【人生は木のように】後編:ゆっくり、人と出会いながら。「ふたりで半人前って僕たちよく言うんです」(須山実さん・須山佐喜世さん)
【かぞくの食卓 -table talk- 】プロローグ:それぞれ、一緒に生きる。子どもたちが集う日のフライドポテト

毎日の生活をともにする、いちばん身近な存在である家族。大切に想うからこそ、期待や甘えが生じてぶつかり合ったり、気負いや我慢から空回りして行き詰まったり。距離感や関わり方に迷うことがあります。
ほかの家族はどんなふうに、ともに暮らす日々を営み、その関係を育んでいるのだろう?
ある日の食卓から、家族のものがたりを辿っていく連載を始めます。一つの正解はなく、きっと食卓の数だけ、家族のかたちがある。そんな予感がしています。
はじめに、我が家の「かぞくの食卓」をお届けします。子育ての孤独から手繰り寄せたのは、“家庭の食卓をひらく”ことでした。
季節の食卓を囲み、家族をひらく

友人たちが我が家に集う、とある日。
義実家・愛媛の畑から届いた太陽が香る野菜と柑橘。スーパー・オオゼキで目が合った特売品と旬を迎えた果物。我が家に集った食材と、友人たちの顔を思い浮かべながら、献立を考えます。

来訪の1,2時間前になったら、エプロンをかけて台所へ。野菜がまとっていく水滴、焦げ目、湯気。どの瞬間も美しいな、と感じながらつくるのは、シンプルな名もなき料理たち。
とびきりおいしいものはつくれないし、味の輪郭がぼんやりすることも。そんなときはお好みで塩をかけてね、くらいの大雑把さでいます。
時折、娘が「私もやりたい!」と台所へやって来ることも。壮大に散らかったり、時間がかかったり。子どもの好奇心がもたらす想定外も受け止めるようにしています。できる限りは。

そして、みんなが揃う頃には調理を終えてお皿をぜんぶ食卓に並べます。乾杯!したあとはエプロンを外して、私も輪の中でおしゃべりしたいから。
スタンスは“おもてなし”ではなく“家庭の食卓をひらく”。ケの日よりはハレの日に近い、子どもの帰省に張り切ってごはんをつくり過ぎちゃう親のような感覚でしょうか。

こうして友人たちと食卓を囲み「家族をひらく」ことを娘が3歳を過ぎた頃から気づけば5年、続けています。
続けるために意識しているのは、無理をせず、自分の小さな喜びを土台にすること。娘と友人たちと食卓を囲む時間を、きっと私がいちばん楽しんでいます。
親であることのプレッシャーをほどく

そもそも、賑やかな食卓の原風景は生まれ育った実家にあります。愛知の片田舎で、3姉妹7人家族でほぼ毎日食卓を囲み、週末は老若男女20人ほどが庭に集いBBQをすることも。
子ども時代、親とふたりで向き合うことはほとんどなく、親族や近所の大人の目に囲まれて、きょうだいを超えて遊び、“みんなで育った”感覚があります。行き詰まっても、近所の家など、家族と距離を置ける逃げ場がありました。
愛媛の同じような環境で育った夫と東京で合流し、娘が生まれて数年、私には逃げ場がありませんでした。夫は「仕事が趣味」だと言い切るワーカーホリックで、昼夜問わず働き出張も多くほぼ不在。実家は遠くて頼れない。家族以外に迷惑はかけられない。

幼い娘とマンションでふたりきり、仕事も食事もままならず、睡眠不足も相まって、涙が頬を伝う日々。このままでは自分が、家族が壊れてしまう。溺れかけて必死にもがいて、行き着いたのが「家族をひらく」ことでした。
友人たちを家に招いて、娘の誕生日や季節の訪れを食卓で祝うことから始め、少しずつ家庭に第三者の風が吹くように。
自分たち親以外に娘にまなざしを向けてくれる人たちがいる。それだけで親であることのプレッシャーと気負いがほどけていきました。
食卓で育む、“お互いさまの関係性”

子育てというケアを閉じた家族だけで担おうとしない。その意志の延長線上で、娘が5歳になる頃、友人の建築家に設計を頼んで小さな家を建てました。コンセプトは家族をひらく「実家2.0」。
自分たちの実家がそうであったように、とはいえ、遠くにいる親族ではなく、近くにいる友人たちを中心に、娘と関わってくれる人たちを増やす。家族をひらいて、田舎の実家観を東京でアップデートしながら、娘がいつでも安心して帰って来られる実家をつくる。それが「実家2.0」に込めた想いです。

この家で暮らして3年弱。私が熱を出したとき、出張があるときに娘を泊まりで預かってくれたり。娘の小学校の入学式に参加したり、夏休みに一緒に旅に出たり。娘の成長をともに見守ってくれる擬似親戚のような人たちが周りにいてくれます。
娘が小学生になるタイミングで、夫は海外での大仕事で1年ほぼ不在だったけれど、ワンオペだと感じることはありませんでした。
家族を超えてともに食卓を囲む中で、自然と困りごとを共有し、頼り頼られる“お互いさま”の関係性が育まれているように思います。
揚げ物をしながら、子どもたちを見守る

私たち娘が実家に帰ると母はいつも揚げ物をします。定番はさつま芋の天ぷら。その影響か、私も子どもたちが集う日は高確率で揚げ物をしています。
我が家の定番のフライドポテトは、いろいろなレシピを試しては娘と「この食感が好き」「このかたちがいいね」と言い合いながら、自分たちのおいしい!を見つけました。
台所で味見と称して揚げたてを頬張るのも母譲り。湯気立つ熱々を味わえるのは台所に立つ者の特権。と言いつつ、娘もやって来てつまみ食いをします。

同じ保育園に通っていた近所の子どもたちの誕生日を祝って、我が家に総勢30人(!)が集うことも。揚げ物をしながら、ほどよい距離で子どもたちを見守る“近所のおばちゃん”でいたいなあと思います。
家族だけでなく、友人や近所の子どもたちにとっても、安心して過ごせる「実家」のような場所になったら。おこがましくも今はそんなことを願いながら、私は台所に立っています。あの頃の自分を救うような気持ちで。
ゆるやかな関係性の中で、安心の土台を

季節の食卓を囲み、家族をひらく。私は料理も食べることもおしゃべりも好きなので、この時間がなければ、満たされない気持ちをひたすら夫にぶつけて空回りしていたことでしょう(普段は娘とふたり、簡単なワンプレートの静かな食卓です)。
家族と自分が健やかであるために、今では切実に、なくてはならない暮らしの断片になっています。

唯一家族3人が揃って食卓を囲むのは朝ごはんです。お米を炊いて味噌汁を拵えて、目玉焼きとウインナーを焼いて。「ごはんできたよー起きてー」と呼んでもなかなか起きて来ない。出来立てを食べたい私はひとり先に席に着いて湯気を浴び、遅れてきたけどせかっちな夫が食べ終わる頃に、のんびりな娘が食べ始めるので足並みが揃いません。
ホルモンの荒波が押し寄せ、不機嫌がぶつかり、ささいなことで夫を責め立て、正しさで娘を追い詰めてしまうこともあります。家族の食卓は理想通りにいかないのが常です。
娘は気に入ったものばかりを食べるし、夫はシンプルな味付けの私の料理にpasta &pizza味の謎の海外の香辛料をドサドサ振りかけることもあるけれど。味覚や好みが違うから、私の勝手な理想を押し付けないようにしています(小言をつぶやくことはありますが)。
我が家の合言葉は「それぞれ、一緒に生きる」。ともに暮らすままならなさを引き受けながらも、お互いの自由を奪わず、マイペースに歩む。そのために家族以外のゆるやかな頼り先を増やし、安心の土台をつくる。
わかり合えなくても、わかり合おうとすることは手放さずにいたいです。

誰かとともに生きていくこと、家族の関係性にゴールも完成系もなく、悩みや葛藤は尽きません。この連載で次回以降、さまざまな家族の食卓を訪ねながら、それぞれがよりよくあれる家族のかたちを探り続けていきたいです。

じゃがいもをまるごと茹でて、スッとフォークが刺さるくらいやわらかくなったら湯から引き上げる。包丁で切り込みを入れて割り、バッドに並べて冷凍しておく。食べる直前に、冷たい油からこんがり色づくまで揚げる。油を切って塩をふって、熱々のうちにどうぞ。
「前々から冷凍庫に仕込んでおけるし、揚がるのも早いので、お腹を空かせた子どもたちを待たせません。皮付きで外はカリッ、中はホクッとします。大人はスパイス塩をかけても◎」
photo:井手勇貴
徳 瑠里香
出版社に勤務し、本をつくった著者のブランドで働いたのち、独立。暮らしまわりの執筆ほか、企業から個人まで、話を聞くことからはじめ、創作や関係づくりに伴走する。著書に『それでも、母になる -生理のない私に子どもができて考えた家族のこと-』(ポプラ社)、共著に『庭と食卓 -ふたりで健やかに働き暮らす-』(私家版)がある。東京の小さな家で、家庭の食卓をひらく。
Instagram: @rurikatoku
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