【30歳までのカウントダウン】後編:セオリー通りじゃなくていい。やっと迎えた、遅咲きの独り立ち
編集スタッフ 岡本
「30歳まで、あと5年、4年、3年……」
そんなふうに節目の年齢にむけて、カウントダウンする人も多いのではないでしょうか。
こちらの特集では、今年31歳を迎えた、スタイリストの上村若菜(かみむらわかな)さんが、30歳までをどう過ごしたのかお届けしています。
後半は、人生で一番辛かったと話す、どん底期からうかがいました。
(前編はこちら)
同期はデビュー、自分はバイト。焦る毎日に出した決断は?
22歳で飛び込んだ、憧れのスタイリストの世界。
寝る暇もないほど多忙な日々に比べて、なにより辛かったのは、自分の “できなさ” を痛感することでした。
アルバイトとの二重生活にくわえて、スタイリストとしても成長を感じられず、身も心もぎりぎりの状態で過ごしていた25歳のとき、ついに、スタイリストの道から逃げ出してしまいました。
上村さん:
「それからは、なんとか暮らしていくために、来る日も来る日もアルバイトばかり。
たまに見る雑誌では、同期がぞくぞくとデビューしていて……、すごく悔しかったです。
あれだけ退屈だったのに、『あのままOLを続けていれば、こんな思いをしなくてよかったのに』なんて思ったときもありました。
苦しさから実家に戻りたいと思うこともあったけれど、諦めたら本当に終わりだという気持ちも同じくらい強くて。
とにかく、『スタイリストになりたい』その一心で、なんとか道はないかとまた少しずつ探し始めました」
「気持ち×行動」が現実を変えたとき
上村さん:
「一度逃げ出してしまったこともあり、もう師匠の元へは戻れないと思って別の方法を模索していました。雑誌の編集アシスタントに応募したり、当時アルバイトをしていたユニクロにスタイリングの仕事がないかアプローチしたり。
でもどれも叶いませんでした。
そんな私を見て心配した父親が、派遣スタイリストアシスタントの存在を教えてくれたんです」
ここで改めて、ファッション業界に足を踏み入れた上村さん。
新たなスタイリストの元で学び始めましたが、ある仕事をきっかけに師匠である、髙橋リタさんと再会することになります。
逃げ出したきり1年ぶりの対面でしたが、咎められることもなく、ある言葉を投げかけられたそう。
「あなたは、どんなスタイリストになりたいの」(髙橋リタさん)
上村さん:
「せまい業界なので、いつか顔を合わせる日が来るだろうとは思っていたんですけど、それが意外と早くやってきました。
仕事の用事で連絡したところ、一度きちんと話そうと言われて。私は逃げ出してしまった立場だったので、どんな顔をして会えば……と悩みました。
でも師匠はあの時ことを責めたり、怒ったりせず、素直に再会を受け入れて喜んでくれたんです。
ホッとしつつ、変わらず偉大な方だと改めて尊敬の気持ちが強くなりました」
上村さん:
「スタイリストにはそれぞれ特徴があります。
その人らしいスタイリングが求められ、名前を掲げてコーディネートが紹介されるかた。反対に、名前は出さず、オーダーに合わせてコーディネートを組むかた。
どちらもプロの仕事ですが、師匠である髙橋リタさんは前者で、その姿にずっと憧れていました。
私も、名前が立つようなスタイリストになりたい。改めてその思いを伝えて、もう一度師匠の元で勉強させてもらえることになったんです」
髙橋さんの第2アシスタントを勤めること1年。
ようやく独り立ちの許可を得て、26歳のときに師匠の元を卒業しました。
今をつくった、師匠からのアドバイス
▲記念すべき、上村さんの初作品。
上村さん:
「独立することになったときも、師匠と再会したときに言われた『どんなスタイリストになりたいのか』という問いが心にありました。
自分が好きなブランド、テイスト、仕事の仕方……。いろいろ考えて、師匠とは別の雑誌に売り込むことに決めたんです。
なので、そこから1年かけて作品集を作りました。
カメラマンもヘアメイクも、自分と同じようにアシスタントから一人前になるために必死な人ばかり。
こんな世界観はどう?、次は新しいテーマでやってみようと、みんなでいいものを作ろうと一生懸命でした。
数年経った今、仕事の現場で顔を合わせたときの嬉しさはひとしお。私ももっと頑張ろうと、この時の仲間の存在がモチベーションにも繋がっています」
師匠と同じ雑誌でデビューするという、スタイリスト業界のセオリーとは異なった道でしたが、これがのちの上村さんのスタイリスト人生の大きな転機になります。
上村さん:
「年齢を重ねたり、スタイリストとして洋服に接した経験から、好みのスタイルが変化していたので、自然と関わりたいと思う雑誌も変わっていました。
同じタイミングで、『業界のルールに縛られずにあなたの進みたい道を選んで』と師匠からアドバイスをもらって。
自分のやりたいことができるのは、ここかもしれないと、直感でBAILA編集部に資料を持ち込んだんです」
苦しい時期があったから。やっと見つけた自分のスタイリング
▲名前を掲げた初めての企画。人気連載となり、その後2年ほど続きました。
1週間後にはスナップ撮影の声がかかり、27歳で念願のスタイリストデビュー。
1ページの小さな企画から少しずつ仕事が増えていき、半年後には名前を掲げた連載企画がスタート。
「やっと好転してきた感覚でした。人・タイミング・経験がうまく合わさったんだと思います」と、それからの順調な日々を物語る、明るい表情で語ってくれました。
さらに、あれだけ苦しかったアルバイト生活からも得たものがあったと話します。
上村さん:
「師匠がつくるコーディネートは、質の高いアイテムを組み合わせたハイクラスのスタイリングでした。でも私が実際に買えるのは、手に取りやすい価格のアイテム。
ファッションの現場ではハイブランドと触れ合って、プライベートではプチプライスのものを見るということを繰り返していたら、そのなかでも質のいいものがわかるようになってきたんです。
雑誌でよく紹介している “高見えコスパコーディネート” が、本当に自分にフィットしていたからこそ、仕事にも活きたのかなと思います」
30代が楽しい。それは、もがいた20代があったから
今年で31歳を迎えた上村さん。
近ごろでは、さまざまな雑誌で「上村若菜さんのスタイリング」として紹介されている姿を目にします。
一歩先の未来すら見えなかった20代の頃の夢が形になり、上村さんはさらに輝きを増しているよう。
最後に聞いてみたいことがあります。上村さんにとって30歳は、どんな意味を持っていましたか?
上村さん:
「思い返すとあまり意識せず過ごしていたように思います。
30歳までにこうなりたいとか、あと何年だから今動こうとか考えずに、たくさん悩んできました。
とにかくもがいて、自分が納得できる答えを探す、その繰り返し。
子どもが生まれてから、働き方についても考えるようになりましたね。
最近は、ものづくりに興味があるんです。ママも子どもも、一緒にハッピーになれるものを作りたい。
きっとこれからも、ぶつかったりモヤモヤするだろうけど、そんなときはしっかり悩んでいいのかなって。
いつかたどり着く場所で自分らしくいられたら、それってすごく心地いいはずだから」
自分だけが立ち止まっているように感じていたけれど、そう思っているのは自分だけだったのかもしれません。
他人がどう変わろうと、何を言おうと、自分の力でお腹の底から納得できる答えを見つけた人は、きっとどんなときも強くいられるはずです。
それならば大いに悩みたい。
20代とか30代とか関係なく、いくつになってもモヤモヤ悩んで、そのときの自分にベストな答えを探し続けていきたい。
先週27歳になった私にとってこの気付きが、“30歳まであと3年”の意味を変えました。
この取材を経て、視界が開けたようにまた一歩踏み出せそうです。
(おわり)
【写真】タドコロミズホ
もくじ
上村若菜(スタイリスト)
女性ファッション誌「BAILA」「LEE」などを中心に活躍するスタイリスト。シンプル&ベーシックに、ほどよくトレンドを取り入れたスタイリングを得意とする。インスタグラムでのリアルな私服コーディネート(wakame_kami)も人気。
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