【大きな草原と、青空と】後編:モンゴルの詩は、こころの栄養

ライター渡辺尚子

どこまでも広がる空の下で、ハーブの良い香りに包まれながら暮らしているモンゴルの遊牧民。前編では、モンゴル文学の研究者、阿比留美帆(あびる みほ)さんに、草原の暮らしについてお伺いしました。

後編では、そんなモンゴルの人たちがこころの栄養にしている「詩とことば」について、ご紹介します。

前編をよむ

 

オオカミのくるぶしは、大切なお守り

「モンゴルの人って、さりげない優しさがあるんです」と言って、阿比留さんはこんな話をしてくれました。

モンゴルでは、オオカミのくるぶしの骨をお守りにする習慣があるのだそう。身につけていると運気が上がるというそのお守りは本来、狩りで手にした人しか所有できません。では、狩りをしない人はどうするか。誰かの持っているものを「盗む」のだそうです!

阿比留さんはあるとき、いつも身につけていたお守りを盗られてしまいました。すっかり落ち込んでいたところ、仲のいいモンゴル人が「あーあ、しょうがないなあ」と言いながら、自分が大切にしていたオオカミのくるぶし、誰にも盗られないようにと常に足首に巻いていたそのお守りを、するりと紐をといて外し、わざと阿比留さんの見えるところに置いてニヤッと笑い、知らんぷりしてくれたのだそう。

阿比留さん:
「『さあ、盗んでいいよ』というわけですよね。私のほうも、ありがとう、なんて言えない。こんなとき、モンゴル人はお礼のことばのかわりに、祝詞をのべて相手の幸運を祈るんです。私もそれにならって『家畜が増えますように。大きく育ちますように』と祝詞を言って、お互いにニヤッとしました」

なんと粋なやりとりでしょう! それもかっこつけているのではなく、相手を思う優しさからにじみでてくるのです。阿比留さんが「モンゴルと恋に落ちた」というのがわかる気がしました。

この優しさは、どこから生まれるのでしょう。

阿比留さん:
「そうですね。モンゴルの人たちって、すごく、人恋しい人たちという感じがするんです。遊牧という生活の特徴もあるかもしれませんね。毎日のように知人に会えるわけではない。『また来いよ』っていったら、本当に何年も何年も待ってるんです。そして一度会ったことのある人のことは決して忘れなくて、『おまえ、あのとき会ったなあ』と。

そういう人たちと出会って、私も変わったと思います。怖がらずに飛び込んでいくと、みんな優しいんですよね」

 

モンゴルのなぞなぞは、ロマンチック

阿比留さんのお話を伺っていると、モンゴル独特の素敵なことばがあらわれます。昔からずっと伝えられてきた言い回しもあれば、現代の詩もあります。

阿比留さんが最初にモンゴルを訪れたときも、ことばの美しさに惹かれたそうです。

そのひとつ、昔から伝えられているなぞなぞに、こんなのがあるそう。

氷の上の銀の(さかずき)、これなんだ?

阿比留さん:
「答えは、月です。モンゴルの人と一緒に草原を少し旅しただけでも、森羅万象、自然や暮らしのさまざまなものを、なぞなぞやたくみな比喩で表していくのが耳に入ってくるんですよ」

なんて豊かな世界でしょう。

頭上に広がる大きな空。それを毎日ながめている人たちは、空に浮かぶ月や星や雲も友達のように親しみながら、毎日のなかに楽しみを見つけているのだな、と思いました。

モンゴルには、ことわざもたくさんあるのだそうです。

阿比留さん:

「ことばの響きや韻がすごく美しいのですが、その才能をもった人が紡いだことばが、みんなのものとして残っていくんだという文化があるんでしょうね。そうして伝えられてきた口承文芸には、モンゴルのひとたちの考え方や気質がよくあらわれています。

たとえば、

笑った人にはわけ(理由)を聞け
泣いている人には決して聞くな

ということわざがあります。

人に尋ねられると余計に悲しくなるから、そっとしておいてあげなさい、という意味です。

モンゴル人は、あまり泣いてはいけない、と言うんです。大切な人が亡くなった時でもそう。涙の川ができると天に還れない。気を強くもちなさい、って」

阿比留さん:
「だからといって、彼らが泣かないわけではないんですよ。私がいちばん好きなことわざは、

鳴いて鳴いて家畜になる
泣いて泣いて人になる

だから、モンゴルの人たちは、草原でひとりで泣いているんだろうな。気持ちをぐっと飲み込んでいるんだろうなって」

それを聞いて、胸がいっぱいになってしまいました。ハーブの香りのする空気に包まれて、緑の草原で、誰かが泣いている。それからなにもなかったようにゲルに戻って笑い、周りも笑顔で迎えて、また一日が続いていくのでしょう。

 

ため息やせつなさを美しい詩にした人

お話を伺いながら、ことわざに共感する阿比留さんにもきっと、ことばへの切実な渇望があったのだろう、と感じました。

阿比留さん:
「自分の話をするのは照れくさいのですが、私は若い頃から自分の気持ちを表すのが得意ではなくて、ことばをずっと探している感覚があったんですね。

それは詩であったり物語であったり、詩人たちのことばだったり。

日本の文学も好きで、読んでいましたが、モンゴルの人はどう書いているんだろうと興味がありました。口承文芸を学んでいくなかで偶然出会ったのが、ヤボーホランという詩人の作品でした」

ヤボーホラン(1929~1982)は、モンゴルの抒情詩人。

遊牧民の暮らしや、草原の情景、大好きな馬のこと、妻への愛、季節の移り変わり、そういったものごとを、銀細工のように繊細なことばで綴った人です。

阿比留さん:
「かつて、モンゴルの詩は、政治的なメッセージ性の強いものが多い時代もあったのですが、ヤボーホランは、個人のため息とかせつなさ、つぶやきのようなものを、美しいことばで表現しているんです。

ああ、読む人のこころを代弁してくれる、こんな詩人たちがいるんだ、って感激して。そこから、モンゴルの現代文学にのめり込んでいきました」

阿比留さん:
「モンゴルは言霊文化があるから、ポジティブなことを口にすることが多いんです。祝詞もそのひとつですよね。だから、悲しいことやせつないことを書くのは縁起が悪い感じで避けられるんです。でも、最初は強いと思っていたモンゴル人だって、内面には繊細さや弱さを持っていて。それを表現するのが詩人なんだと思います」

阿比留さんがそうした詩を日本語に翻訳するようになったのも、自然な流れなのかもしれません。

阿比留さん:
「素敵な詩やことばに出合うと、胸が震えるんですよ。私自身が、一読者として生きる力をもらえているなあと、たびたび実感するんです。それを、無謀な挑戦だけど自分の母語に置き換える。『なんとか翻訳できた』というとき、ちょっとだけ彼らに近づけた気がするんです」

阿比留さんの話を聞きながら、もう何年も前に知人がくれた手紙の一文を思い出しました。

そこには「人は、ことばを食べて生きていくいきものなのかもしれませんね」と書かれていました。毎日の食事と同じように、たしかに、わたしたちは日々ことばを食べているなあと、思ったのでした。

こころに栄養を与えてくれることばがあります。モンゴルにも日本にも、世界中に。それらはことわざになって、あるいは詩にのって、毎日の暮らしのなかに飛び込んでくる。わたしたちはきっと、深呼吸するみたいに、そのことばを胸いっぱいに吸いこめばよいのです。それをつぶやいた人たちにも思いをはせながら。

最後に、阿比留さんが訳したヤボーホランの作品から、とても素敵な一編をご紹介します。

 

友への追憶 

 

人生の休暇にひとは

この世界にやってくるというのだから

この世界で生きる期間を終えて

還っていくというのだから

 

逝くことと生まれることは

昼と夜のように繰り返されるもので

生きていくということだって

ひとときの休息のように思われる

 

ひとは皆、泣きながら

この世を訪れて

やがて還るときがくれば

他の誰かを泣かせて去ってゆく

 

詩集『銀のハザール(頭絡)の音』
(B.ヤボーホラン著, ウランバートル, 1961)より

 

【写真】井手勇貴(1,7,15枚目以外)

 

もくじ

 

阿比留美帆(あびる みほ)

モンゴル語通訳者・翻訳者。モンゴルの文学とことばの文化に関心をもち、20代後半からモンゴル国に留学。のべ10年程暮らす。ウランバートル大学大学院にて修士号を取得。在モンゴル国日本大使館専門調査員等を経て、現在は東京外国語大学で非常勤講師(モンゴル近現代文学)をしながら、翻訳と研究を続けている。不定期で「モンゴルの詩をよむ会」などのイベントを開催。共著に『モンゴル文学への誘い』(芝山豊・岡田和行編, 明石書店, 2013)、翻訳書に『みなしごの白い子ラクダ』(古今社, 2005)など。Instagram:@mongol_bungaku


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