【しなやかな人】第3話:「同じタイミングで笑える人」との時間が、人生を豊かにしてくれるから

編集スタッフ 岡本

平凡な日常に時々、人生の大波がやってくると、つい足を踏ん張って変化にあらがおうとしてしまう自分がいます。もっとしなやかでいられたら、と願ったことは少なくありません。

特集【しなやかな人】では、太陽のような笑顔で迎えてくれた、住宅設計者の田中ナオミさんにお話を伺っています。第1話では、周りとは少し違うことを自覚しながら過ごした幼少期について、第2話では、念願の仕事についた先でぶつかった壁についてお届けしました。

第3話では、住み手とすれ違っていく苦しさを感じながら働いていた頃に発覚した病気のお話から、聞いていきます。

第1話を読む

第2話を読む

 

誰の人生も並走できるわけじゃない、と気付いた

田中さん:
「子宮の病気が見つかったのですが、思えばずっと前から異変は感じていたんです。なんとかやり過ごしながら何年もきてしまったので、見つかった時はギリギリの状態で。

でも、次から次へとやらなきゃいけないことが押し寄せてくる状況に気持ちの限界も近かったから、タイミングとしては救われたような感覚でした」

忙しいとは言え、仕事は波に乗っていた頃。もし自分だったらと考えると、不安や戸惑いでいっぱいになる様子が目に浮かびます。

田中さん:
「今振り返ると、不安を感じる余裕もなかったような気がしますね。思考が停止してしまうほど、頭が回らなくなっていたし、現場がうまくいかないのは私のせいだと思い続けていたから、心も鈍感になっていたのかも。

病気については夫が率先して調べて、治療法などを決めていってくれたので助かりました」

1週間の入院中は、久しぶりにプレッシャーから解き放たれて過ごした田中さん。好きな本を読んだり、今の暮らしや働き方について考えを巡らせたそうです。

田中さん:
「病気をきっかけに、仕事へのスタンスが大きく変わりました。

価値観の合わない依頼者とだってプロならうまくやっていかなきゃいけないと思い込んでいたけれど、誰の住宅でも作れるわけじゃないと、やっと認められるようになった気がします」

退院後は心も体も見違えるように元気になり、仕事も再開。病気療養を経て仕事への向き合い方が変わり、自分の心地よいペースで働けるようになっていきました。

 

ポイントは、同じタイミングで笑える人

40代はじめにして大きな節目を迎えた田中さん。これを機に、仕事をする上で、ひとつの基準が生まれたそうです。

田中さん:
「住宅づくりを依頼される、というのは、その人の人生を並走するということ。だからこそ、同じ方向を向いて価値観を共有できる人でないと、お互いが不幸になります。

じゃあどうやって、価値観を共有できる人かそうでないかを見極めたらいいだろうと思った時、『同じタイミングで笑える人かどうか』ということにしてみたんです。その基準を設けてからの住み手との関係性には自信がありますよ」

▲住宅作りの過程をアルバムにまとめてプレゼントしてくれた、住み手さんとの思い出。

気を遣ったり遠慮したりせず、同じタイミングで笑える人。私にとっては誰だろうと考えてみると、思い浮かぶ顔がちらほら。一緒に過ごした時間が明るい情景として思い出されて、大切にしたい思いや、好きの基準が近しいことに気づきます。

きっとそんな人たちとのお付き合いの積み重ねが、今の田中さんの太陽のような笑顔を作り出しているのだと感じました。

 

自分を飛び越えて、もうひとつ向こう側に行けたら

たくさんの人の人生に寄り添い、これまでに88軒以上の住宅を手がけてきました。そんな田中さんが今、暮らしの中で大切にしているのは、生活を楽しむこと。

田中さん:
「美味しいものを食べて、夫や友人とお酒を飲んで過ごす時間が今の楽しみ。コロナ禍だったり60代を迎えたりしたこともあって、仕事のペースはだいぶゆっくりになったけれど、仕事も変わらず楽しみのひとつです。

でも、豊かに暮らすってどういうことだろうと思うと、もう少し思いを巡らせないといけないのかなとも思っていて」

田中さん:
「豊かであることって、私は『もうひとつ向こう側にいけること』だと思っています。美味しいご飯を食べられる、あったかいお風呂に入れるというのは、自分自身の幸せの範疇。

自分を飛び越えて、周りにいる人やものについて考えられることが、豊かっていうことなのかなあと最近考えるようになりました」

田中さん:
「暮らしのなかで、婦人之友の創業者である羽仁もと子さんが言っていた『家庭は質素に、社会は豊富に』という言葉を時々思い出します。ある程度自分自身を満たして余白が生まれたなら、周りのことを考えてみる。そういう姿勢でいたいなと思うし、そんな社会はきっと美しいと思うんです」

隣の人が困っていたらすっと手を差し伸べたり、環境に配慮したもの選びをしたり。実際の暮らしは忙しないけれど、無理せず生まれた余白でそんな選択が積み重ねられたら、自分の周りの世界が少し優しく見えてきそうです。

 

いい風を掴みながら、働き方も変えて

取材の最後に、これからのことについても聞いてみました。

田中さん:
「ずっと住宅づくりを続けていきたいけれど、仕事のスタイルやできることは変わっていくだろうなと思っています。若い世代の住み手とは接点が生まれにくくなるかもしれないし、ウッドショックの影響で価格が高騰し、新築が建てづらい現在、リノベーションの依頼が増えてきているのも事実です。

手がけた住宅は最後まで面倒を見たいけれど、私も歳を重ねてきたし全うできるだろうかとも思います」

田中さん:
「今後どう変化していくかは予測できないけれど、いい風が吹いたらしっかり掴んでいきたいですね。

私、すごくせっかちなんですよ。だから変化を恐れたり、くよくよしている暇がない。これからも一生懸命、楽しんで生きていきたいなあ」

田中さんとお話をしていて、人生に訪れる波をそんなふうに捉えることができるんだと、はっとする瞬間がたびたびありました。

真正面から見ると、今の自分には到底乗り越えられないような荒波に見えても、少し冷静になって横から見たり、ふわっと浮いて俯瞰してみたりすると、案外プラスに転じる道だって見つかりそうです。

周りにいる人も、降りかかってくる出来事も、そして自分自身も。たくさんの面を持ち合わせているのだと意識してみたら、しなやかに生きるヒントが見えてくるかもしれない。取材を終えた今、そんなふうに感じています。

(おわり)

【写真】木村文平

 

もくじ

 

田中ナオミ

1963年大阪府生まれ、1965年から高校卒業まで徳島県にて過ごす。1999年に「田中ナオミアトリエ一級建築士事務所」を設立。現在は東京を拠点に、住宅設計を行っている。家づくりの会会員、住宅医協会認定住宅医。著書は『がんばりすぎない家事の時短図鑑』(エクスナレッジ)など。HPはこちら http://nt-lab.na.coocan.jp/


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