【57577の宝箱】紅組の子も白組の子も帰る 陽に温められほてった顔で

文筆家 土門蘭


保育園で、6歳の次男の運動会があった。

プログラムには、太鼓を叩く演目やリレー競走など、年長クラスならではの見せ場がある。毎年、年長クラスの子供たちの様子を見るたびに「年長になったら見るのが楽しみだなぁ」と思っていたのだけど、私は今年ちょっと不安だった。

というのも、昨年の冬の生活発表会でこんなことがあったのだ。

生活発表会では、クラスのみんなで一緒になって、歌や踊りなどを披露する。次男も家でよく練習をしていたし、私は何の心配もせず、本番が来るのを楽しみにしていた。
朝、「今日はがんばってね。見に行くからね」と次男に言うと、「うん」とちゃんと返事もしたのだ。しかも、運よく保護者席の最前列に座れて、動画撮影の準備もばっちり。ワクワクしながら出番を待っていた。

それなのに、本番が始まっても次男は椅子から立ち上がらなかった。みんながステージの上に出てきたあとも一人だけ動かず、お腹の前で両手を組んでもじもじさせている。彼の緊張しているときの癖だ。

私は次男に向かって手を振りながら、「出ておいで!」と口パクで言ってみる。次男はこっちをちらっと見ながらも、迎えにきた先生の脚にしがみつき、ステージに出ようとしない。そのうちピアノの伴奏が始まって、お友達が上手に歌い始め、踊り始めた。何度も家で見聞きした歌だ。あんなに張り切って練習していたのに、と思うと、私はもどかしくなった。

「おいで!」「歌ってごらん!」
何度も身振り手振りで次男に激励を送る。でも、次男は先生にしがみついたまま、頑なに動こうとしない。隣に座っていた保護者の方が、
「きっと恥ずかしいんですね」
と、気を遣って声をかけてくれた。私は「そうなんでしょうね」と苦笑いする。でも、心の中では残念で仕方なかった。

とうとう、演目が終わるまで次男は一切動かなかった。みんなと退場するときにようやく腰を上げて、私の方を見る。私は手も振らず、笑いかけもしなかった。ショックだったし、がっかりしたから。次男が歌ったり踊ったりするのを楽しみにしていたから。

§

重い足取りで教室に次男を迎えに行ったら、次男はケロッとした顔で、
「おかあちゃん!」
と駆け寄ってきた。私はその呑気な顔についムッとする。
そして、
「なんで歌わなかったの? 楽しみにしてたのに」
と言ってしまった。厳しい声に、次男の顔がこわばる。
「だって、はずかしかったから」
次男がそう言い、私は黙った。すると次男も黙って、またお腹の前で両手をもじもじさせた。両目には、涙が膨れ上がっていた。
担任の先生が私たちの異変に気づいたのか、すぐに駆けつけてくれて、
「今日はいっぱいの大人に見られて恥ずかしかったんだよね」
と言ってくれる。次男はついに泣き出して、嗚咽を漏らしながら両目をゴシゴシこすった。

「でも人に見られているってことを意識できるようになったのも、ひとつの成長ですから」
先生が、次男の頭を撫でつけながらそう言う。
「練習では、とってもがんばっていたんですよ」

それを聞きながら、私も泣きそうになった。
次男の前で、あからさまにがっかりした表情をしてしまったこと。本当は「がんばったね」って言いたかったのに、非難してしまったこと。年に一度の発表会なのに、お互いに悲しい気持ちになるようなことしかできなくて、それが自分の中ですごくショックだった。

家に帰ると、次男がこう言った。
「おかあちゃん、ごめんね。つぎはちゃんとする」
私はそれを聞いて、つい本当に涙ぐんでしまった。
「お母ちゃんこそごめんね」
自分がとても情けなく感じて、私は次男に謝った。

§

そんなことがあったので、今年の運動会の日はドキドキしていた。

もしも以前みたいに何もできなくても、次男を責めたりしないでおこう。私のことがプレッシャーにならないように、期待もしすぎないようにしよう。そう思いながら当日を迎えたのだけど、次男は、
「おかあちゃん、ぼく、かっこよくするからみてね」
と、元気に言って出かけていった。

実際、次男はとてもかっこよかった。
リレーもがんばって走っていたし、太鼓だってしっかり叩いていた。終わったあとには自分の席から私に向かって大きく手を振った。私は手を振り返して、大きなジェスチャーで拍手を送った。

運動会が終わって、次男がこっちに駆け寄ってくる。
「すごくかっこよかったよ。がんばったね」
と言うと、私に抱きつきながら次男は嬉しそうに笑った。

昨年のことを思い出しながら、私は次男の頭を撫でる。
今よりも小さかった次男を、こんなふうに抱き止めたらよかったな、と思った。できようができまいが、「ちゃんと見てたよ」と言って、頭を撫でてやったらよかった。

ゼッケンをつけたままの次男と、手を繋ぎながら家に帰る。
「ぼく、かっこよかった?」
何度もそう尋ねる彼に、「すごくかっこよかったよ」と何度も返しながら。

 

“ 紅組の子も白組の子も帰る陽に温められほてった顔で ”

 

1985年広島生まれ。文筆家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 


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