【人生は木のように】前編:ふたりで150歳。自宅で私設図書館「木林文庫」を営む、須山実さん・須山佐喜世さん夫妻を訪ねました

70代の夫婦が自宅で開く、私設図書館「木林文庫」へ
学芸大学駅から歩くこと3分。商店街を抜け、マンションのベルを鳴らすと、「ようこそいらっしゃいました」と、にこにこ顔のご夫妻が出迎えてくれました。須山実(すやま みのる)さんと佐喜世(さきよ)さんです。
キッチン、ダイニングからリビングへとひと続きになった空間には、たくさんの本、本、本。「りんご」「木のぼり」「緑」といった言葉の背表紙が並ぶかたわらにはリンゴのオブジェや洋酒のボトル、いくつかの小さな椅子もあります。

木の本に囲まれた秘密の森のようでいて、初めての人もすうっと迎え入れてくれる、不思議な居心地の良さ。都心のマンションだということを忘れてしまいそうなここは、編集出版事務所「エクリ」を営む須山夫妻による私設図書館「 木林文庫 」です。
その名の通り木にまつわる本が並び、予約をすれば、誰でも訪ねて本を閲覧することができます。
おふたりがこの場所に木林文庫を開いたのは約10年前、60代を超えてからのこと。もとはふたりの仕事場でしたが、いまは住まいもここ。職住一体の暮らしをしていると聞いて驚きました。

実さん:
「以前はこの近くの一軒家に暮らしていましたが、荷物を整理してこの家にまとめることにしたんです。僕たちは洋服も少ないしね。今日みたいな白いシャツとデニム、年中こんな格好をしています」
佐喜世さん:
「自宅を開くというと、心配はなかったかと聞かれることもありますが、ちっとも不安はありませんでした。メールでお約束するだけで、性別も年齢も職業もわからない。だから毎回、どんな方かしら?と、ふたりしてわくわくしながらドアを開けるんです」
フランス映画に憧れ、自由奔放にやってきた青年時代

おふたりには、図書館や書店で働いていた経歴はありません。その源流をたどると、フランス映画の世界がありました。
実さんは大学卒業後、映画人を目指すためシナリオの学校へ。シナリオライターになる夢をくゆらせながら、もっと映画の世界を知りたいと単身でフランス留学に出たのは27歳のときでした。
実さん:
「フランスでは毎日、映画館に通っていました。フランス語は勉強中だし、内容は2割くらいしか分からない。それでも映像を見ているだけで楽しかったんです。あのとき見た映画が、今の考え方に少しは影響しているのか、それは分からないけれどね」
憧れのパリに暮らし、学校に通い、浴びるように映画を見る毎日。なんとも自由で楽しそうですが、このとき佐喜世さんとはすでに夫婦の仲。新婚まもなくの遠距離生活だったのだとか!
佐喜世さん:
「ふふふ、びっくりしちゃいますよね?
わたしは大学でロシア語を学んだあと、画廊でロシアからの絵画の輸入や翻訳の仕事をしていました。だから年に2度、ボーナスを抱えて会いに行くんです。生活費を届けにね(笑)。最後の4ヶ月は、わたしも仕事を辞めて一緒にフランスを周りました」
3人の子育てに奮闘する働き盛りの日々

ふたり揃ってフランスから帰国した後、実さんは出版社で働き始めました。シナリオライターの夢を捨てたわけではありませんでしたが、家族が増え、子育てと仕事、生活をまわしていくのにがむしゃらの時代が始まりました。
ところが、「会社員はやりたいようにやれないし、自分には向いていない」と、実さんは独立を決断します。
実さん:
「独立してからも、やりたい仕事だけをできていたのかというと、ちっとも。いわゆる編集の請負い仕事が中心です。
もちろん、雑誌の取材でおいしい店を訪ねたり、高級なホテルに泊まったりと楽しいこともありましたが、納期が厳しい仕事も多かった。いつも資料をわーっと積み上げていたものだから、息子からは『父ちゃん仕事ばっかり!』と言われたこともありました。
けれども同時に、かけがえのない仕事もたくさん。詩人の長田弘さんとの出会いをはじめ、大切な縁にも恵まれました」
▲心理学者・河合隼雄氏の対談連載を担当した広報誌「えるふ」は思い出深い仕事のひとつ。のちにエクリで詩画集をつくる詩人の長田弘氏との出会いもここから生まれました。
佐喜世さん
「3歳差で男の子が3人。1日5回くらいご飯を食べるから、ずっとおにぎりを握り続けていた気がします。
基本的には子育てが中心だったから、通信教材の採点や翻訳の手伝いなど、家でできる仕事をしていたことも。
電話が止まってびっくり、なんてこともあったけれど、それでも『大変』という感覚は不思議とないんです。そのときどきで生計を立ててきました」

実さん:
「当時、知人から『お金がなくても幸せなんだね』と言われたことがあります。そんなふうに見えるのかと思ったけれど、でもその通りだと(笑)
DINKsという言葉がありますよね。『Double Income No Kids(ダブル・インカム・ノー・キッズ)』。それに対して、わたしたちは『Poor Income Three Kids(プア・インカム・スリー・キッズ)』だ、なんて笑っていたんです。
彼女が悩まないタイプなのか、口にも顔にも出さずにいてくれたからなのか……それはわからないけれど、やりたいことをやりたいようにやって、だから楽しくいられたんじゃないかな」
果実が熟すように、ゆっくりじっくり生み出す一冊

さまざまな仕事を経て、エクリとして初の出版が叶ったのが約20年前のこと。
フランスの詩人、ポール・エリュアールとアンドレ・ブルトンの詩に、宇野亜喜良さんの絵を合わせた詩画集『恋愛 L’amour』でした。
実さん:
「最初の本を出せたのは、50歳を過ぎてからです。
僕は学生時代、『アルファヴィル』という映画に登場する、自由を掲げた詩にとても感銘を受けたんですよね。言葉が消えゆく弾圧された社会で、詩がもたらす希望。それがエリュアールとの出会いです」
▲今も大切に持っているエリュアールの詩集。実さんいわく「独立を願う市民がいつもポケットに入れておけるように、こんな薄い冊子にしたのかな」。
実さん:
「木林文庫も、振り返れば、一冊の本を作ったことがきっかけでした。
息子に誘われ、たまたま見に行った個展で、これを本にしたいと惹き込まれた日高理恵子さんの木を見上げる画。それと詩人の長田弘さんの樹にまつわる言葉とを編ませてもらったのが『空と樹と』です」
▲『空と樹と』のあとがきで、長田弘さんがこの本について「幸福な書」と記してくれたことに「こんなにうれしいことはない」と実さん。
実さん:
「この出版が縁となり、2010年に高知県の牧野植物園で展示『樹と言葉』を行うことになりました。
海外の叙事詩や古典文学、哲学、和歌など時代も国も超えて集めた樹にまつわる言葉とともに、細野晴臣、いしいしんじといった著名人の書きおろした言葉を展示しようと。
樹に思いを寄せる言葉や物語を探していくと、次々に見つかってね。それで、ほら、木という文字を分解すると、八と十になるでしょう、だから『80冊の木にまつわる本』も一緒に展示することにしたんです」
せっかくならば、手元にあつまった本を、展示のあともみんなに見てもらうのはどうだろう。木と林で語呂がいいから『木林文庫』と名付けよう。そんなふうにして、思いがけないかたちでこの場所は生まれたのでした。
あの頃は思いもしなかったことだけど

エリュアールと出会っていなかったら本作りをしていなかったかもしれない、と実さんは当時を振り返ります。
実さん:
「エリュアールが好きで、そこからフランスにまで行ったわけだけど、まさか本を作るようになるなんて当時は思いもしませんでした。
いつも作りたい本のかたちをゆっくり温めているのだと思います。頭の中で考えている時間が長いから、一冊をかかるのにとてつもなく時間がかかるんです。
今、進めている本は『本を作りましょう』と声をかけてから10年になります。のんきだし、遅いんですよ」

一見破天荒にも思えるパリ行きがなかったら。請負い仕事なんてやりたくないと突っぱねていたら。エリュアールの本は形にならず、長田弘さんとの出会いも、この木林文庫もなかったかもしれません。
エクリの本作りは、この本を形にしたいという湧き上がる思いがじっくり育ち、満を持して一冊となる。まるで果実がゆっくりと熟し、自然と落ちてくるのを待つような、そんな本作りです。
雨風や光を受け止めながら、やがて花や実をつける木々のように、流れに任せながらもじっくり紡いできた仕事と暮らし。木と人生は、どこか少し似ている気がします。
後編では、そんなふたりの生き方に注目しながら、夫婦の日常や大切にしていることについてお聞きします。
【写真】土田 凌
もくじ
第1話(11月25日)
ふたりで150歳。自宅で私設図書館「木林文庫」を営む、須山実さん・須山佐喜世さん夫妻を訪ねました
第2話(11月26日)
ゆっくり、人と出会いながら。「ふたりで半人前って僕たちよく言うんです」(須山実さん・須山佐喜世さん)
須山実さん・須山佐喜世さん
編集出版事務所エクリ、「木林文庫」主宰。実さんは1948年生まれ、編集者。佐喜世さんは1949年生まれ、編集者・翻訳家。1994年に〈エクリ〉を立ち上げ、年一冊のペースで出版。木林文庫のはじまりや二人が好きな本や漫画について、のんびり語るYouTubeを毎週土曜日に公開。東京・学芸大学の私設図書館「木林文庫」は毎週金曜日と第2、3土曜日のみ、事前予約制。
HP:
https://e-ecrit.com/
HP:
YouTubeはこちら
Instagram:
@ecrit_kirin
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