【92歳のひとり暮らし】後編:家族や友人との心地よい距離感。いま大切にしたいこと(粟辻早重さん)

編集スタッフ 壽山

去年、銀座のとあるギャラリーでユーモアたっぷりに描かれたやかんのイラストを見ました。描き手は、デザイナーで人形作家でもある粟辻早重さん。

御年92歳を迎えてなお、精力的に制作をつづけていらっしゃいます。改めて粟辻さんの元気の源は何なのか、お話を伺いたくてご自宅を訪ねました。

前編では、粟辻さんのひとり暮らしの楽しみや日々の習慣について教えていただきました。つづく後編では、ご家族との距離感やご友人とのエピソードをお聞きします。

前編をよむ

娘とは、付かず離れず。お互いが心地よい距離を

ご近所に娘さんが住んでいるとのことで、夕飯は一緒に食べたりするのかお聞きしてみました。

粟辻さん:
「食事も暮らしも、それぞれ別々です。

たまにフラッとやってきて『元気にしてる?』なんて言って、サッと帰っていきます。わが家の場合は、付かず離れずの距離がちょうどいいのでしょうね。

娘もデザイナーで忙しく働いていますし、この頃は大学で教えるようにもなって、先日はじめて娘の講演会を見に行ってきました。あんなに喋るのが苦手だったのに、行きつ戻りつ話しながらも説得力があって。社会の中にいる姿をはじめてみて、しっかりやってるんだなあと感心しました」


「50代は、人生の花ですよ」

粟辻さんには二人の娘さんがいますが、どちらも50代で今まさに花盛りなのだとか。

粟辻さん:
「娘たちによく言ってるんですが、50代は人生の花ですよ。

まだまだ体力もあるし、一定の自信もついてくる頃。若い時は迷いがあるけれど、50代は迷いは吹っ切れていきますから、まさに花の時代ですよね。娘たちを見ていると、今になって思いますね。

私も50代の頃はいろいろな人形を作っていて、それが広告にも使われたりして、とにかく制作したくて仕方がなかった時期でした。まだそこまで大きな衰えも感じていませんでしたし、やっぱり50代はいい時期だなあと思います」


孫と過ごした時間で、変化したこと

娘さんには高校生と中学生、二人の息子さんがいらっしゃいます。小さい頃から、孫たちと一緒になって手作りのおもちゃ遊びを楽しんできたのだとか。

粟辻さん:
「お相撲が好きで、いろんな力士の顔を孫と一緒に紙に描いて、お相撲ごっこをよくしましたね。いま中学生と高校生になった孫たちは、それぞれにラグビーとアメフト、それに相撲をやってるんですよ。私も寝る前のなわとび30回は、孫の影響で始めたことですしね。

他にも模造紙にすごろくを描いて遊んだり、ぼうずめくりというカードゲームを作ったり。魚釣りゲームもよくやりました。一緒に作って遊んだおもちゃを見ると、そのとき泣いた孫の表情まで鮮明に思い出します」

粟辻さん:
「遊びに来たらご飯を作ることがあるのですが、料理を作ってはだし、作ってはだし、すぐなくなってしまいます(笑)。大学に入れば、きっとお友達の方がよくなるでしょうから、これもいっときのことですよね。

私も娘も映画が好きで、中学生の孫も最近は映画が好きみたい。よく映画の話をしてくれるるんですが『あの子がそういう話をするようになったんだ』と感慨深くて。一緒に過ごした、いっときいっときが積み重なって、人生になっていくんだなあと孫を見て思いますねえ」


友だちは、いま何より必要なもの?

粟辻さんには、同世代だけでなく、娘さんを通して交流がはじまった年下のお友だちもいます。

粟辻さん:
「娘と共通の友人には芝居好き、映画好きが幾人かいて『この映画はみた?』とメールがくるんです。その情報もありがたいですし、チケットをとって一緒に芝居を見に行ったり、ゴルフにも行きますよ。

恋多き友人もいて、三角関係とか色恋話を聞くのも楽しいです。尾鰭をつけて話してくれるものだから面白くって。そういう話題はその場かぎりですし、暗い話題よりも気安くていいなあと笑いながら聞いています」

粟辻さん:
「にぎやかな日ばかりではないですし、何気なく過ごしてしまうこともありますよ、やっぱり。何も予定がなくて1日中ひとりでいると、やたらと電話したくなるときもあって。

いきなり電話が来ても迷惑じゃなさそうな方をと考えて、あまり長くならないように10分とか、15分とか電話でおしゃべりします。つい長くなってしまうときもありますけどね。

友達は、いま何より必要な存在かもしれません。いろんな友達がいてよかったな、楽しいなと思います」


目標は、明治生まれの母を超えること

▲「お母さん」をテーマに粟辻さんが絵を描いて、日暮真三さんが文章をつけた絵本の草稿

粟辻さん:
「私の母は95歳のときに老衰で亡くなりました。前日まで普通に生活していて、夕飯を食べてお風呂に入って、お布団で眠るように亡くなって、理想的だなあと思います。

私も母の晩年を超えるまでは、今のまま元気にひとりで暮らしていたいと、時々そういうことを考えたりもします。娘にはこんな話は嫌がられてしまうんですけれど。

私が亡くなったら、家は壊して作品もすべて捨てなさいと伝えてあります。遺されても大変なものばかりですから」

▲粟辻さんの人形作家としての作品をまとめた本

粟辻さん:
「母を超えるためにも、緊張感を持って暮らしたいなと思っています。ずっと緊張しているという意味ではなくて、ちゃんとしなくちゃという意識みたいなものでしょうか。

寝室からリビングに降りてきたら、まず靴に履き替えることだったり。部屋をある程度きれいに保つことだったり。なんてことない事ですが、一番大事なことかもしれません」

▲リビングでは、革靴で過ごしていらっしゃいました


90歳をすぎても楽しくいられるのは

▲キッチンの一角には、粟辻さんが作ったご主人の粟辻博さんと盟友の田中一光さんの人形が飾ってありました

粟辻さん:
「歳を重ねて思うのは、2度とない人生、2度とない暮らし、大事に生きようと思いますね。若い頃はやりたいことはいっぱいあったけど、大事に生きようなんて思ったことはなかったのですが。死んだらゼロになるわけですから。一日一日を大切に、楽しく暮らしたいなと思います。

ただ、努力なくして楽しくはなれないですよね。自分に楽しいことを作ってやらないと。歳をとるっていうのは、自分を育てることなのかなとも思うんです。

ただ気分だけを優先するのじゃなくて、自分をよく見て、食べさせて、管理して、元気にさせておく。楽しくいられるように、いかに自分を誘導できるか。自分が二人いる感覚で、もう一人の自分と上手く付き合っていかないとなって」

もう一人の自分と、メダカと猫と植物たちと、自由に暮らす粟辻さんの日常は、なんだかとってもカラフル。毎日、家の中だけでもいろいろなことが起こって飽きることがない、楽しみに溢れた暮らしを謳歌されていました。

誰といても、いなくても。これまでも、これからも。きっと粟辻さんは笑っている。いつだって自分を楽しませるのは自分なのです。何十年先の未来、私も笑っていられるように、自分を導いていけたらなと思いました。


photo:鍵岡龍門




もくじ

粟辻早重

カネボウ意匠室にてテキスタイルデザイナーとして勤務後、テキスタイルデザイナーの故・粟辻博と結婚。1958年に粟辻博デザイン室を共同設立。娘の出産を機に人形作りを始め、デザイナーの田中一光や剣持勇に人形作家として見いだされ、個展をしつつ広告も手掛ける。本を執筆するほか近年は世界のヤカンを蒐集。2024年に松屋銀座・デザインギャラリー1953にて「粟辻早重とやかんたち」を開催


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