【57577の宝箱】エンジンをかけてアクセル柔く踏む 自分で自分を連れ去る魔法

小説家 土門蘭


以前この連載で「車を買うことにした」と書いたけれど、ここ数ヶ月ずっと、人生で初めて買う車をどれにするか迷っていた。

初めてな上に高い買い物だ。調べたり聞いたりカタログを集めたりしながら、情報収集をしていた。メーカーだけ挙げても国産車・輸入車とたくさんあるし、さらにいろんなシリーズがある。予算で絞ってみるものの、そうなると新車・中古車まで出てきて、悩みすぎてもう「買うのやめようかな……」とまで思う日もあった。人は選択肢が多すぎるとストレスを感じるものらしい。

§

そんな中、一台だけずっと気になっている車があった。
イタリア産のコンパクトカーで、丸っこくてかわいい外観をしている。車に全然詳しくなかった頃の私でも「あの車かわいいな」と街で見かけるたび思っていた、いわば初恋の車だ。

一度、その車を試乗したことがある。
遠くから眺めるだけだった車に乗り込んだ、あの時の高揚感は忘れられない。ハンドル、ドアハンドル、エアコンや窓のボタンに至るまでデザインが全部かわいくて、心がとてもときめいた。国産車に比べると「ちょっと足りないのでは?」というくらい便利機能が少ないのだけど、むしろそれがいい。無駄がなくわかりやすい。まさにシンプルイズザベストだ。

エンジンをかけると、小さな車体を小気味よく震わせながら、気持ちいい音を立てて走り出す。静かなエンジン音とは到底言えないけれど、やっぱりむしろそれがいい。「走ってる!」っていう感じで。

「好きだなー、この車」と終始興奮しながら運転した。初恋の車だからなのか、すべてが良く見えてしまう。贔屓目がずいぶん入っているのだろう。

ただそれでも難点だと感じたのは、後部座席が狭いことだった。身長が高い私が後ろに乗ると、頭が天井についてしまう。ドアも2つしかないので、乗り降りが面倒でもある。運転席に座る私は問題ないけれど、同乗者の気持ちを考えると、もっと大きくてドアも4つついた車の方がいいのかな、と迷う。同乗した家族も、同じ意見だという。

それで、他の車も乗ってみることにした。同じくらいの予算の国産コンパクトカーで、もう1台候補があったので、そちらのメーカーにも試乗を申し込んだ。その2台で比べてみて、「こっちだ」と思う方を買おう。私は家族とともに、少し緊張しながらお店へ向かった。

§

出迎えてくださった営業マンの方は、50代くらいのベテランの男性だった。新卒入社以来ずっとこの会社で働いているとのことで、自社はもちろん他社の車についても詳しい。私が質問したことにはすベてわかりやすく答えてくれる。

一通り説明を受けたあと、さっそく試乗することになった。私は運転席に、営業マンさんは助手席に、後部座席にはペーパードライバーの夫と2人の子供が乗り込む。後ろの席の様子を見ると、イタリア車よりもずいぶん余裕があって、みんなくつろいで座れるようだった。

シートベルトを締め、エンジンをかける。走り出すと、静かでびっくりする。それにとても滑らかで運転しやすい。音楽で例えると、イタリア車の方は楽器に直接触り汗水かいて演奏している感覚だったが、こちらはまるで指揮棒をゆったり振っているような滑らかさ。こんなにも走りの感覚って違うんだなぁと驚いた。

それからとにかく気が利いている。車線変更するとき後ろから車が来るとアラームを鳴らしてくれるし、目の前の制限速度標識を読み取って液晶に表示してくれるし。
「痒いところに手が届くみたい」
と言うと、営業さんは「ありがとうございます。それがうちの魅力のひとつでもあるので」と微笑んだ。後部座席に座っている家族も、「静かで振動が少なくていい」とか「広くて座りやすい」と喜んでいる。

文句がない。車を降りながらそう思った。
客観的に見ればこの車の方がバランスがいいし、こちらにすべきなのだろう。脳裏に何度も初恋のイタリア車が浮かんだが、同乗者の反応を見ればそれは明らかだった。

それで、
「こっちの車の方がいいよね、こっちにしようか」
と長男に聞いたのだけど、
「いや、こっちじゃないやろ」
と即答されてびっくりした。あんなに乗り心地良さそうにしていたのに。すると、
「だってお母さん、全然テンション上がってへんやん」
と言う。
「もう一個の車の方が好きなんやろ? 運転するのはお母さんなんやから、お母さんが好きなのにしたらいいよ」

それを聞いた営業さんが、
「他にどの車をご検討されているのですか?」
と尋ねてきた。正直に車種を答えると「なるほど」と頷く。それから小さな声で「こんなことを言うのは営業としては失格かもしれませんが……」と言った。
「毎日『乗るのが楽しみだ』と思える車を選んでください。それさえあれば、多少の不便は気になりません。私はうちの車を買っていただくことより、まずお客様に車を好きになっていただきたいので」

私が目を丸くしていると、
「私もこれまで20台くらい乗ってきましたが、自社以外の車にもいっぱい乗ってますからね」
と、悪戯っぽく笑った。

§

それから1週間後、私はまた初恋のイタリア車の元へ行き、最後の試乗をした。

まず外見を見て「かわいい」と言う。中に座って「中もかわいい」と言う。エンジンをかけ、アクセルを踏み、「音もいいし、振動もいい」と言った。「この、走ってる!って感じがいいんだよね」と。

運転しながら「どう?いい車でしょ?」と後部座席に話しかける。家族が「いいね」「いいと思う」と口々に言うのを聞いて、私は満足した。自分が本当に好きなものに触れるってこんなに嬉しいことなんだなと、ひとつひとつ、口に出しながら確認する。

色は白にした。清潔感のある、綺麗な白。きっと目にするたび、心も明るくなるだろう。

その車がうちに来るのは、秋ごろらしい。

 

“ エンジンをかけてアクセル柔く踏む自分で自分を連れ去る魔法 ”

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 


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