【57577の宝箱】空腹がからだの中を駆けていく 満ちる予感でくすぐりながら
文筆家 土門蘭
最近、あまり食欲がない。
夏バテのせいだろうと思い、特に気にせずに過ごしていたのだけど、この間体重計に乗ってみたらここ1か月で2キロ痩せていて、「まずい」と思った。
と言うのも、ここ数年、私の体重は少しずつ落ちていっている。この5年で6キロほど減っているので、合計8キロ。当然のことながら、見た目もだいぶ変わってしまった。
久しぶりに会う人には漏れなく「痩せたね!」と驚かれる。それが肯定的な驚きならいいのだけど、私の場合やつれて見えるらしく「大丈夫?」「ちゃんと食べてる?」という言葉がついてくる。
毎日三食食べているし、健康診断でも何も異常はない。だけど、どんどん痩せていく。
痩せ始めたのは、文章を書く仕事を始めてからなので、それが理由かもしれない。文章を書くのにすごくエネルギーを使うのか、それともデスクワークなので運動が足りないのか。どちらもな気がする。
痩せると体力が本当になくなってしまう。かなり疲れやすくなったし、頑張った翌日のリカバリーも遅くなってきたし……。
なにより「まずい」と思うのは、気持ちの面でも疲れやすくなってきたことだ。「面倒くさい」とか「もう無理だな」とか、すぐに思うようになってきた。体と心が繋がっているというのは本当なのだろう。
私は体重計の数字を見ながら、「よし」と思った。よし、これはもう本気を出すしかない、と。今度こそ本気で体を鍛えて、体力をつけてやる。
それですぐ、自宅近くにあるパーソナルトレーニングを検索してみた。ジムやジョギングなど、一人でやるタイプの運動が続かないのは、これまでの経験から実証済みだ。残された道は、マンツーマン指導しかない。誰かと約束をすれば、きっと続くだろう。
私は家から自転車で15分ほどのところにある施設に、体験の予約を入れた。
もうそれだけで一仕事終えたような気がして、なんだか気分が良かった。
§
私の担当についてくださったのは、私より年下の男性だった。当然のことなのだろうが、体が鍛えられていて姿勢がいい。メタルバンドのTシャツを着ていたので、ちょっと強めに見え、最初は緊張したけれど、話すと穏やかで人当たりのいい方だった。
「パーソナルトレーニングを通して、どんな風になりたいですか?」
と聞かれたので、
「体力をつけたいです」
と答える。
「あと、健康的に体重を増やしたいです。筋肉をつけたいって言うよりは、女性らしい体つきになりたいって言うか……」
体をどうしたいかなんてあまり口に出したことがなかったけれど、言葉にするとなんだかできそうな気がするから不思議だ。
彼はふんふんとメモをとりながら聞いてくれる。そのほかにも、これまでのスポーツ歴や今の生活スタイルなどを答えた。
さっそくトレーニングが始まる。私は大きな鏡の前に立った。
家の小さな全身鏡で見るのとは違って、周りのものやトレーナーさんも一緒に映ると、自分の大きさがより正しくわかる気がする。
その中にいる自分は、いつもよりもずっと痩せて小さく見えた。
「ああ、かなり痩せたな」
と、改めて思った。結構ショックだった。
私ってこんな体をしていたんだな。こんなに変わったんだな。これはまあ、みんな心配するよな。
数字でしか見ていなかったけれど、ようやくその変化を実感できた気がした。
本当に、私の体は変えられるんだろうか?
さっき言葉にした理想の自分像が、急に現実味のないものに思えてくる。だけど、やるしかないのだ。今何かを変えないと、未来の私も絶対に変わらない。
「じゃあ、ストレッチから始めましょうか」
私は「はい」と答えて、黙々と彼の言う通りに動いた。
§
自分でも時折YouTubeを見ながら筋トレやストレッチをするけれど、人に直接教わりながらだと、その何倍も体が動かされる気がする。
この日は20分くらいしか動いていないのに、終わる頃には息が上がり汗もかいていた。体じゅうのいろんな筋肉が、久しぶりに動かされてびっくりしているような感覚がする。
「体、もっと動かさないともったいないですよ」
最後にトレーナーさんにそう言われた。
「体って、動かせば動かすほどイキイキしてくるので。今、気分も良くないですか?」
私は汗を拭いながら、「とてもいいです」と答える。本当に、気分がスッキリしていて明るくなっている。
「多分、これが終わったらお腹も空いてきます。ご飯もおいしいと思います」
そう言って、トレーナーさんはにっこりした。
私は入会金を支払い、次回の予約をしてジムを出た。
時間はお昼時。確かにお腹が空いている。そんな感覚は久しぶりで、体が動いているんだ、と思った。
動いているからエネルギーが減って、お腹が空いて、何かを食べたいと思う。自分の体がちゃんと動いている感覚。ぐるぐると循環している感覚。
「体って、動かせば動かすほどイキイキしてくるので」
本当にその通りだなと思う。体とつながっている心も、なんだかイキイキとしている。
久々に味わう空腹の感覚が嬉しくて、私は「何を食べよう」と考えながら、ウキウキと街を歩いた。
“ 空腹がからだの中を駆けていく満ちる予感でくすぐりながら ”
1985年広島生まれ。文筆家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。
1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。
私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。
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