や、生活の変化、これからについて伺います。
前編から読む
自然体で人間関係が広がっていきました

高橋さんが都心から葉山へ移住したのは74歳のとき。お話からは、友人に囲まれての楽しい生活が垣間見られます。年齢を重ねてから知らない土地で新しい人間関係を作るために、心がけていることはあるのでしょうか。
高橋さん:
「心がけていることは何もないんですけれど、最初のきっかけがよかったんだと思います。
2023年の3月に越してきてすぐ葉山芸術祭というイベントがあって、東京から来ていた友人とあるギャラリーに行ってみたんです。そこがたまたま知り合いの知り合いで、そこにいらしていた方を紹介してくださいました。
東京で編集の仕事をされていた方で、いろいろな方を紹介してくださったり、イベントに誘ってくださったり」

高橋さん:
「東京では、人と会うとしたらお店ですよね。
葉山では、家で会うことが多いんですよ。すごく気楽に行ったり来たりして、知り合いの知り合いに会ったりするうちに、どんどん交友関係が広がってきました。
庭のイチジクをお裾分けしてくれたり、地域で田んぼを耕している人たちと知り合い、私は見学メインですが少しだけ手伝わせてもらったり。今朝もその稲を刈ったからと、年の離れた友人が届けてくれたんですよ。
東京にいたら絶対に出会うことがなかった人たちで、いつもすごく助けてもらっています」
暮らしに軸足を置いている実感があります

コロナ禍をきっかけに高橋さんの会社でもリモートワークが進み、今は週に3日ほど都心のオフィスに通っているそう。
高橋さん:
「朝は早めに逗子駅に向かい、電車で都心に出ます。行きは100%座れますよ。東京にいたころからいろいろなルートで会社に行くことが好きだったので、今でもそうしています。渋谷まで行ったり、品川や新橋で降りてバスに乗ったり。
バスはピンポイントで行きたい場所に連れて行ってくれるので、慣れるとラクですし、街の様子もわかりますからよく乗ります。
移住したばかりの頃は東京に出たらホテルに泊まることも多かったんです。だんだん葉山の暮らしに慣れてきて、いまは必ず戻ってくるようになりました。
やっぱりこの家にいると心が穏やかになりますし、芯から平和を感じられるので」

高橋さん:
「夜ごはんは外食もしますけれど、ちょこっとつまむ程度のものをよく作るようになりました。もともと料理は嫌いではなかったけれど、東京では夫と外食することが多かったんです。
いまは友人が泊まりがけで来ることも多いので、凝った料理ではないけれど、ビストロみたいな感じのちょこちょこしたつまみ系をよく作ります。
食事って1日の中ですごく大きな部分を占めますよね。ごはんをきちんと作って家で食べると、暮らしている実感がありますし、思い返すと東京では暮らしに軸足を置いていなかったようにも感じています」
▲この日は高橋さんがお昼ごはんを作ってくれました。
葉山で地に足のついた生活をしているように思えるのは、庭の影響も大きいと言います。
高橋さん:
「東京の家にはテラスがあったんですけれど、地面がある庭は、またぜんぜん違うんですよね。
家を建てるときに自治体の条例で敷地面積に応じた植栽数が決められているということで、夫が好きだったもみじとか桜といった木を植えたんですけれど、これからもっと手を加えていきたいと思っています」
また旅に出たい気持ちが湧いてきました

夫で建築家のエドワードさんとは、年に何度も国内外を旅していました。旅行は高橋さんの活力源でもありましたが、2019年にエドワードさんが急逝、すぐにコロナ禍で自粛ムードになったこともあり、ここ数年はほとんど旅をしていませんでした。
高橋さん:
「この家で、庭からの景色を見ているだけで十分という感じなんですよ。
旅行先できれいな景色を見たり、ホテルでリラックスしたりすると思うんですけれど、夫は自分の家が世界でいちばん居心地が良くて幸せなのがいいよね、といつも言っていました。私もここで暮らすようになって、本当にそうだと思っていて」

高橋さん:
「じつは夫が亡くなった年は、仕事関係で2回ヨーロッパに行って、帰国後すぐに京都に行っているんです。あれが夫の体に負担をかけたのかな、とずっと心に残っていることもあって、どこにも行きたくなくなっちゃってたんです。
でもまたそろそろどこかに行きたいな、と。
友人が言っていた、5年経つと大丈夫になる、をここでも実感しています。
一昨年は姉に誘われてピースボートで日本一周クルーズに行って楽しかったので、来年また日本一周に、再来年は世界一周クルーズに申し込みました。
ピースボートは船内で学びの機会があって、まだまだたくさん知りたいことや学びたいことがある私にはおもしろい旅ができます」
先のことはわからないけれど、ここを終の住処に

葉山での暮らしにすっかりなじみ、ひとりでいることにも慣れてきた高橋さん。この家は、終の住処と考えているのでしょうか。
高橋さん:
「先のことは全然わからないけれど、できるだけ長くここで暮らせたら幸せだな、と思いますね。
先のことって、本当にわからないんですよ。わからないから、不安になったりモヤモヤしたり。
でも、葉山に越してくる少し前にタレントのテリー伊藤さんにお会いしたときに『僕は102歳まで生きると決めている』と。あら、ずいぶん欲張りなのね、と言いましたけれど(笑)、決めるってすごくいいから、高橋さんも決めたほうがいいですよ、と言われました。
たしかにそこまで生きるという前提で、いろいろなことをやっていくのはいいアイデアだと思ったんです」

高橋さん:
「私は母校の立教大学で年に1回、授業を受け持っているんですけれど、いまの学生はふたりにひとりが100歳を超えて生きると言われています。
みんな『もう歳だから』とすぐに言うけれど、人生100年時代は絵空事じゃないんですよ。だから100歳まで生きるつもりで、考えたらいいと思っています。
会社のスタッフとも面談でやるんですけれど、“バックキャスティング” といって、今の状態は一旦脇に置いて理想の目標を描き、その目標を実現するための道筋を、現在へさかのぼっていく考え方がおすすめです」

高橋さんの100歳時点での目標を聞いてみたら、環境問題についてもっと広く知ってもらう活動をしたいとのお返事が。
この先への不安を解消することばかり考えていましたが、そうではなく、理想の未来に向けて今を楽しく生きていこう、100歳コースで、と話す高橋さんに、すごく元気をもらいました。
(終わり)
【写真】井手勇貴
もくじ
髙橋百合子
イーオクト株式会社 代表取締役。大学卒業後、読売新聞社、専業主婦を経て、記事広告制作・展覧会プロデュースなどを手がける。1987年に現在の会社の前身、株式会社オフィスオクトを設立。以来、「ひとりひとりの暮らしから、快適でサスティナブル(持続可能)な社会の実現」を目指し、人にも環境にもやさしい商品を数多く届けている。
コーポレートサイト https://www.eoct.co.jp/
公式オンラインショップ https://www.ecomfort.jp/
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