【5秒日記】第4回:ベランダのすぐ向こうを低空で鳩が飛んで「プー」と鳴いた
「日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くと書きやすい。私は貧乏性だから、家のちょっとした瞬間を残して覚えてわかっておきたいと思うのです」 エッセイストの古賀及子さんと、高校生の息子、中学生の娘の3人の暮らしの様子や、自身の心の機微を書きとめる日記エッセイ。月一更新でお届けします
古賀及子
10/27(金)
薄手の羽毛布団が、ひと晩かけて体の上で90度回転したらしい。目覚めて伸ばした足が布団から出た。
本来、顔の近くには布団の短辺側が沿うはずだけど、手でなぞると長く、これは長辺だ。蹴って回転させる。
きのう娘が「人間が信号待ちする時間を人生で累計すると2か月間くらいあるらしいよ」と聞かせてくれた。
かけた布団の短辺と長辺を確認したり、足で回転させてなおす時間はそれより多いか少ないか。考えながら目を閉じたらうとうとうっかりまた寝てしまう。足先が温まったんだ。
10/28(土)
起き出してやかんに水を汲み、ベランダの植木に水をやろうと窓を開けると外は室内で感じる以上に薄暗くどっぷり曇り。空気は生温かく、雨が降るのだろうか。雨降りなら水やりはしなくてもいいかな。
やかんをゆすって水をとぷとぷさせながら考えていたら、ベランダのすぐ向こうを低空で鳩が飛んで「プー」と鳴いた。
ポーじゃない!
10/29(日)
私は大人になってもずっと視力が良いままで、いっぽう娘は小学校に上がってすぐに眼科検診で視力の低下が診断された。
いまはめがねとコンタクトレンズを併用しているのだけど、私はこれまでめがねともコンタクトレンズとも触れ合ってこず、その文化のおおむねを知らないものだから、手配がいつもおぼつかない。買ったところで使うのは私ではないから、購入後これで正解だったのかも実感が薄い。
今日も処方箋を手に新しくワンデイタイプのコンタクトレンズをまとめて購入したはいいものの、どうもあいまいなまま、買った気分がしゃきっとしなかった。
とくにめがねと違ってコンタクトレンズは娘が装着したところで顔が変わらない。もちろん効用は十分承知しているが、はたから見るのでは何も起こっていないようで、甲斐も感じづらい。
§
11/3(金・祝)
ひと箱5個入りのアイスもなかを買った。きのうのうちに家族3人がそれぞれひとつずつ食べて、残りは2つ。
この家では暗黙の了解的に、5個あったら、子どもたちが2個ずつ、わたしがひとつ、ということになっている。いつもだったら残りは子どもたちで分けるところなのだけど、今日の私は猛々しかった。
まだ起き出さない子どもたちの目を盗み、残った2つのうちのひとつのもなかを開封し、食べた。
おそらく工場で作ってから少し時間が経っているのであろう、ぬしっとした歯ごたえのアイスもなかは独特のおいしさ。さっぱりしたバニラアイスも冷たくさわやかに歯に甘い。
ところでこのもなかは、ひとつが4ブロックに割れるように溝が入っている。全部食べきらずに、4ブロックのうちの2ブロックを食べて2ブロック残した。
そうすると、残りは未開封のひとつを合わせて全部で6ブロック。
タッパーに入れて、「ひとり3ブロックずつどうぞ」と書いたふせんをはりつけて冷凍庫に戻した。これが平和だ。
11/11(土)
10月に入ってすぐ、ざっくりした編みのニットをベージュと黒の色違いで2枚あたらしく買った。厚手だけれどVネックでえりもとが涼しいから、暑くなりすぎずなかなか着やすい。
寒くならない様子だった11月も少しずつ冷える日が出てきて、そうだ、ニットといえば、去年買ったケーブル編みの白いニットもあったんだ。
たんすから引っ張り出したところ、一緒に、ざっくりした編みのVネックのニットがベージュと黒の色違いで2枚、出てきたのだった。
……。
これな。
所持を完全に忘却していた。広げてながめて、明らかに去年の私が買ったのを思い出す。気に入ってずいぶん着た。
今年買ったものと並べる。酷似。
結局私は同じような服を着たがっているのだなということが分かり、自分という生き物にまた一歩肉薄することができたが、それにしてもどうしても茫然とはする。
11/13(月)
実家の母から、所用で近くを通るからおにぎりを差し入れると連絡があった。ちょうど私は在宅勤務で、昼に食べるもののあてがなかったからありがたいことこのうえない。
やってきた母は、スーパーで総菜を買うときに使うような薄いプラスチックの容器に大きな俵型のおにぎりを3つ入れて手渡すと、家に上がりもせずに去っていった。
これから集まりがあって、そこにおにぎりを差し入れるついでに私の分も用意してくれたということらしい。
巻かれた海苔がいい具合にしっとりしておいしそう。しめしめと昼休みを待って、時間が来ると同時にかぶりつく。母のおにぎりの味をもうすっかり忘れてしまっていたが、そうだ、母はおにぎりを三角形に握ることはほとんどなくて、子どもの頃からずっと俵型だった。
3つのおにぎりは昆布と、鮭と、梅干しで、ああそうだ、母のおにぎりはこうしていつもちゃんと味が違った。母というよりも、一般的におにぎりというものはそうなのかもしれない。
焦った。このあいだ娘に作ったお弁当に入れたおにぎりが全部梅干しで、帰ってきた娘が「食べても食べても味がぜんぶ同じだった」と言っていたのだ。
11/16(木)
レンジで温めて食べる、あらかじめ焼いてあるホットケーキをスーパーで買ってきた。
学校から帰ってきた息子がさっそく見つけて皿に出し、いそいそレンジにかけている。こちらとしても、まんまと罠にはまって(罠ではないのだけれど)、しめしめ、という気分だ。
「あっっっっっつい!!!!!!」
急にでかい声が聞こえたのでおどろいた。どうやらレンジにかけすぎて皿が熱々になったらしい。
私は隣の部屋でパソコンに向かっていた。台所の息子の様子を目撃し、いたわりと、ねぎらいと、はげましの気持ちが一緒になって瞬発的に
「げんきだして!!」
と、熱がる息子と同じ声量で応じる。息子に「えっ、おれ今むしろここ一番くらい元気じゃなかった?」と言われ、確かに元気な声ではあった。
ホットケーキはバニラ味が効いておいしいとのことだった。
11/19(日)
大通りに面した6階建ての家具店は、エスカレーターの向こうがガラス張りになっている。
4階に目的のフロアがあって1階から上がって行くと、ガラスの向こうに街路樹のプラタナスの木が立っているのが見えた。
立派な幹の柄をながめて1階から2階、枝が広々として建物まで伸びて2階から3階、3階から4階に上がるところで人の足が見えて、木に3人の男性が登って剪定作業をしていたのだった。
地上3~4階の高さにいる、そのことは私も作業をする方々も変わらないのに、私はのんきな買い物客で、いっぽう剪定作業は玄人らしく手際よく進められ、同じ目の高さでガラス1枚隔てて近いところにいてこんなに人のさまがちがうと、人間の状況の可能性に感心した。
11/24(金)
近所のコンビニが閉店するようだ。子どもたちが「店内の商品がどんどん少なくなってる」「閉店は今月末らしい」とざわついている。
閉まったあとは何になるだろうと娘。「セリアがいいな~」と言いながらついで口から出たことばが、
「きっと私たちが望まないものになる」
で、唐突で現実的な絶望に笑ってしまった。
さらに息子が「何だったらいちばんテンション下がるだろうね?」と言うから「民家?」と答えたら「正解だ」と感心している。自分の発想では、ここで「民家」は出なかった、とも。
かつて商店だった場所が民家になるさまを目撃し、利便性の低下や店側の事情に心を揺らすのも、人間のひとつの成長かもしれない。
11/26(日)
夜道を音楽を聴きながら歩いて帰ったとき、どこで音楽を止めるかはいつも慎重に検討する。
私は音を聴きながら何かをすることができないたちで、イヤホンから音楽が流れている状態で家の鍵を開けるのが、やろうと思えばできるのだけどなんだかちょっと難しい。
けれどまだ夜道のうちに音楽を消してしまうと、目の前に純粋な夜が急にずんっと迫るようで、とくに冬場は怖くて気が進まない。
今日は玄関の直前で止めて、ひやひやしながら急いで鍵をあけて家に入った。
文/古賀 及子(こが ちかこ)
1979年東京生まれ、神奈川、埼玉育ち、東京在住。ライター、エッセイスト。 どうってことない日々を書くのが好き。日記の傑作選をまとめた著書『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』を2023年2月に素粒社より刊行。
note:https://note.com/eatmorecakes X(twitter) :@eatmorecakes
イラスト/芦野 公平(あしの こうへい)
イラストレーター、TIS会員。書籍、雑誌、広告等の分野で活動中。イラストを提供した仕事に、Honda N-ONEカタログ、坂角総本舗130周年カタログ、新国立劇場「シリーズ 声」ビジュアル、田島木綿子『海獣学者、クジラを解剖する。』(山と溪谷社)、瀬尾まいこ『傑作はまだ』(文藝春秋)など。
X(twitter) : @ashiko
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