【寄り道人生】前編:55歳でお店をオープン。自分だけの「特別な何か」を探して
編集スタッフ 岡本
私の特別な「何か」ってどこにあるんだろう
自分が出合うべき「何か」ってなんだろうと、探し回る人生でした。
職人やスポーツ選手、営業で一番になる人や、とびきり素敵なデザインができる人。私にはこれがあると言える人に憧れていたのです。
私にとっての「何か」を探すため、学生時代は勉強に打ち込んだかと思えば、課外活動に没頭したり、社会人になってからも好きな業界に飛び込んだかと思えば、数年で転職をしたり。
きっと誰もが一度は抱える問題に年齢を重ねることで折り合いをつけてきたものの、人生に生まれた点が全部繋がって線になる日はくるのだろうかと、不安になってしまうのです。
まるで寄り道をするように過ごしてきた私の人生だけど、きっとどこかで繋がると信じていたい。 そんな思いで過ごしていた時、一人の女性と出会いました。
東京・高円寺で「おばんざい ぐらんま」を営む古谷(ふるや)みどりさんは、55歳で初めて自分の店を開きました。
私がここを訪れたのは2年前。義理の母が常連だったことをきっかけに、今では息子とともにたびたびお邪魔しています。
18〜23時までの営業に加えて、買い出しや仕込み、家では家事もこなすなど彼女の毎日はかなりハードですが、いつ会ってもパワーをもらえる不思議な人です。
▲お通しのおばんざい2種盛りは300円。良い食材を使いつつ、気軽に寄れる店であるよう価格にもこだわっています。
みどりさん:
「うちで出すのは家庭料理ばかりよ。でも体にいいものをと思っています。栄養を採るのって大変だから、ここで少しでも補えたら」
みどりさんを見ていると、持って生まれた料理の腕とコミュニケーション力で天職へと導かれた人のように感じます。
けれど本当のところは、10代からさまざまな職業を経てきたそう。まさか自分の店を持ち、料理でご飯を食べていくことになろうとは50代まで思ってもみなかったと話します。
社会人はじめの職場は、水族館?
みどりさん:
「メニューは買い物をしながらその日に決めます。季節物をはじめ、乾物や豆類、山菜を使う料理が定番ですね」
おばんざいだけでなく、煮込み料理やご飯ものなどどれを頼んでも栄養満点。その美味しさの原風景は、祖母にあるのだそうです。
新潟県胎内市出身。地元で旅館を営んでいた祖母は料理が得意で、家に行くといつも美味しい食べ物がありました。なかでも好きだったのは、いくらがたっぷり乗ったはらこ飯や、シャケの焼き漬け、山菜やきのこ料理。
美味しい料理がもたらす幸せな気持ちはここで知ったのだとか。
祖母だけでなく、専業主婦だった母も料理上手。小学生の頃から手伝いが日常で、料理の基本はすべて母から教わったと話します。
みどりさん:
「餃子を作るとなれば皮から仕込む。そんな母でした。私はその横で手伝いをしたり、練った生地で遊んだりしてね。料理にまつわる楽しい思い出がたくさんあります」
幼少期から料理に触れてきた彼女ですが、高校卒業後についた職業はなんと、水族館。餌付け係が人生初めての仕事でした。
みどりさん:
「母が新聞に載っていた水族館の求人を教えてくれたのがきっかけでした。
若かったから都会に興味があってね、高校を卒業したら田舎を出たいと思っていたんです。あまり深く考えていなかったけど、料理の道は浮かびませんでしたね」
料理は当たり前の存在だったからか、自分の持つ「特別な何か」には思えなかったそう。
水族館のあとは一般企業の事務仕事を経て、知り合いに誘われたレストランでアルバイトとして働きます。
そこのオーナーの紹介で、東京でコックをしていた夫と出会いました。
出会って3回で結婚。鶏肉専門店に嫁ぎ東京へ
新潟と東京で遠距離だったため頻繁に会うことはできませんでしたが、ことはトントン拍子に進み、出会って3ヶ月経つ頃には東京に住んでいたのだとか。
みどりさん:
「今聞くとびっくりよね。結婚して37年、続いていてよかったです(笑)」
夫の実家は鶏肉専門店を営んでいて、夫の両親と祖母の5人で毎日大量の鶏肉をさばき、唐揚げやチキンロールなどの惣菜を作る日々を送りました。
その数年後、店舗のある市場が老朽化によりマンションへ建て直されたことをきっかけに、その一角で夫と弁当屋を始めることに。
店頭での販売だけでなく配達も請け負うなど売り上げは好調でしたが、8年ほど経った頃、配達中の事故で夫が大怪我を負ってしまいました。
みどりさん:
「しばらくは店を続けていたんだけど、中学生の息子が二人いたし仕込みも店頭販売もひとりでやるのは無理がありました」
このままでは全てがよくない方向へいくと思い、店を閉じる決心をしたそうです。
40代で初めての就活。休みなしで働いた3年間
夫は本調子ではないため、自分が働かなくてはと初めての就職活動と向き合いますが、このとき40代半ば。正社員の仕事はなかなか見つかりませんでした。
悩んでいると、弁当屋時代にパートで働いていた知り合いからヘルパーの仕事を教えてもらい、ほどなくして資格を取得。
同じ時期に結婚式場で配膳係としても働き、平日はヘルパー土日は結婚式場と休みなしで働きました。
みどりさん:
「当時は毎日を生きるのに必死で、料理から離れてしまう寂しさは感じていませんでした。それにヘルパーも結婚式場も仕事は面白かったのよ」
必死に過ごした日々を振り返っても、苦労話より先に面白かったと言える。その理由は彼女が育った環境や嫁ぎ先で出会った人など、これまでの生き方に理由がありました。
そして休むことなく働くこと3年。その後、知り合いの紹介で不動産屋に事務・営業・運転手役として2年間務めることに。その忙しい合間を塗って宅地建物取引士(宅建)の資格も取ったというから驚きです。
こうしてみどりさんのこれまでを知るほどに、聞かずにはいられないことがありました。
きちんと頑張れるのはどうしてですか?
水族館から始まり、弁当屋にヘルパー、不動産業まで。業種の違う寄り道をしてきたみどりさんですが、そのひとつひとつに対して真摯に取り組んできました。
みどりさん:
「公務員の父と専業主婦の母の元に育って、社会人のはじめは企業に勤めたでしょう。
だから、嫁いでから初めて商売をする人の暮らしを目の当たりにしたんです。日常を営むその大変さを痛感しました。会社勤めももちろん色々あるけれど、また違う大変さがあってね。
自分もなにか手に職を、という思いがあったのかもしれないですね」
みどりさん:
「ヘルパーの資格はわりとすぐに取れたんだけど、宅建士の資格は3年かかりました。
子育てと仕事をしながらだったから、朝5時に起きて勉強したり、トイレの壁にバーっと資料を貼ったりしてね。最後のチャレンジだと思って受けたら合格して、そのときはとっても嬉しかった。
当時は無我夢中だから気が付かないけど、ふとしたときに、そういうことが自信になっていたなと思うんです。
やってみたいな、でもできないかもと思いながら、自分なりに一生懸命やってみる。ダメな時ももちろんあるけど、できると自信がつく。今思うとその繰り返しでした」
みどりさんはたとえ自分が望んだ寄り道でなくても、ひとつひとつきちんと向き合って、そのつど全力投球してきました。寄り道をするたびに、これは自分の武器になるかもしれないと期待を抱いて。
「特別な何かが見つかるのはここじゃない」と中途半端な思いを残したまま、次の道を歩んできた私の寄り道との差に気付いた瞬間でした。
不動産屋のオーナーが退くタイミングでみどりさんも退職。そのあとはヘルパー時代に取っていた介護福祉士の資格を活かし、49歳で介護職につきました。
みどりさん:
「介護の仕事は大変でしたね。勤務年数が長くなるほどに責任が重くなって、担当する方も増えて。依頼主さんのお家に住み込みで働いた時期もありました。
朝から晩まで働いていたけど、いつか小さなお店を開けたらいいなと初めて思ったのはこの頃ですね」
62歳で定年退職を迎えたら、自分のお店を。
知人の勧めや紹介など、来た波に乗って上手に生きることができる人という印象だったけれど、みどりさんが人生で積み重ねた自信をひとつひとつ繋げて一本の道が出来上がってきた、そんなふうに感じました。
第2話では、今のみどりさんにとっての「特別な何か」であるお店についてをお届けします。
(つづく)
【写真】原田教正
もくじ
古谷みどり
「おばんざい ぐらんま」店主。新潟県胎内市出身。旅館を営む祖母の影響で幼い頃から料理に親しんで育つ。さまざまな職業を経たのち、55歳でぐらんまをオープン。嫁ぎ先である鶏肉専門店は、現在焼き鳥屋として夫と次男が営業中。
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