
組織開発専門家の
勅使川原真衣
さんに「能力主義」について話を聞く特集。前編では、当たり前のように思ってきた「能力」が、実は個人に固定化されたものではなく、あくまでも周りとの関係や時期によって変わる「状態」だということ、そもそもこの世界はそれぞれが優秀かどうかではなく、それぞれの持ち味を持ち寄ることで成り立っている という話を聞きました。
どの話にも深く頷きつつ、一方でどうしても能力主義を脱ぎ捨てられない自分がいるのも事実です。長年自明のものと思い込んできて、体に染み付いているのかもしれません。そこで後編では、どうしたら能力主義の考え方から脱することができるのかを聞いていきます。
分かりにくさを諦めない
▲勅使川原さんの著作の一部。能力や能力主義社会についてときほぐしつつ、能力主義にとって代わる考え方や実践を示している
「あの人は優秀ですごい」「自分は能力が足りない」「〜ができないとダメかも」……。能力主義一辺倒がもたらす問題を知ってもなお、日常ではつい「能力」のものさしで自分や他人を測ってしまいがち。そうした思考法から抜け出すヒントはどこにあるのでしょう?
勅使川原さん:
「能力主義の3つの要素は “断定” “他者比較” “序列化” です。人間は常に揺れ動いている存在なのにもかかわらず『あなたはこういう人だ』と断定する。そして他の人と比べ、『あの人は優秀で、あの人はだめだ』と序列化してしまう。
これって、人間の思考としてきっとラクなんですよね。断定してしまったり、カテゴライズしてしまったりすれば、あとはもうそのことを考えなくていいわけですから。分かりにくいことって、脳のリソースをたくさん使うので大変です。だから私たちはつい分かりやすさを求めてしまうんだと思います。
以前、私の恩師である苅谷剛彦先生とご一緒したシンポジウムで、先生が『複雑さを諦めない』っておっしゃっていたんですが、本当にそうだなと思って。もしも誰かを断定したり序列化したりしそうになったら、少し立ち止まってみては。そして『考えるのが面倒くさいから、決めつけてしまうんだな』と自分にツッコミを入れるといいのではないでしょうか」
「すごいね」の代わりに子どもにかける言葉は

学校のテストの点や成績表などに一喜一憂したり、つい他の子と比べてしまったり。子育てにおいても、能力主義にとらわれそうになるシーンがたくさんあります。中学生と小学生の子どもの母親でもある勅使川原さんに、子どもとの向き合い方についても聞いてみました。
勅使川原さん:
「行き過ぎた能力主義が蔓延する社会を子どもたちに残したくないという思いで本を書いている一方、能力主義社会でもうまくやっていけそうな下の子どもにはつい期待したくなる時もあって、自分でもまだまだだなと思っています。
でも、子どもたちに『すごいね』『えらいね』という言葉はかけないようにはしていますね。『面白い』『ウケる!』って言うことが多いです。やっぱりすごくない時があるのが人間だし、すごい/すごくないを分けるのは、能力主義だと思っていて。すごい/すごくない以前に、そもそも『いてくれてありがとう』なんです」

勅使川原さん:
「たとえば何かでいい成績や1位をとったとしても『よかったね』『ラッキーだね!』などと言うことが多いです。周りよりも上手にできたっていうのは、たまたまその時の組み合わせがうまくいったということですから。
子どもに限らず、 “人” ではなく “状態” を評価するのがいいと思っていて。『あなたは優秀』ではなく『この点がよかった』『あの時はすごく助かった』など。『あなたってこういう人』と、相手をジャッジしないことが大事だと思っています」
物事や関係がうまくいっていないと感じたら

誰かと関わるうえで大事なのは、一つのものさしでこういう人だと決めつけず、対話を通じて相手を知ろうとすることだと勅使川原さんはいいます。
たとえば家庭や職場、学校など、さまざまな場で何かうまく回っていないことがある時や相手の言動を受け入れられない時などは、どうすればいいのでしょう。
勅使川原さん:
「私は組織開発の専門家ですが、2人以上の人が目的を持って関われば組織なので、親子や夫婦、学校などにも組織開発の手法は使えると思っています。
対話で大切なのは、まず謝意から始めること。『いつも本当に助かってる』などでもいいので、相手の存在自体に感謝することから始めたいですね。そのうえで、引っかかっていることを伝えて、相手の事情を丁寧に聞いてみるといいのではないでしょうか」

勅使川原さん:
「社会学に “他者の合理性” という言葉があります。相手の言動が自分には理解できなくても、相手にはその人なりの理由や動機があるということです。自分には見えてない何が相手に見えているのか。そうした “他者の合理性” を引き出して、自分の合理性と擦り合わせることが必要なのでは。
能力主義は『こうじゃなきゃだめ』と正解を一つだけに決めて、他者の合理性を許さない論理です。だからこそ、それをお互いに聞き合える関係は強いと思います」

勅使川原さん:
「他者の合理性を引き出すと同時に、自分の合理性を出すこともすごく大事です。それによって相手が動くかどうかは別として、自分の心に引っかかったものをちゃんと出してテーブルに置くこと自体、自分にとって大きな力になります。
私は2日間くらい引っかかっていたら言うようにしています。重い問題ほど自分の中で発酵させないほうがいいと思っているので。『ものわかりが悪くてすみません』とか『トラブルになりたくないので、今の段階でちょっとだけ言ってもいいですか』なんて言葉から始めていますね。
違和感を感じた自分をなかったことにされたら、自分自身が可哀想じゃないですか。合理性をきちんと外に出すのは、自分で自分を認めることになると思うんです」
誰もがちっぽけな存在だから

一元的なものさしで相手や自分を測ることや「できるなら認める」という能力主義から一歩離れて、お互いの存在そのものを認め合うことが大切。勅使川原さんが著書などを通じて繰り返して訴えていることです。
勅使川原さん:
「私は “働く” ということも、もっと広い意味で捉えています。お金を稼ぐ労働だけが働くことではありません。家事や育児を頑張っている人も、介護をしている人も、それぞれの分業をしっかり担っています。子どもには子どもの役割があるし、心身の不調を抱えて休んでいる人も、障害のある人も、一人ひとりの存在そのものが周囲に影響を与えています。目立つ部分にだけスポットライトが当たりがちですが、全員が分業を担っていて、どっちがすごいとかじゃないんです」

勅使川原さん:
「『周りに迷惑をかけるから』ってよく聞かれる言葉ですが、実はこれも能力主義を内面化したものなのではないでしょうか。そもそも迷惑なんて誰もが毎日かけて、かけられているものだと思うんです。
『自分は常にしっかりしていて役に立っているし、そうでなければならない』と思い込んでいる人ほど、迷惑をかけることを気にしてしまうのでは。でも人ってそもそも不完全な状態で、誰かと助け合ってどうにか生きていっているはずです。
私たちは全員、大したことのない、ちっぽけな存在です。完璧じゃないし、だからこそお互いに補い合って、分業しているんです」 
誰もがそれぞれの持ち味を備えながら、絶えず揺らいでいる。そう考えると他者を見るまなざしが少し変わると同時に、自分の弱さも素直に認められそうな気がします。
これからも、つい他人や自分をこうだと安易に決めつけてしまいそうになるかもしれません。そんな時、勅使川原さんの言葉を思い出して立ち止まれたら。面倒がらずに相手を知ろうとしたり、分からなさを前にモヤモヤ、ジタバタできたらと思います。
【写真】井手勇貴
もくじ
勅使川原 真衣
1982年横浜生まれ。東京大学大学院教育学研究科修了。ボストンコンサルティンググループ、ヘイグループなどのコンサルティングファーム勤務を経て、2017年に独立。企業、病院、学校などの組織開発を支援する。教育社会学と組織開発の視点から、能力主義や自己責任社会を再考している。2020年より乳がん闘病中。著書に『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)、『働くということ』(集英社新書)、『「働く」を問い直す』(日経BP)、『人生の「成功」について誰も語ってこなかったこと』(KADOKAWA)など。x:@maigawarateshi
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