【連載|朝、いろいろ】第四回:雨いろシネマ

石田 千

 みずいろ、銀いろ、紫。城ヶ島なら、利休鼠。
 雨ふり、窓ガラスに、いろんな音楽が流れていく。ベランダの葉っぱは、つややかで、明治の文士には、齋藤緑雨というひともいた。
 6月に生まれた子どもだから、雨をつまらないと思ったことはなかった。長靴はいて、傘さして、あじさい撫でて、かたつむりを見つける。雨の日だって、道草、より道はやめられない。ぴちぴち、ちゃぷちゃぷ、ご機嫌さんだった。

 
 レインドロップス・キープ・フォーリン・オン・マイ・ヘッド。
 バート・バカラックのご訃報に接してから、ラジオから、たびたびこの歌が流れてくる。
 そうして、窓ガラスは、つかのまスクリーンとなった。
 シェルブールの雨傘は、カトリーヌ・ドヌーヴの、ゆたかなブロンドにむすばれたリボンがすてきだった。色彩ゆたかな画面と、かわいらしい歌声。みとれるうち、悲恋に涙していた。
 ハッピーエンドなら、オードリー・ヘプバーンのティファニーで朝食を。ラストシーン、ざんざ降りのなかの、猫ちゃんの名演技。
 ラブストーリーの雨をたどるうち、気づく。きょうの雨ふりは、いつかのデートの日みたい。
 気になるあのひとと、はじめてのデートは、誕生日を祝ってくれる。
 着ていく服は、まえの晩に、迷って悩んで、これしかない。
 しろいシャツにストライプのフレアスカート、どちらも麻でさわやか。念入りに、アイロンをかけた。
 決めてとなるのは、足もとだった。コーラルピンクのサンダル。ピカピカに磨いて寝た。
 ところが、目が覚めると、雨音。天気予報は、終日、降りつづくとのこと。
 午後になると、ますますの本降りに、しかたなくレインコートをかさねた。
 けれど、レストランでの食事は、どうしても、なにがなんでも、ピンクのエナメルのサンダルでなければならなかった。
 持っていって、はきかえようか。もしも、そんなすがたを見られたら、意気込みが知られてしまう。
 恋をすると、がんばりすぎて、ふられる。悪いくせは、もうこりごりだった。
……いいじゃない、どうせ濡れるんだから。
 そうして、バッグにタオルをいれて、素足にサンダルで、ドアをあけた。
 一歩めで、水びたしになったけど、ぴちぴちちゃぷちゃぷ、うれしくて、スキップしたいくらい。信号で立ちどまったとき、となりにいたおばあさんが、あきれた顔で、ずぶ濡れの素足を見ていた。

 
 さいわい、レストランは公園に面していた。
 神さまに感謝して、水場でサンダルの泥をおとして、お店のドアをあけた。レインコートを脱ぐとき、こっそり足もとも拭いた。
 すてきなレストラン、ふたりともずっと笑っていた。
 プレゼントもいただいた。添えられたカードのメッセージは、いまも覚えている。ゆっくり、ディナーをいただいて、ほろ酔い。
 お店を出るころには、雨も小降りになっていた。
 帰り道は、しぜんに、ひとつの傘で、駅まで歩いた。
 この恋は、みのるんじゃないかな。幸せに電車に揺られて、帰った。
 そうして、たしかに、その恋はみのった、のになあ。
 あーあ。スクリーンは、とつぜんのエンドロール。
 いまも会えるひと、もう会えないひと。
 生誕55年記念の長編映画のクレジットには、たくさんのお名まえ、おすがたが、あらわれて、消える。
 なつかしい恋も、エナメルのサンダルも、本降りの雨のむこうに遠ざかる。
 こんなに暗い午後なのに、ただただまぶしくて、あんまりさびしくない。

 

 


作家・石田千。1968年福島県生まれ、東京育ち。2001年「大踏切書店のこと」により第一回古本小説大賞受賞。16年、『家へ』(講談社)にて第三回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。『窓辺のこと』(港の人)、『バスを待って』(小学館)、『箸もてば』(筑摩書房)など著書多数。

 

写真家・齋藤圭吾。1971年東京都生まれ。雑誌や書籍、広告、CDジャケットなど様々なメディアで活動。主な仕事に『針と溝 stylus & groove』(本の雑誌社)、『melt saito keigo』(TACHIBANA FUMIO PRO.)、『記憶のスパイス』(アノニマスタジオ)、『高山なおみの料理』(角川書店)、『自炊。何にしようか』(朝日新聞出版)、『ボタニカ問答帖』(京阪神エルマガジン)などがある。

Instagram:@keigo.saito

 

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