【カフェのマスターという生き方】第1話:悶々とした中で見つけたカフェという居場所作り

ライター 長谷川未緒

慌ただしい日々を過ごす中、カフェでほっとひと息つくのは至福の時。お気に入りのスペースはいくつかありますが、その中のひとつが、鎌倉にある「café vivement dimanche(カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ)」です。

店名の由来は、フランスの映画監督フランソワ・トリュフォーの作品からで、「日曜日が待ち遠しい」という意味なのだとか。

地元客や観光客でいっぱいの店内は、待ち遠しかった日曜日にほっとひと息つくような、ゆったりとした時間が流れています。

「また来たい」。「いつか行ってみたい」。そんなふうに思える場所を、29年という年月をかけて作ってこられたマスターの堀内隆志(ほりうち・たかし)さんに、今回はお話を伺いました。

第1話では、カフェを始めたのことを振り返っていただきます。

 

自分には何ができるんだろう?

堀内さんがカフェを始めたのは26歳のとき。それまでは会社勤めをしていました。

堀内さん:
「大学時代にデパートの宣伝部でアルバイトをした経験から、流通業の宣伝の仕事がしたいと思って就職したんです。

ところが配属されたのは、宣伝部ではなく販売部。女子高校生のボトムス担当になり、次から次へと売れ筋の商品を扱い、毎日プリーツスカートの売れ行きのことを考える生活は、自分には合わないな、と。

もっと自分のペースで生きたい、と考えながらも、どうしたらいいのかわかりませんでした」

モヤモヤしていたとき、アルバイト時代に知り合った美術作家の永井宏さんから、あるお知らせが届きました。

堀内さん:
「葉山でSUNLIGHT GALLERY(サンライト・ギャラリー)を始めるという連絡でした。

ギャラリーには休みのたびに行って、自分と同世代の人とたくさん話をして。

永井さんは、誰でももの作りができるという考えを持っている人でしたが、自分はそこに来ているほかの人たちと違い、絵も描けないし、料理もできないし、何ができるんだろう、と」

堀内さん:
「当時は学生時代にお世話になった先輩の影響で、フランスがすごく好きで。

フランス映画もよく観ていたし、旅行もして、映画のポスターやレコードを集めていたんです。

フランスではカフェが日常の中にあって、お客さんが場を作っている感じがすごくして、自由な感じに見えてたんですよね。風通しがいいような。

悶々と考えているうちに、そうだ、ギャラリーやカフェみたいに、いろいろな人が来て、思い思いに過ごせる場所だったら、作れるんじゃないかな、と思うようになりました」

 

みんなが来てくれる場所を作りたい

喫茶店がどんどんなくなっていた時代だったこともあり、周りからは反対されたそう。しかし、知人が経営する飲食店の手伝いなどを経て、カフェへの想いを強くした堀内さんは、母親からの援助もあり、1994年に店をオープンしました。

堀内さん:
「ギャラリーのあった葉山や、その近くの湘南、逗子あたりで物件を見て回ったのですが、なかなかなくて。ここは、たまたま母と姉が見つけたんです。

当初、鎌倉のこのあたりは、それほどひとも多くなく、どちらかというと年配の方が多いエリアで。

ここでやっていけるのかなあ、と思いましたけれど、広さにしては家賃が安かったこともあり、母が仮押さえしてきちゃったんですよね」

幼稚園の給食作りをしていた母親が料理を担当し、ふたりで店を始めたものの、ずっと赤字続きでした。

堀内さん:
「2、3年は、赤字でしたねぇ。家賃とか仕入れとか、出ていくお金のほうが多くて。ただお店って、少ないですけど毎日売り上げが入ってくるので、なんとかなるんですよね。

それに、楽しかったんです。

もともとギャラリー的な発想がありましたから、好きな音楽を流して、好きな映画のポスターを貼って、自分の部屋がもうひとつできたみたいな。この場所は自分の作品で、そこにみんなが来てくれているというような思いだったんじゃないかな。

若かったし、とんがっていましたからね、当時は。主張が強かった(笑)。

出会うひとたちも、すごく刺激的なひとたちが多かったですし」

編集者の岡本仁さんや、詩人で写真家の沼田元氣さんなどが応援してくれました。

堀内さん:
「カフェとかなかった時代ですから、きっと物珍しかったんでしょうね。若者が一生懸命やっているから、どれどれ応援してやろうかみたいな。

岡本さんはフリーペーパーの編集もしてくれて、謝礼をお支払いできないのでコーヒー10杯とか、そういう感じで。

そのフリーペーパーには、みんなの好きな喫茶店についてのエッセイが載っていて、それを読むと、自分の理想としているお店とだいぶ近いんですよ。

やっぱり、そこにしかないお店、そこでしか味わえないものとか、雰囲気とか。そのお店の個性とか、話さなくてもオーナーの気持ちが伝わってくるとか、そういうところだったと思うんですけど。

だから、赤字続きで不安にならなかったかといわれればなりましたけれど、自分の目指している方向は間違っていないという思いもありましたね」

 

スポンジのように吸収して、一生懸命に

赤字続きだった店に光が見えてきたのは、現在も人気メニューのひとつ、「オムレット・オ・リ オムライス」が雑誌に掲載されたことがきっかけでした。

堀内さん:
「当時は今ほどインターネットが盛んではなかったので、やっぱり雑誌で紹介してもらうとすごく忙しくなりました。

そうこうしているうちに、カフェブームになったんですよ。97〜98年くらいです。

それこそ不揃いの家具で、自分の部屋みたいなお店がどんどんできて。そのブームに乗るというか、偶然巻き込まれたというか。

先見の明? いやいや、時代がたまたまそうなっていったんだと思います」

オムライスがきっかけでお客様が増え、カフェブームがやってきて、と伺うと、運がよかっただけのようにも聞こえますが、きっとそこには、そういう流れを作る努力や工夫があったのではないでしょうか。

堀内さん:
「あったかなぁ、工夫ねぇ……。別に仕掛けたわけでもないし……。まぁ、でも、そのときそのときを、本当に一生懸命やっていましたよね。

好きなものに夢中になるのは昔も今も変わらなくて、掘り下げたいという気持ちがお客さんにも伝わるんでしょうか。だからもうちょっと教えてあげようかみたいな感じで、いろいろ教えてくださって。

コーヒーのことも全然知らなかったから、あそこがおいしいよ、と教えてもらって休日に出掛けていましたし。

具体的に何をしていたかは思い出せないけれど、その都度、一生懸命やってきたと思います。今だって、睡眠時間4時間ですし(笑)」

店は自分が作り上げた作品で、ギャラリーを訪れるように、いろいろなひとに来てもらいたい、との思いから始めたカフェ。

持ち前の知りたい欲から人生の先ぱいたちにかわいがられ、さまざまなことを吸収した堀内さん。そんなところがきっと、応援したいと思われ、店の経営も好転するきっかけになったのでしょう。

続く第2話では、店を続けてきた29年の中で、転機となった出来事について語っていただきます。

(つづく)

 

【写真】小禄慎一郎


もくじ

 

堀内 隆志

カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュのマスター兼ロースター。カフェ業の傍ら、FMヨコハマ 毎週日曜 7:25〜「by the Sea COFFEE & MUSIC」、湘南ビーチFM 毎週日曜 15:00〜「Na Praia」、FMおだわら 最終週の火曜20:00〜「Radio Freedom」「Navio」でトークと選曲をしている。今年、お店は29周年を迎える。

Instagram @cvdimanche

 


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