【はたらきかたシリーズ】坂ノ途中 小野邦彦さん編 第2話:『深夜特急』に憧れて旅へ。そしてチベットで理想の暮らしを見つけた。
編集スタッフ 津田
株式会社坂ノ途中の代表取締役を務める小野邦彦(おのくにひこ)さんの働きかたについて、全3話でお話を伺っています。
小野さんが2009年に創業した「坂ノ途中」。持続可能な農業を広めるため、農薬や化学肥料に頼らない農業の担い手のパートナーとして、彼らがつくる美味しい野菜を販売している会社です。
もともと代表青木が知り合いで、当店のジャムの材料を坂ノ途中から仕入れていることもあり、本特集にご登場いただきました。
本日の第2話では、小野さんが起業にいたるターニングポイントとなった3つのエピソードをお届けします。はじまりは、小説『深夜特急』への憧れでした。
もくじ
『深夜特急』にあこがれて、旅に出ようと決めた。
↑スタッフ津田(左)と小野さん(右)
小野さんは1983年に奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町で生まれました。窓の外には五重塔で有名な世界遺産の法隆寺が見えるお家で、4人兄弟の末っ子として育ったそうです。
法隆寺は7世紀に創建された聖徳太子ゆかりの寺院。歴史と伝統のある町での暮らしに、小野さんは息苦しさを感じたこともあったのだとか。
小野さん:
「斑鳩町は西暦600年頃には日本の中心だったけれど、そこから1400年の年月がたち、そういう場所ではなくなってきたと思います。長い年月をかけて蓄積されてきた、閉塞感というか斜陽感のようなものを感じていました。
だから小さな頃からずっと、大きくなったらどこか遠くへ行きたいという願望を持っていたんです。
中学生や高校生のときに、『深夜特急(※1)』を読んだり、テレビで『進め!電波少年(※2)』を観て、遠くへ行く手段として旅があるんだと気がつきました。
その頃から高校を卒業したら旅に出ようと心に決め、大学時代はアジアの国々をバックパッカーとしてめぐりました」
※1 『深夜特急』(新潮社)は、作家・沢木耕太郎さんによる紀行小説。1年以上にわたるご本人のユーラシア放浪の旅を記録したもの。今でもバックパッカーたちのバイブルとなっている。
※ 2 『進め!電波少年』(日本テレビ系、1992-1998)はアポなし、突撃、ヒッチハイク、さまざまな無茶に挑戦した伝説的バラエティ番組として知られている。
学食で「ひじき」ばかり食べていた理由とは?
↑京都市内の実店舗「坂ノ途中soil」。その日の朝に収穫したばかりの野菜たちが並ぶ。
大学進学を機に京都で一人暮らしをスタートした小野さん。自炊をするためにスーパーで買った野菜のことを、いまも忘れられないと言います。
小野さん:
「実家で食べていた野菜の味とまったく違い、正直に言うと僕の口には合わなかったんです。大学の学食でも、野菜が口に合わなくてひじきの煮物ばかり食べていました」
小野さんの実家では、ご両親が家庭菜園に精を出していて、そこで収穫した野菜が食卓の中心だったのだそう。
小野さん:
「父親は自営業をしていたんですが、あまり儲かっていなくて。時間はあるし出費も抑えられるしと、素人ながら野菜づくりを始めたんです。
僕が中学生のころは、父が糖尿病を患ったこともあり、自宅で育てた野菜をたっぷり使った健康的なメニューばかり食べて育ちました。
当時は食べ盛りだったので、野菜より肉を食べたいと親と喧嘩もしましたけど、いま振り返ると僕の味覚はその頃に培われたんだなと思います」
実家で食べていた野菜の味とスーパーで買った野菜の味が全然違うということは、小野さんにとって新鮮な驚きであり、ひとつの気づきが生まれた瞬間でもありました。「農業って一口に言っても本当にいろいろあるのだな」と。
それは何年後かに起業するときのテーマに農業を選んだことの、小さな取っ掛かりでもあったとご自身でも振り返っていました。
チベットで見つけた「これだ」と思える、仕事のタネ。
↑自社農場「やまのあいだファーム」から見える風景
大学1年生のころから、夏休みに東南アジアを一人で旅していた小野さん。
「もっと長く旅したら、自分はどうなるんだろう?新しいものと出会いの連続を楽しめるのだろうか?
『深夜特急』や『進め!電波少年』だけでなく、中学生のときに読んだ小説『アルケミスト―夢を旅した少年(※)』に影響を受け、「自分は主人公と逆のルートでアジアから西へ西へとピラミッドまで旅しよう」と考えたそうです。
※ブラジルの小説家パウロ・コエーリョ氏が書いた小説。主人公・スペインの羊飼いの少年が、彼を待つ宝が隠されているという夢を信じ、アンダルシアの平原からジブラルタル海峡を渡り東へ東へとピラミッドを目指す旅を描く。欧米をはじめ世界中でベストセラーとなった夢と勇気の物語。
日本から上海へ船で渡り、陸路でアジアを横断するなかで、小野さんが惹かれたのはチベットとカラコルム山脈の氷河(パキスタン北部)でした。
小野さん:
「チベットは標高が高いので、なかなか植物が育たないんです。大麦とヤク(※)に頼る彼らの生活は不便そうにも思えますが、しばらく滞在しているうちに少し見方が変わりました。
草原に生えている草をヤクが食べる。ヤクのミルクでバターを作り、糞を燃料にしてミルクを温めて飲む。食べるものは全て近所で採れたものばかり。
そういう目の前のものをやりくりして生きるって、とてもシンプルで格好いいなと思いました。モノはないけど豊かに暮らしているように思えたんです」
※チベットやインド北部、ネパールなどの高地に生息する毛の長い牛。家畜としてチベットの人びとの生活を支える存在
自分が本当に「心からいいな」と思える場所。そこでの人々の暮らしや生き方に思いを馳せながら、小野さんは将来について考え始めるようになります。
小野さん:
「旅の終わりが見えてきたころ、見栄や世間体をちょっと脇において、本当に自分がやりたいこと、続けたいと思うことを考えたときに、チベットで見た風景が浮かびました。
自分がどうしても好きで忘れられない、自然とともに生きるチベット暮らしを反芻すると、自然と人を、遊牧という営みやヤクが結びつけて成り立っていると思ったんです。
日本で暮らす僕たちだったら、自然との結びつきといえば農業だと思い、どんな農業を選ぶかということは生きる上ですごく大切かもしれないと気がつきました。
アパートの近くにあるスーパーで買った野菜よりも、農業の素人である両親が作った野菜の方が格段に美味しいって、なにかがおかしい。そのあたりに変えるべきものがあると感じました。
環境系NGOなどに入り、チベットなど気に入った場所で働くことも考えましたが、どうも二の足を踏んでしまって。もっと身近なところに、自分のやるべきことがあるように思えたんです」
こうして小野さんは、環境への負荷が小さい暮らし方や農業のあり方を広めることを自分の仕事にしようと決意し、起業に向けて歩き始めます。
本心から「いい」と思えるものを仕事にできたなら。
↑店長佐藤(左)、代表青木(中)、スタッフ津田(右)。自社農場で”のらぼう菜”を試食。あまりの美味しさにうっとり目を閉じてしまいました…
小野さんの起業につながる3つのエピソードとも「好き」「格好いい」というご自身の価値観からスタートしていた点に、私はとても共感してしまいました。
というのも私自身、転職活動のときに大事にしていたことのひとつに「自分が本心から良いと思えるモノやコトを扱いたい」という考えがあったからです。
働くことは、暮らすこと。人生のなかで大きな割合を占める「働く時間」だからこそ、もっと自分らしくありたい。そのためには、自分の「好き」と正面から向き合うことが、私には必要でした。
でも「これが好きだ」と思うだけでなく、実際に行動を起こすのは、なかなか勇気がいるものです。『深夜特急』を読んで感動することと、自らもバックパックを背負って旅に出ることは、大きな違いがあるように思います。
チベットで見つけた「自分が心から好きだと思える暮らし」から目を逸らさなかった小野さんの話は、清々しく胸に響きました。
次回の第3話では、小野さんの仕事との向き合い方について深掘りしていきます。インタビューを通して私が「坂ノ途中の野菜”だから”買いたい」と感じたのは、その働き方にありました。
(つづく)
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