【連載|朝、いろいろ】第七回:遠出の日
石田 千
週にいちど、遠出をする。仕事のさきまでは、2時間かかる。電車は、2回乗りつぐ。まえの晩は、禁酒、早寝する。
ことしで、8年めになる。巣ごもりの3年は、ずっと遠隔だった。ことしの夏から、ふたたび通うようになり、長くお世話になっているみなさんに、3年ぶりにお会いできた。メールと電話だけのあいだ、どれほど頼りにして、そのたび助けていただいたか、わからない。初日は、どなたのお顔を見ても、泣けてこまった。
朝の電車は、都心とかわらず、混んでいる。通勤、通学のひとにまざって、リュックサックをしょっているひと、スーツケースのひともいる。海かな、山かな、温泉かな。よい日になりますように。
2時間も乗っているのなら、さぞ読書がはかどる。仕事の準備だって、ぐっすり眠ることだってできる。
巣ごもりのまえは、空席めざして乗りこんで、座席を確保した。
ふたたび通うようになったいまは、立ったまま、ただぼんやり、景色をながめて、なんにもしない。
8年まえにくらべて、動きはにぶくなった。そのぶん、なにをするにも、時間がかかるようになった。けれど、なすべきことは減らないので、寝るときのほかは、終日なにかをしているようになった。くわえて、巣ごもりで足腰も萎えている。2時間の電車は、週にいちどの、たいせつな、揺れるにまかせ、なんにもしない場所にかわった。
なんにもしないぶん、目玉のほうは、にぎやか。建物、深い森、気もちのよさそうな公園、あの食堂、おいしそう。駅でとまり、ドアがひらくたび、その町の朝の空気を知る。
おおきな川を、ふたつ渡れば、釣り人もいる。光るみなも、とおくに連なる山の稜線。夏から秋にかけては、自然がおおきく移り変わる。週にいちどで、景色はぐんぐん進む。
マンションのベランダの手すりも、赤、青、黄、みどり、空いろ。茶色やグレーも、濃淡さまざま。それじゃあ、きょうは、手すりだけ、見つけていこうかな。そんなゲームをすることもある。
くたびれると、立ったまま、とおくちかくの木々に目をのばす。
車内のひとは、みんな読書か、スマートフォンを見ている。ときおり新聞をたたんで読んでいるひとを見かけると、なつかしくなる。そのなかで、なんにもしていない。ますます世のなかから遅れるけれど、週にいちどのぜいたくだから、のんきにしている。
若いころ、仕事の先輩がたが、五十路にはいられると、みなさん、せっかちになられた。それまでのんびりされていたかたも、きゅうにご多忙になられたように思っていた。いまは、そのわけを身をもって理解している。はじめは、ずいぶんとまどった。五十路なかばになって、ようやく、うっすら、心身のおりあいが見えてきた。
だんだんと、ビルやマンションがすくなくなって、田んぼがひろがる。畑の、いろんな野菜を目で追う。果樹園には、ネットごしにぶどうが揺れている。そのあたりから、乗るひと、降りるひともすくなくなる。座っているひとも、手もとから目をはなし、窓のむこうをながめる。
駅まで、あと10分。
ようやく、きょうの算段をはじめる。
駅についたら、まっさきに、やおやさん。地元の野菜をぐるりとながめてから、和食やさんでお弁当を買う。海に近い町なので、いつも焼き魚定食。
仕事さきの、らせん階段をのぼる。晴れていると、おおきな富士を仰ぐ。仕事の部屋についたら、窓をあけて、風をいれて、ちいさく音楽をかける。
青木隼人さんのギター、毎週おんなじCDが安心する。一音きいたとたん、遠出をねぎらわれた旅人の心地になる。
コップ一杯のお水をのみほし、猫背をのばし、仕事をはじめます。
帰りは、近所のスペイン・バルに寄って、白ワインをのみます。
作家・石田千。1968年福島県生まれ、東京育ち。2001年「大踏切書店のこと」により第一回古本小説大賞受賞。16年、『家へ』(講談社)にて第三回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。『窓辺のこと』(港の人)、『バスを待って』(小学館)、『箸もてば』(筑摩書房)など著書多数。
写真家・齋藤圭吾。1971年東京都生まれ。雑誌や書籍、広告、CDジャケットなど様々なメディアで活動。主な仕事に『針と溝 stylus & groove』(本の雑誌社)、『melt saito keigo』(TACHIBANA FUMIO PRO.)、『記憶のスパイス』(アノニマスタジオ)、『高山なおみの料理』(角川書店)、『自炊。何にしようか』(朝日新聞出版)、『ボタニカ問答帖』(京阪神エルマガジン)などがある。
Instagram:@keigo.saito
感想を送る
本日の編集部recommends!
冬のファッションアイテムが入荷中!
冬のときめきを詰め込んだニットカーディガンや、ポンチ素材のオールインワンなど、冬ものが続々入荷しています
乾燥する季節に頼りたい、お守り保湿アイテム
新作のフェイスマスクや北欧から届いたボディオイルなど、じっくりと自分を慈しむのにぴったりのアイテムも揃っています
【期間限定】WINTER SALE!
当店オリジナルの雑貨が、最大20%OFF!冬のおうち時間にぴったりのアイテムも揃っていますよ
【動画】夜な夜なキッチン
縫って、編んで、お気に入りの景色を作る(「HININE NOTE 」スタッフ・彩さん)