【あの人の生き方】前編:10年かけてゆっくり実現。「SyuRo」宇南山加子さんの新しい暮らしを訪ねました
ライター 嶌陽子
からっと晴れたある日の午後。気持ちのいい風が肌をなで、ハルゼミのにぎやかな鳴き声や鳥のさえずりが聞こえてきます。
ここは長野県の御代田町。デザイナーの宇南山加子(うなやま ますこ)さんが昨年1月から暮らす場所です。
東京・蔵前で、日用品のショップSyuRo(シュロ)を営んできた宇南山さんは、子育てがひと段落したタイミングで御代田町に拠点を移し、新しく建てた自宅の横にギャラリー「SAMNICON(サムニコン)」もオープンしました。
東京の下町から一転、自然に囲まれた土地で全く新しい生活を始めた宇南山さん。ここ最近、人生後半をどんなふうに生きるかを考えている身としては、宇南山さんの決断や、それをどう実行に移したかがとても気になります。
「いまは毎日が心地いい」と語る宇南山さんに、移住を決めた経緯や、その過程で大切にしてきたことなどをじっくり伺いました。前後編でお届けします。
御代田を選んだ理由、新しい家のこと。聞きたくて会いに行きました
▲宇南山加子さん(左)と、プロダクトや家具のデザイナーである松岡智之さん(右)
軽井沢にも程近い、長野県の御代田町。浅間山に抱かれた土地に宇南山さんと、パートナーである松岡智之(まつおか ともゆき)さんが暮らす自宅、そしてギャラリー「SAMNICON」があります。どちらの建物も、宇南山さんと松岡さんの2人で設計プランを立てたのだそうです。
お邪魔してまず感じたのが、通り抜けていく風の心地よさでした。
▲自分たちで設計プランを立てたという自宅では「PS」という冷暖房を採用。分厚い断熱材を入れ、室内に取り付けたラジエータの中を暖房時は温水、冷房時は水が循環することで室内の温度を一定に保つ。家づくりの際、エネルギーについてたくさん勉強したのだそう。
▲自宅隣に建てたギャラリー「SAMNICON」。松岡さんがデザインした家具が配置され、宇南山さんデザインによる、またはセレクトした日用品が並ぶ。
▲自宅とギャラリーをつなぐポーチは天井だけがついた半屋外スペース。通り抜ける風が気持ちいい
宇南山さん:
「ここではエネルギーを大切にする暮らしをしたかったので、風が通るように、また1日を通して光を感じられるように設計しました。
ほかにも太陽光発電パネルを取り付けたり、生活排水を植物などの力できれいにして畑に使ったり。エネルギーを循環させる暮らしを自分たちらしいかたちで実現したくて、いまも模索中です」
いまも仕事で東京に行くことはあるけれど、たいてい日帰りで帰ってきちゃう、と話す宇南山さん。ここでの暮らしにすっかり体が馴染んでいるようです。
10年前、「息子が巣立ったら別の暮らしを」と思った
御代田での生活を満喫している宇南山さんと松岡さん。そもそも、どうしてこの土地で暮らすことになったのでしょう? ときは10年ほど前にさかのぼります。
宇南山さん:
「息子が10歳のときです。そのころ、あと10年くらいしたら別の暮らしをしようと思っていました。元々松岡も私も釣りが趣味で、週末は息子を連れて自然の中に釣りをしに行っていたんです。そのころから、自然のある暮らしへの憧れは持っていました。
ただ、子育ては自分の地元でもある下町でしたいと思っていたんです。自分が子ども時代をそこで過ごして楽しかったから。だから、子育てがひと段落したころに別の場所で暮らそうと漠然と思っていたんですよね」
息子さんが10歳のとき、宇南山さんにはもうひとつの大きな出会いがありました。
宇南山さん:
「息子と北海道のある家を訪ねたら、真ん中に大きな焼却炉があって、毎回ごみを燃やした熱でごはんをつくるんです。その熱が家中に張り巡らされている銅管を通って家の中を温めながら、給湯タンクにためられてお湯ができるという仕組みで。
それを見て衝撃を受けたんです。こんな循環型の暮らしができるんだ!って。それ以来、選択肢のひとつとしてずっと頭の片隅に残っていました」
旅するごとに「肌に合う場所」を探して
そんな小さな芽が心に生まれたのが2013年ごろのこと。それを宇南山さんと松岡さんは、ゆっくりゆっくり育てていきます。
宇南山さん:
「その後も全国各地に釣りに行く中で、自分たちの肌に合う場所、心地いいと思う場所を探していきました。
森みたいなところがいいねとか、こういう木がある場所がいいねとか、自分たちが気持ちいいと感じる場所って大体標高1,000メートルだね、とか。いろいろな土地を巡るなかでそうやって話し合って、だんだん選択肢を絞っていった感じです。
とはいえ、最初から綿密な計画を立てていたわけでは全然なく、いつかこんなところで暮らせたらいいねという漠然とした思いを持っていただけでした」
何が自分たちにとって心地いいのか。綿密な計画は立てていなかったとはいえ、そのアンテナをずっと張ってきたからこそ、いざ大きな出会いのチャンスが巡ってきたときに、それを逃さなかったのでしょう。
山梨や静岡、栃木、群馬……。釣りや仕事で全国各地を訪れては暮らしたい場所についてイメージを膨らませていた宇南山さんが、御代田町に出会ったのは2019年のことでした。
宇南山さん:
「仕事でこの辺りを通ったとき、景色が素晴らしく、急に空気がからっとして気持ちいいなと思ったんですよ。そうしたら、ここが標高1,000メートルだって分かって。
東京に帰って松岡に話して、翌週には2人で訪れていました。彼も気に入って、そこからは早かった。3ヶ月後くらいには、もうこの土地を見つけて決めていましたね。この辺りで合計10件ほどの土地を見たんですが、ここは肌に合うと感じたし、暮らしている自分たちが想像できたんです」
「面白い体験になるんじゃないか」と、ユンボの免許も
▲生活排水を植物などの力できれいにする自然浄化システム「バイオジオフィルター」の川づくりを今も進めている。浄化された水を池にため、ポンプで組み上げて畑の水やりなどに使う予定
日当たりのよい庭には、さまざまな種類の木が植えられ、自分たちでつくった畑や池、今も作業中の川などがあります。
実は土地を買ったとき、ここは一面カラマツの林だったそう。すでに樹齢が高く、いずれは倒れてしまうと聞いた2人は木を切ってもらい、幹は自宅やギャラリーの建材などに活用。残った大量の枝葉の整理は、自分たちで行いました。
宇南山さん:
「太くて絡まりあっている枝は、まるで知恵の輪でした。チェーンソーで切って、人力では動かせないからユンボの免許を取って引っ張って。週末ごとに東京から御代田に通って、その作業をひたすら続けました。これ、終わるのかな……と思ったことも。友人たちにも手伝ってもらいながら、半年以上はかかりましたね。
そのあとは池をつくるためにシャベルで穴を堀って。それも全部手作業です。真夏だったから暑かったなあ。水を飲んだり梅干しを食べて塩分補給したりしながら作業してましたね」
プロに頼むこともできたのに、なぜあえて自分たちで手を動かしたのか。不安や諦めの気持ちはなかったのか。そう聞くと、「ワクワクした気持ちでしたね。自分たちでできるものはなるべくやった方が、面白い体験になるんじゃないかと思っていましたし」と、さらりと話す宇南山さん。
松岡さんの「人生の中でいかにいろんなことを体験できるかっていうのが、最後に楽しかったと思えるかどうかに繋がるかなと思って」という言葉も印象的でした。
人を信じて、任せることも学んで
そんなふうに御代田での準備を続けると同時に、宇南山さんは東京でも移住のための準備を進めていました。
宇南山さん:
「その頃高校生だった息子に少しずつ家事を覚えてもらって、高校卒業後のひとり暮らしの準備をさせていました。
もう一つは仕事のこと、自分の会社のことです。実はこっちに来ると決めたとき、東京のSyuRoを移転しようと考えていました。でもスタッフたちが頑張ってくれているのを見て、もう少し残そうと思ったんです。
それで3年くらいかけて、それまで私がしてきた仕事を、デザインの部分を除いて少しずつスタッフに移行してきました。私が移住しても東京での仕事がまわるようにしていったんです。
任せた仕事については、いつでも電話やメールで相談を受けられるようにだけしておいて、なるべく口出ししないようにしていました。我慢するのがすごくむずがゆくて大変でしたね(笑)」
宇南山さん:
「それまでは、自分がいないと会社は回らないと思っていたけれど、実際に任せてみたら会社としての力が何倍にもなったんですよ。 “自分で抱え込まず人に頼ってみる” ことは、すごく勉強になりました」
そうして御代田に移り住んだのは2023年1月のこと。「10年後に別の暮らしを」という思いを本当に実現したのです。
じっくり時間をかけ、手も頭もたくさん動かすことで、思い描いていた生活をかたちにしていく宇南山さんの姿からは “自分の手で暮らしをつくっていく” ことの豊かさが伝わってきます。
後編では御代田に暮らして変わったこと、そして変わらず大切にしていることなどを伺います。
(つづく)
【写真】メグミ
もくじ
宇南山加子
生活日用品のプロダクトデザイン、店舗などの企画・ディレクションをするデザイン会社、『SyuRo』の代表取締役、デザイナー。商品企画、オリジナル商品の卸売販売、直営店の運営など幅広く手がけている。
Instagram @masukounayama
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