【フィットするしごと】習いごとで踏み入れた道でプロに。「浪曲ってなんだ?」を問い続けて。
ライター 小野民
演芸場の客席にぎゅっと身を寄せ合って、「浪曲」を初めて見て、度肝を抜かれました。あはははと盛大に笑い、常連さんの掛け声とともに楽しむエンターテイメント。普段出会うことのない声量と節回しには、体のなかに沈殿した鬱憤をかっさらっていくインパクトがあるのです。
連載「フィットするしごと」。今回お話をうかがったのは、浪曲師の玉川奈々福さん。公演プロデュース、人形浄瑠璃からオペラまで異分野の芸能との幅広いコラボレーションでも活躍し、浪曲の人気に追い風を吹かせた一人としても知られています。
そんな奈々福さんですが、卓越した技巧がものをいう浪曲界にいて、その出発点はなんと「趣味の習いごと」だといいます。
名だたる大物文芸人と渡り合う編集者時代に何気なく選んだ「三味線のおけいこ」がきっかけになり、やがて浪曲師として世界各地で公演するまでに。
小さな選択から広がった予想外の展開と、広大な世界へと連れていってくれた浪曲の魅力について、前後編で聞きました。今年の2月に日本浪曲協会で取材し、クラシコムジャーナルで公開された記事を再編集してお届けします。
編集者30歳、足りないのはフィジカルだった。
──先日、初めて浪曲を見ました。奈々福さんの舞台は、純粋に笑えてスカッとして楽しんだし、唄の迫力や三味線との掛け合いに圧倒されました。
私自身が編集者ということもあって、奈々福さんが大手出版社で編集者をされていて、習いごととして三味線を始めて、そこから浪曲師になったというのは、想像がつかない大転換です。
玉川奈々福(以下、奈々福)さん
「いろんな縁があって不思議な世界に導かれるようにここに来ちゃったんですね」
──そもそも、充実して忙しい編集の仕事をしていて、「習いごとをしよう」と思ったのはどうしてですか?
奈々福さん
「私が20代を過ごしてた頃にはまだ、バブルの余韻があったんです。どんどん精神が体から離れていく、ふわっと浮いちゃうような恐怖感があったんですよ。でも体は本来、大根を刻む感触や、日向で干したお布団の匂いなんかをきちんと感じて体に記憶しているはず。そういった『実感』に対しての強烈な憧れがありました。実感を持てないと、自分が立っていられないような感じがあったんです。
だから、私が欲しているものは言葉じゃない、言葉を支える実質だ、と。
浪曲に触れたのは、和のものが好きで、『ちょっと三味線でもかじってみようかな』という気軽な気持ちだったんです。そうしたら、思いのほか三味線の音色がきれいで、ひゅっとどこかに連れていかれちゃうような感覚で、びっくりでしたよ」
──心を掴まれてしまった。
奈々福さん
「そうなんです。まさにこの場所で、戦後四天王といわれた浪曲師・東家浦太郎の相三味線をされていた玉川美代子師匠が、三味線を弾いてくれて、もうその音色にびっくりして『えぇー、なにこれ!』って。なんだこの、留めておけなさ、切なさ、瞬間の美しさ。もっと三味線を聴いていたいと思ってしまったんですね」
奈々福さん
「とはいえ最初は浪曲に対してはね、『なんておバカな芸なの』って、もう不思議で不思議で(笑)。浪曲は、必ず2人セットで演じますけど、曲師(浪曲の三味線弾き)の『あぁーうおう』っていう掛け声も不思議だし、倒れんばかりに唸る浪曲師も変だしね。一応大学出て30まで社会人やって来て、浪曲聴いて、『ここまで理解できないか』って愕然としました。
盲目的に惚れ込んだわけじゃないから、自分が唸るようになってからも『なぜ私は浪曲をやっているのか』とずっと自分に問いながらやってきましたよ。
もともと落語は好きで、いろんな寄席にも行っていたんです。落語って論理的でもあるし、洒落てるし、本当によくできているんです。それと比較して、浪曲のすごさもわかるけど前時代的なのもわかる。浪曲を始めたばかりの頃の私を知っている人は『居心地の悪そうな顔をしてた』って言うんです。『何をもって浪曲というのか』、『講談とどう違うのか』というようなことをずっと考えてきました。
理解できないけど、すごく魅力的なものだから、興味が続くうちは通ってみようって感じだった。でも、途中で『弟子入りしたいか』って言われてしまって。人生どんな魔が潜んでるかわかんないですよ」
両立は無理。ならば、未練があるのはどっち?
──しばらくは編集者と浪曲師の二足のわらじをはいていたわけですが、編集者としても素晴らしいお仕事をたくさんされています。私の憧れである須賀敦子さんの本や、文学全集……きっと編集の仕事だけでも多忙だったと想像します。
奈々福さん
「そうですね。ものすごく生産高がいいときと、ものすごく何もしないときと差のある編集者だったと思います。そして、会社から嫌われる本ばかりつくっていて(笑)。企画の通しにくい、理解されにくい、装丁が難しい。そういう本を作っていると、絶対管理職にはならないです」
──浪曲の稽古や舞台は、週末にやっていたんですか。
奈々福さん
「もちろんそこに収まりきらなくて。師匠の鞄持ちもありましたし、会社にもバレバレですよ。会社にいるときに浪曲関係の電話がかかってくると、廊下で出るんだけど、浪曲師って声が大きいから全部筒抜けでした。その頃は忙しすぎて、実はほとんど覚えていなくて。ストレスで蕁麻疹が全身にできていたりしました。
それで周りからストップがかかって、芸能にすごく反対していた母までも『お願いです、会社を辞めてください』って言ったんですよ。『え?会社を?』って聞いたら、『だって、浪曲はやめないんでしょう』って。
亡くなった師匠には『出版社で稼いでいるだけのお給料を、浪曲でも稼げるようになって3年経つまでは辞めちゃいけない』って言われていて、ずっと遺言として守ってきたんです。
でも冷静に考えてみたら、それを実現させるのは物理的に無理。そのことに気づいて、受け止める網もはらずに綱渡りするような状態だったけど、やめちゃえと心を決めました」
──そのときに、浪曲を少なくして編集者の仕事を続けようとは思わなかったのですね。
奈々福さん
「思わなかったんですよね。20年間編集者と浪曲師を一緒にやってきた。編集者の仕事は25年以上続けてきたんです。振り返ったら、思い残しがないくらい仕事はして、思い残しがあったのは浪曲の方だった。まだ浪曲には全力を注いでない。浪曲に全力を注いだ時の、フィジカルな自分の変化を見たいと思いました。
そうそう、昼間に編集の仕事で頭を使っちゃうと、重心が降りてこなくて、夜に唸っても声が出ないんですよ。
浪曲の舞台は、自分の体とお客さんとの勝負。100パーセント浪曲と向き合った時にどこまで行けるかまだ試してない。賭けたいと思ってしまった。
浪曲師はアスリートみたいなところがあるんです。私は30歳で三味線を習うためにこの世界に足を踏み入れて、節をやったのは36歳くらいからで、そこから体をつくり直すのは容易なことではない。
稽古をつめば、声は変わっていきますよ。首が太くなってくるし、胸板が厚くなって体が鳴るようにもなってくるし、声の幅も広がるんです。お医者さんは『声帯が太くなると高い声は出なくなります』と言うんですが、そうじゃない。体全体が共鳴するので、高い声も低い声もどんどん出てくるんですよ。
とはいえ、子どもの頃からやっていたり、親が浪曲をやるのを聴いていたほうが有利です。20歳で入っていれば5、6年のところを、私がきちんと声を出せるようになるのに10年はかかったと思います」
編集者の手腕が生きたプロデュース業
──奈々福さんは、浪曲の演者としてだけでなくプロデュースをしていますよね。それはどうしてですか? すごく編集者っぽいな、とは思うのですが。
奈々福さん
「浪曲のすごくおもしろい魅力も、すごく残念なところもいっぱいあると思っていました。だから、自分が理想とする会を催してみたらどうなんだろうか、大衆芸能であるためにどんなアプローチがいいのだろうか、考えました。いろいろ試してみたらドッとお客さん来たので、やっぱりやり方が大事だったんだ、と」
──奈々福さんがプロデュースした浪曲の会は、具体的にはどのようなものだったのですか?
奈々福さん
「最初にプロデュースしたのは、師匠である玉川福太郎を看板にした『玉川福太郎の徹底天保水滸伝』でした。古典を多くの人に聞いてもらうために、まずはおもしろいタイトルを付けました。“天保水滸伝”っていうのはどこかで聞いたことあるけど、ちゃんとは知らない。“徹底”とうたえば、『これに通えばちゃんと聴けるようになるのかな、わかるのかな』って思うでしょう(笑)。
あとは、話の内容に寄せてチラシを東映ヤクザ映画風にしたんですよ。キャッチコピーとかもちゃんと付けて、わからない人が来る前提で、あらすじもしっかり載せたチラシです。
さらに、応援団として知名度のある人を呼ぶ。第一回は小沢昭一、第二回井上ひさし……みたいな感じで。大御所の方々にお手紙を書きました。
予約の受け方もわからなかったから、初回は当日自由にしたら、会場の木馬亭に入りきらないくらい人が来ちゃって。その盛況ぶりを見て、『浪曲1本で生きていく道もあるな』と思ったんです」
(つづく)
【写真】武藤奈緒美
もくじ
前編
習いごとで踏み入れた道でプロに。「浪曲ってなんだ?」を問い続けて。
後編
文化・宗教・言葉・世代もとびこえて、伝統文化をつなぐ鬼っ子のしごと
玉川奈々福
浪曲師
1994年日本浪曲協会主宰三味線教室に参加。1995年7月二代目玉川福太郎に入門。 三味線の修行をしていたが、師の勧めにより2001年より浪曲師としても活動。 2004年『玉川福太郎の徹底天保水滸伝』、2005年『玉川福太郎の浪曲英雄列伝』それぞれ全5回公演をプロデュース。 2006年12月、奈々福で名披露目。2018年、平成30年度文化庁文化交流使として、中欧、中央アジアの計七か国で公演。2019年伊丹十三賞を受賞。
好きなもの:はちみつ、大衆演劇、干したお布団
ライター 小野民
編集者、ライター。大学卒業後、出版社にて農山村を行脚する営業ののち、編集業務に携わる。2012年よりフリーランスになり、主に地方・農業・食などの分野で、雑誌や書籍の編集・執筆を行う。現在、夫、子、猫4匹と山梨県在住。
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