【57577の宝箱】「わたしたちこれからどこでも行けるのね」 高速道路は夜の始まり

小説家 土門蘭

自動車免許は持っているけれど、車は持っていなくて、運転もここ数年していない。
今や立派なペーパードライバーだ。

実家に運転できる人がいなかったので、子供の頃から車のない生活が当たり前だった。
大人になってからも免許をとるつもりはなかったのだけど、就職した会社で必要だったので取得した。それ以来、仕事以外で運転をしたことがない。自分の運転する車で海へドライブ……なんてことは、これまで一度だってしたことがない。

なぜかと言うと、こわいからだ。
初めて路上で運転した日、さっそく事故を起こした。三叉路で他の車と軽くこすってしまうという小さな事故だったのだけど、それ以来大きな恐怖心がわたしに根付いている。あのときの手の震えは、いまだに忘れられない。

車線変更も駐車も、他の車にぶつかりそうで本当に苦手。加えて方向音痴だし、高速道路では看板を見間違えて別の出口に出てしまうし……と、できない理由を並べていたら本当に運転できなくなってしまった。
わたしの免許証は、もはや身分証明証の役割しか果たしていない。

§

そんな折、同じくペーパードライバーだった友人が運転し始めたと知り驚いた。彼女も仕事で必要になったらしく、教習所に通い直したらしい。彼女の専用車は小さく愛らしいボディの二人乗りで、色は深いグレーだった。

あるとき帰り際に「家まで送るけど乗っていきます?」と言われた。わたしはお言葉に甘えつつも「もうこわくないんですか?」と尋ねた。
「初めはこわかったけど、もう慣れたし平気」
彼女はそう言ってキーを取り出す。
「今は運転、すごく楽しいです。車に乗るのが楽しみなくらい」
そして、慣れた手つきでロックを解いてくれた。

助手席に乗り込み、シートベルトをつける。エンジンをかけると彼女はこっちを見て、
「宇多田ヒカルの新しいアルバム聴きました?」
と尋ねてきた。
「聴きました。すごくいいですよね」
「わたし、あれ大好きだからかけていいですか?」
「もちろん」
彼女がiPhoneを操作すると、音楽が流れ始める。スピーカーが良いのかすごく音が良い。
「これ、めちゃくちゃ音良いですね」
「でしょ? なんか、音に包まれているみたいですよね」
そう言って彼女はアクセルを踏む。なめらかに移動する、歌声とわたしたち。まるで、音で満ちたシャボン玉の中にいるみたい。すいすいと、夕方の道路の上を走っていく。

§

そのときは夏の終わりで、夕方になると涼しくなっていた。
わたしが窓を開けても良いかと尋ねると、彼女は「どうぞ」と言う。風が吹き込んできて、前髪が揺れた。太陽が沈みかけるときの、日の名残の匂い。前を走るテールランプが赤やオレンジに灯り、目を細めるとキラキラと色が混じり合った。
「ああ、夜が始まるな」

そのとき突然、この道はどこまでも続いているんだな、ということがわかった。
これまでも知っていたけれど、実感としてわかったのだ。わたしたちは行こうとさえすれば、どこにでも行けるんだということが。

少しずつ日が暮れていく。夜が終われば、朝が来る。道がずっと続くように、1日1日もどこまでも続いていて、わたしたちはいつまでもどこまでも行ける。
心地よい音や振動が、フロントガラスに透ける光が、窓から吹き込む風が、わたしにそういうことを教えてくれた。

なぜだか猛烈に嬉しくなって、思ったことをそのまま口にしたら、彼女は前を見つめたまま「そうなんですよねぇ」と笑った。
「車に乗ると、そういうことを思い出しますよね」
わたしはわかってもらえて満足し、助手席に背中を沈める。小さな車はわたしたちのサイズにぴったり合っていて、本当にどこにでも行けそうだった。
「このサイズ感もいいのかもしれない」
「確かに。自分専用って感じでね」

自分に合ったサイズで、自分の好きな音楽をかけながら、自分の好きな道を行く。
そういうことができるって、なんて素敵なんだろう。

そのときわたしは初めて、ドライブを楽しいものだと感じた。
隣の彼女は、もうとっくにそんなこと知っている顔をしていた。

§

作家の佐野洋子さんは、ガンを患い医者に「残り2年」と余命宣告をされたあと、その帰りに新車のジャガーを購入したのだという。しっかりと守ってくれるような座り心地のシートにもたれながら、彼女はこんなふうに思う。
「あー私はこういう男を一生さがして間に合わなかったのだ」
「最後に乗る車がジャガーかよ、運がいいよナァ」と。

わたしはこのくだりが大好きで、よく思い出す。
結局、自分を連れ出してくれるのは自分しかいないのだ。そう教えてくれているようで。
それは悲しいことでもなんでもなく、むしろ心強いことだ。だって、その自分は紛れもなくここにいるのだから。

自分に合ったサイズで、自分の好きな音楽をかけながら、自分の好きな道を行く。
いつか、相棒みたいな車を手に入れて、そんなことができたらいいなと思う。
そのためには、いつかの小さな失敗や恐れなんて、乗り越えられる図太さがなければ。自分で自分を連れ出すって、その繰り返しだと思うから。

「わたしたちこれからどこでも行けるのね」
夜の始まりにも臆さずに、相棒と一緒に、高速道路を走り抜けたい。

 

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。


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