【フィットするしごと】自分のスタイルを持ちながら、チームのハッピーを想う
ライター 川内イオ
連載「フィットするしごと」今回はスタイリストの宇和島英恵さんのお話をお届けしています。
七転び八起きの末、ついに手に入れたパリでの実績をもち日本に帰ってきた宇和島さん。すぐに大忙しになると思ったけれど、思わぬ壁が立ちはだかります。
クラシコムジャーナルで公開した記事を再編してお届けいたします。
日本とパリの違い
日本で再始動するにあたって最初にとった行動は、仲の良い日本のスタイリストへの電話だった。同じスタイリストといっても、日本とフランスでは勝手が違う。服を借りるにはどこに連絡したらいいの? という基本的なことからひと通り教えてもらった。
その後、スタイリストやフォトグラファー、ヘアメイクなどファッション業界で活躍する人たちが大勢所属しているエージェントに登録した。そうすると、エージェントが営業して、英恵さんにマッチしそうな仕事を振ってくれるというメリットがある。
日本での実績はゼロながら、パリでのキャリアは高く評価されていたから、すぐにオファーが届くようになった。ここまではとんとん拍子だったが、現場になじむのは苦労した。
パリでは、どんな現場でも自分の意見やアイデアを積極的に伝えることが求められた。それをしないと、そこにいる意味がない、イコール価値がないと判断される。それはアートディレクターやフォトグラファー、ヘアメイクも同様で、「みんなで協力して、いい作品を作ろう」という文化だった。
英恵さんは同じように、「初めまして」の現場で、どんどん発言した。その後の展開は、想像の通り。「この人、何様?」という冷めた空気が流れ、「海外かぶれの残念な人」という扱いを受けることも少なくなかった。
「事務所のマネージャーとか社長が、何回か菓子折りを持ってクライアントに謝りにいきました」というから、風当たりは相当強かったはずだ。
友人からもらった強烈な言葉
ここから、葛藤が始まった。私はチームの一員として、いい作品を作るために良かれと思って意見を伝えてきた。でも、空気を読んで、和を乱さず、指示されたことを忠実に表現するのが好ましいのなら、それに合わせるべきなのか。いやいや、そうしてしまったら自分がパリで学んできたことは活かせないし、自分がその仕事をする意味を見出せない……。
事務所からは「もうちょっとチャンネル合わせて」と言われ、モヤモヤした気持ちを抱えながら1年、2年と経ち、「私、なんでスタイリストやってるんだっけ?」という疑問がわいた。その答えを、見出せなくなっていた。
「……もう辞めようかな」
そう思い始めた時期に、友人から言われた。
「今、こっち(日本)に合わせて仕事してるでしょ? 今のスタイリング嫌い」
胸にグサッと刺さる強烈な一言で目が覚めた英恵さんは、自分のスタイルを貫くことにした。すると、変化が起きた。そのスタイルを煙たがる人は離れていったが、「いいね!」と評価してくれる人が集まってきたのだ。
日本のファッション業界には、海外で学んできた人も多い。恐らく、それぞれが多かれ少なかれ、英恵さんと同じような葛藤を抱えながら、日本で仕事を続けている。そのなかで、はっきりと自分のやり方を示し、それを曲げなかった英恵さんに胸のうちで拍手を贈る人も少なくなかったのだろう。
英恵さん自身も、ただパリ時代のやり方を続けたわけではない。これまで通り意見はするが、タイミングを意識するようにした。なにかを提案するにしても、直球を投げるのではなく、「その場のみんながハッピーになる」ように言葉を選んだ。すると、仕事がうまくまわり始めた。
動画時代に変化する仕事の中身
日本に戻って4年目、ようやくチューニングが合い始めた英恵さんは再び独立した。
日本での実績も十分だったし、英語を流ちょうに話し、フランス語も理解するスタイリストは日本でそう多くないから、途切れることなくオファーが届くようになった。特に、外資系の企業に重宝されているのは、冒頭に記したクライアントを見てもわかるだろう。
海外での仕事も多く、昨年1年だけで10回、国際線に乗った。例えば、中国の企業がわざわざ日本にいる英恵さんを指名して、アメリカで撮影することもあるという。もちろん中国にもスタイリストはいるが、彼女ならではのキャリアとセンスを評価してのことだ。
「君はフランスですべてを学んで、ヨーロッパを舞台に仕事をして、それを日本に持ち帰った。だから、ミックス感が人と違う」
これは、英恵さんが中国の案件のプロデューサーから言われた言葉だ。
最近は、広告に動画を使うクライアントが増えて、仕事の内容も変化しているという。
「写真は正面しか写らないし動かないけど、映像は360度見えるし、モデルが動くでしょ。だから、スカートの動きが欲しいよね、とか、ここでこう透けたら綺麗だね、とか、写真にはないポイントが出てくるんだよね」
動画のなかで映える衣装を、いかに選ぶか。数千枚から1万枚の写真を見て提案する衣装を決めるスタイルは今も変わらないが、写真だけの時とは異なる想像力を問われるようになった今、英恵さんにとってはそれが「すごく面白い!」そうだ。
『クィア・アイ in Japan!』
持ち前のセンスだけでなく、動画の仕事を楽しんでいるその感覚が伝わったのかもしれない。昨年かかわった最も大きな仕事は、動画配信サービス・ネットフリックスの人気番組『クィア・アイ』の日本編『クィア・アイ in Japan!』の撮影だった。
ファッション、料理、美容、インテリア、カルチャーという5つの分野のプロフェッショナルのゲイ5人が、「自分を変えたい」と悩む男女を変えていくドキュメンタリーで、映画のアカデミー賞に相当するアワード、エミー賞で2018年に3冠、昨年に4冠を記録し、世界でも人気を博している。
『クィア・アイ』初の日本進出に際して、現地スタッフを探していたエージェントから英恵さんに声がかかった。そこから書類審査、スカイプ面接を経て、正式に参加が決まった。その仕事の詳細は番組の都合上明かせないが、ファッションを担当しているタン・フランスさんのサポートをするのが役割だった。
「45日間拘束で、4日に1度の休日があったけど、基本的には朝から晩までずーっと一緒に行動していました。でもみんなすごくいい人たちで、それが苦じゃなかった。雑誌とかCMの撮影ではあり得ない長さだったから、最後はファミリー感もあって楽しかったな」
「神様ありがとう」
七転びどころか、八転び、九転びして立ち上がってきたこれまでの歩みを振り返った時、英恵さんがターニングポイントに挙げたのは、意外にも19歳の時の出来事だった。
「1浪してたのに、大学受験の日に急に思い立って留学するって決めてカナダに行ったでしょ。英語もそうだけど、もしそうしてなかったら、ぜんぜん違う人生だったと思う。神様ありがとうって思うよね」
思えば、パリに行く前から、「これ!」と感じたら一直線に行動してきた。そのせいで誤解を招くこともあっただろうし、日本でも、フランスでも、何度もクビになったり、失敗をして仕事が来なくなったりという挫折を経験してきた。そのたびに、誰かが手を差し伸べてきたのは、どんな時も自分の気持ちに忠実な彼女の姿勢に共感してのことだろう。
これから、どこに向かうのか。もしかするとまた大胆な方向転換をするのかもしれない。その先が見えなくても、英恵さんは自分の感覚を信じて、また突き進んでいく。
(おわり)
【写真】小倉亜沙子
もくじ
前編
フランスから始まった、スタイリストへの七転び八起きの道
後編
自分のスタイルを持ちながら、チームのハッピーを想う
宇和島英恵
ファッションスタイリスト
2002年渡仏。2008年にフリーランススタイリスト として独立。外資系企業の広告や雑誌の仕事を手掛け、同時期にLOUIS VUITTONのスタイリングチームにプロダクトスーパーバイザーとして5年間参加する。2013年、東京に拠点を移し、大手企業の広告・カタログ ・CMをはじめ、衣装に関するディレクションから撮影までを一貫して担当する。
ライター 川内イオ
1979年生まれ。大学卒業後の2002年、新卒で広告代理店に就職するも9ヶ月で退職し、03年よりフリーライターとして活動開始。06年にバルセロナに移住し、主にスペインサッカーを取材。10年に帰国後、デジタルサッカー誌、ビジネス誌の編集部を経て現在フリーランスエディター&ライター&イベントコーディネーター。ジャンルを問わず「規格外の稀な人」を追う稀人ハンターとして活動している。稀人を取材することで仕事や生き方の多様性を世に伝えることをテーマとする。
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