【5秒日記】第9回:「パンとご飯を食べるのか。忙しいね」と娘が言う

「日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くと書きやすい。私は貧乏性だから、家のちょっとした瞬間を残して覚えてわかっておきたいと思うのです」 エッセイストの古賀及子さんと、高校生の息子、中学生の娘の3人の暮らしの様子や、自身の心の機微を書きとめる日記エッセイ。月一更新でお届けします

古賀及子

3/28(木)
息子のお弁当を作るのに、冷凍ご飯のストックがあるはずと、期待してご飯を炊かずにいたらうっかり中途半端な量しかない。おにぎりにすると小さなひとつ分にしかならなくて、時間もなくやむを得ずロールパンを合わせて持って行ってもらうことにした。

起きたばかりで、体幹をまださまよわせながら朝食のオムレツを食べる娘が見て「パンとご飯を食べるのか。忙しいね」と言う。

大人と子どもの違いの大きなひとつに、食事を自身で用意するかどうか、という要素がある。大人は基本的に自分の食べるものについては自分で用意するし、そうでなくても意識は向ける。

子どもは食べるものを大人に任せる。大人の采配に対して「こう来るか」と、困惑することが、私の子ども時代にもあった。

たしかに、炭水化物を数種に渡って食べるのは気が散って、娘が「忙しい」と言うのもわかる。ご飯をたくさん食べるのよりも、ご飯とパンを両方食べる方が大変だ。

そっと包んだ。息子は知らずにつかんで出かけた。

 

3/29(金)
打ち合わせと打ち合わせのあいだの時間つぶしに、喫茶店に入った。

カウンター席のテーブルの下には荷物置きが無い。背中と椅子の背にはさんで置こうとしたら、ちょうどその座面と背もたれのあいだが平たい面になっており「荷物はこちらへ」と書かれていた。

荷物を背中の後ろに置くことはよくあるけれど、正式に荷物置きになっている、こんな椅子があるんだな。

実は私はちょっと、背後に荷物を置くのがこわい。目に見えず、背の感触で有無を確認するのがどうも信用できず不安だ。子どもの頃はハンカチ落しのゲームがずっと苦手だった。察知への自信のなさが強いんだと思う。

正式に「荷物はこちらへ」と椅子に言ってもらうことで、その不安がだいぶまぎれた。

 

4/7(日)
桜が散るのがあらかじめさみしくて、春が来るのが毎年おそろしい。

けれど咲いてしまえば喜んで、咲いた咲いたと無邪気に楽しみ、散りゆくようすもさみしさばかりではない美しさがあるのだと、心持ちも豊かに静かにようすを見守れる。

近所の公園に大きな桜の木があって、通りかかると数人の高齢の方々がスマホのカメラを、けれど満開の桜の花ではないほうに向けてざわざわ盛り上がっていた。

なにを撮っているのだろうとちらっと見ると、公園の隣の家の窓から、盛り上がる人たちと同世代くらいの男女が彼らへ向けてピースサインを送っている。

誰もが入学式みたいにお祝いされる。これが桜の力だ。

 

4/11(木)
仕事で必要があって図書館へ。入り口の近くの掲示板に、毎年初夏に図書館併設のホールで行われる子ども向けのバレエ公演のポスターが貼りだされていた。

何年もずっと同じ演目を上演し続けて、ポスターのデザインも変わらない。図書館にはよく行くから、掲示板に貼られているのを毎年見る。

数年前、娘がバレエを習っていた小学校の低学年の頃に連れて観に行ったことがあった。子どもにも見やすいように工夫された公演は大人にもわかりやすく、ふたりですっかり楽しんだ。

ポスターは、毎年毎年貼られ続けて、そのうちの1回、私たちに対して具体的な効力を持ったことになる。

貼られて、貼られて、貼られて、私たちが貼られたのを見かけて公演を観に行って、また貼られて、貼られて、貼られて、続いていく毎年のポスターが、人を呼んでそれぞれに別の体験を分け続ける。

同じように繰り返すなかに、たくさんの人々のさまざまな記憶が織り込まれている。

 

4/12(金)
出かけて帰ってきた娘がおやつに麩菓子を見つけて食べた。そうして、ねえ、と私を呼ぶ。

「麩菓子を開発するのってすごくない? 何をどうすればこうなるの?」かじった麩菓子の断面をかざして指す。

いわれてみれば、謎だと積極的に思うことによってどんどん謎めいてくるタイプの食べ物だ。

そもそもは麩というのがあってね、と、そこまでは私も分かるのだけど、その麩とはなんなのか。グルテンをなんとかするのだったような……。

結果的に「たしかに謎だね!」と着地してしまった。

何がどうなっているのかよく分からないことがあまりに多い。現代を生きるとは、謎を謎のまま享受し続けることだと常々思うのだけど、麩ほど昔からあるものでもうすでに分からない。

 

4/16(火)
外国からの観光客がコロナ禍に入る前の様相まで戻ってきた。むしろ円安の影響もあってそれ以上の数とも聞く。

打ち合わせで街へ出た。繁華街にも駅にも商業施設にも、旅人らしい方々がいてすれ違う。私のどうってことない普段の生活のすぐそばに、誰かの特別な旅の気配がある。

道のすみで大きなキャリーケースにもたれかかってスマホでなにか検索している人がいて、小さな子どもがケースに座ってそれを見ていた。その前を外国語の早口で何か確認しあいながら足早に駅の改札を通って行くグループがいる。

旅行とはいえ、道を歩いたり電車に乗ったり、移動らしきあいだはさすがにハッピーでハイテンションなようすではなくって、多くの人がだいたい真顔だ。

私は旅行の経験があまりなく旅慣れないから、見かけるとほんのちょっとひやひやする。道に迷ってませんか、困ったことはないですか、楽しんでますか、いや、楽しくなくてもいいんですよね、そこに豊かな経験らしき手ごたえはありますか。

 

4/18(木)
朝早くから撮影がある。遅刻しないように時間に余裕をもたせて移動したところ、余裕をとったきっかりその分、早く着いた。

コーヒーを飲んで時間をつぶそうと、ちょうどこそにあったドーナツのチェーン店に入る。ただし、朝食はしっかり食べてきておりお腹はいっぱいで、ドーナツはもう胃に入らない。

朝、ドーナツ屋さんに入ってコーヒーを飲むだけでいいのか。

その「いいのか」はお店への儀礼的な意味であり、自分の食い意地に対してであり、そしてそれら以上に、もっと精神的な倫理観としての問いでもある。ドーナツ屋さんに入ってコーヒーを飲むだけで、いいのか。

逡巡しつつも私の胃は小さくて、コーヒーだけ注文すると店員さんが「ドーナツはよろしいですか」と聞くのだった。

胃が情けない。

 

4/19(金)
僭越ながら私の一日を取材して動画を作るお話があり、朝から自宅にクルーのみなさんがやってきた。朝の様子を撮影したあと、そのまま出版社との打ち合わせにもついてきてもらう。

最寄り駅に早めに到着し時間調整で公園に寄ると、きれいに整備された花壇の寄せ植えの花々がみっちりと隙間なく満開だ。たくさん写真を撮った。ディレクターさんにお花がお好きなんですかと聞かれるが、特別そういうわけでもなくただ興奮しただけなものだから恐縮する。

うねるように枝を伸ばした登りやすそうな木の根元の地面に、小枝を並べて枠が作られている。中には小石が丸く配され、その中にまた縦に小枝がびっしり置かれて、これはなにか、儀式の跡だろうか。前後に説明のない唐突な人為が目撃できて嬉しい。

朝からずっと晴れの日で、あたりは高い建物がなく、空が縦にも横にも広かった。

 

4/22(月)
息子が友人とカラオケをしたあと、ファミレスでご飯を食べて帰ってきた。

あのあたりにファミレスってあったっけ? と聞いて、場所を説明してもらって、そういえば、ある。

「あんなところにファミレス」とまでは感じていたけれど「が、ある」とまで思えておらず、店として利用する認識ができていなかった。

なんとなく分かりながら、意味として分かりきっていない、そんなことがあるんだなあと息子に言うと、「あるある、そういうこと!」と言う。

「朝の目覚ましと同じだよね、鳴っているのは分かってるけど、アラームだと気づいてない」

そうだ、それだ。まどろんでまだ覚醒しないうちに、何かが鳴っていることだけは知る。そのうちに、それが目覚ましのアラームだと気づく。

ぼんやりと目に入ってはいたファミレスが、存在として立ち上がってちゃんとしたファミレスだとやっと気がついたんだ。

 

 

文/古賀 及子(こが ちかこ)
1979年東京生まれ、神奈川、埼玉育ち、東京在住。ライター、エッセイスト。 どうってことない日々を書くのが好き。著書に日記エッセイ『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』(素粒社)。2024年2月に日記エッセイの続編『おくれ毛で風を切れ』(素粒社)、エッセイ『気づいたこと気づかないままのこと』(シカク出版)を刊行。
note:https://note.com/eatmorecakes  X(twitter) :@eatmorecakes


イラスト/芦野 公平(あしの こうへい)

イラストレーター、TIS会員。書籍、雑誌、広告等の分野で活動中。イラストを提供した仕事に、Honda N-ONEカタログ、坂角総本舗130周年カタログ、新国立劇場「シリーズ 声」ビジュアル、田島木綿子『海獣学者、クジラを解剖する。』(山と溪谷社)、瀬尾まいこ『傑作はまだ』(文藝春秋)など。
X(twitter) : @ashiko

 

『うんともすんとも日和』に、古賀及子さんが登場!


私たちが大好きな「あの人」のいまの生き方に迫る、ドキュメンタリー番組『うんともすんとも日和』、第51弾では連載『5秒日記』でお馴染みの古賀及子さんにご登場いただいています。

古賀さんのとある1日に密着し取材。最初に日記を書き始めたのは偶然で、子育てがひと段落した頃のことだったと振り返りながらお話ししてくれました。

ぜひご覧ください。

続きはこちら

 

本連載の一覧はこちら

 


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